以前ローマの都市と建築と価値観、ルネサンスの都市と建築美術と価値観、ギリシアの都市構造と価値観、ローマとの違い...について調べていたことがありますが、共通するのは”広場”という概念。
ギリシアではアゴラ(agora)、ローマではフォルム(フォロ・ロマーノ等)になります。ギリシアでは神殿が丘(アクロポリス等)と都市の広場(公の場としての日常生活・私的生活の場とは異なる)なのに対し、ローマでは聖域である神殿も広場に作り、神殿は行政と政治とほぼ同じ空間に造られた。つまり神殿は日常生活に役立つものとして変容したと考えられます。◆写真はフォロ・ロマーノ。ハドリアヌス帝の凱旋門をサイドから。2000年前の建造物。(08年4月初旬撮影)コロッセオ(フラウヴィウス円形闘技場)付近から撮影した凱旋門とフォロ・ロマーノ。
ローマの遺跡ではよく猫が昼寝しています。
ローマの土木と建築の凄さがそれが現在も実用可能な点。ローマには至るところに噴水(と彫刻がセットになっている)がありますが、これも”豊かなローマ”の象徴でしょう..富裕層はもちろん自宅に水道や浴場ももっていましたが、市民は共有の水道は使えたので水汲みという労働から解放され、常に水が豊富だった都市なのだそうです。(因みに、食料(穀物)も無料で支給されていました)
このローマ的な都市概念に基づいてほぼヨーロッパの都市は作られている。たしか、北限は植民地だったブリタニア(イギリス)だった(はず)です。
現在でも教会の前に広場があるのはこの名残です。
ローマの場合は以前も書きましたが、神殿,(多神教時代の)が教会になりました。
ヴィーナス、つまりウェヌスは表面上の美の神という概念を剥いで行くと、大地地母神に繋がっていき、カトリックがマリア崇拝を神の母として信仰対象にしたことに繋がっていくという根底がみえてきます。
逆にネストリウス派などは(ギリシア思想の影響がよりあるためか)マリア崇拝は否定され、異端扱いされてしまいますが、こういう違いは古代史・古代文化(美術建築)などみていると興味深い点です。
ラフェエロはローマ時代の神殿・大理石が石灰の材料として焼かれ破壊されていくのをみており、教皇に嘆いている手紙を出しています。
ブルクハルトはボッジョの『ローマ遍歴』を紹介して、80年後のラファエロより多くのものをみたボッジョが(遺跡の)「挿絵を入れてくれたらもっとよかったのに!」と書いていますが...ボッジョはまだカピトリーノの丘にある神殿を「完全な形」と「半分破壊された形」で見ているらしく、なんともいえない気持ちになります..
ローマでは公共建築や街道の整備などは有力者が名誉のために私財を投資して造られた。これは現在の公共事業建築が税で行われるのと対照的な価値観だと思われます。
ルネサンス初期では、これを同業者組合が行っていました。
私的な建築をすると、これもローマ・ギリシアの民主制の陶片制度(独裁のおそれがある人を投票(陶器のかけらに名前をかいてする)で追放する)なごりか、10年程度の追放があったので、コジモ・デ・メディチなどは最初大変にひっそりと慎重に私的パトロネージを行っています。
どこか、近代化は革命後に達成されるという固定的な解釈があるように思われますが、実はそれよりも自治の運営に個人がどれだけ意識的に関わっているか、ということのほうが重要で、経済的自立からそれは可能だといえるような気もします。
元々、自衛のための城壁を建設する資金を出せる人(税金)を市民と名づけていたように。現在だと一般的に税金は給与から天引きされるだけなので、そういった意識がますます希薄になるのかもしません..
クラシックという言葉の起源ももともと、納税する人々が規範にすべき、文体(文法)という意味から派生したので、古いものという意味ではないですし...
大分話しがずれましたが都市という場はでは何かというと、交換の場ということになります。農村・田園では生産を、都市には交換の機能を与え街道で結ぶというのが基本的なローマのスタイル。だからこの基本原則からいくと、都市のような田舎を延々と拡大させてしまうのはあまり得策ではない....ということになるのですが...
東京圏の拡大と一方で求心力が低下する都心というのを、半端に開発された湾岸地域や、郊外のショッピングセンター化(それも半端な)が数十年後に廃墟を生み出すだけなのではという気持ちになってしまいます。
高層化も同様に...
広場は個人の公的な生活の場であり、個人の私生活圏を守るためにも、また共通の問題を解決する場合にも重視されてきた。
後のイギリスのコーヒーハウスやクラブハウス、フランスのサロンやカフェなどもこうした機能を持っていた。
日本で「憧れのフランスのカフェ」「セレブも通ったカフェ」などとパリの老舗カフェが紹介されるたびに違和感があります。そういう単なるハイクラス気分消費者や見せびらかし精神とはまったく異なる意味がその場にはあったのだし、その後、市民的な付き合いのなかでは「文学(芸術)と政治の話は遠慮する」という暗黙の了解ができあがってしまうのもハーバマスが言うように19世紀の後半になります。
(因みにカフェ・ドゥ・マゴのティーカップ・ソーサーやクリーマーを愛用しています)
カフェのもっとも歴史があるものはヴェネチア・サンマルコ広場にあるカフェ・フローリアンです。ただし私は博物館とサン・ジョルジョ・マッジョーレなどに行っていたので中でお茶する機会はなかったのですが...アラブ商人が訪れていたためにコーヒーがもっとも早く入ってきたのでしょう。ここはモーツァルトも訪れたカフェらしく、モーツァルトファンはかならずおとづれるようです。
ちなみに、フォークもアラブからイタリアに一番最初に入ってきたのでした。
サンマルコ広場はビザンツ、アラブの様式が入り混じっていてここが西の玄関なのだなと思える場所です。現在は正規の玄関口である海からの眺めは、サン・ザッカリアへ向かう水上バスからでしか見えないのが残念ですが..
カナレットの風景画をみると、変わらない佇まいに感激します。

ヴェネチア本島に宿泊すると早朝誰もいないサンマルコ広場やサン・ザッカリア周辺を犬の散歩をしている人によく出会いました。出会うとちゃんと挨拶してくれる人たちが多くて心地がよいです。

著者:河島 英昭
販売元:岩波書店
発売日:2000-11
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著者:ヤーコプ ブルクハルト
販売元:筑摩書房
発売日:2007-02
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著者:ヤーコプ ブルクハルト
販売元:筑摩書房
発売日:2003-03
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公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究
著者:ユルゲン ハーバーマス
販売元:未来社
発売日:1994-06
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ブルクハルト、私が持っている中公文庫版の表紙はピエロ・デッラ・フランチェスカのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ夫妻の絵。(しかも上巻が奥さんのバッティスタ・スフォルツェアで下巻がウルビーノ公)プロフィールで描かれたこの絵の文庫がわざわざほしくて古本で買いなおしてしまったほど...。

著者:板屋 リョク
販売元:丸善
発売日:2001-08
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ローマの建築と公共事業、ギリシアとローマとの違いなどは上記の書籍が大変解りやすいです。地中海性とバロックの指摘も興味深いテーマです。
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