△写真はヴァチカンで撮影。先日、ウェルギリウスの『アエネーイス』やBBC制作”ROME”について少々書きましたが、ラテン文学の邦訳は商業ベースにのらないために参照しようとすると大変に苦労します。しかし、ヨーロッパの文化や言語、文学、芸術は現在の日本でもかなり取り入れてられて(むしろ日本の文化を忘却する形で)、英語も義務教育中に扱われるのに対して、起源としてのローマはあまりにも失われている。ラテン文学について調べているとそう感じます。
(英語は本来的にはゲルマン言語だが、単語の起源としてはノルマンを媒介にしたフランス語が入るためにラテン語を起源としているといわれる,,,現代英語の単語学習などでlootなどを調べる機会があるとそれを実感するように..)
日本では高校で古典がある程度は取り上げられているが、ヨーロッパの高校ではラテン文学やラテン語知識は哲学同様に専門分野を学ぶ前に習得するべきもの。日本だとどちらも大して触れられず、しかも進学校ほど世界史すら他の科目(英・数)などに振り替えらているから、専門科目を学ぶ段階でそれらが抜けていると認識が浅くなるのでは、と思うのですが...
方法知や知識はそれを「どのように用いるべきか」が問題なのだと常に思う。
高い技術が「商品化の差異」に用いられているが方向性としてどうなのだろう?
東ローマではギリシア文化が継承されていった(そして彼らこそが自らを「ローマ」だと思っていたという意識がある)のに対して、西ローマを直接継承した国はなかった。というよりも、”古代”といわれるオリエント世界からの文明を吸収して発展した世界は断絶し、長い間忘却された)
例えば、キケローの著作も、かなり失われている。
キケローは有名な演説や弁論のほかにも戯曲(朗読用)を書いているが、これがエリザベス朝時代の文学に影響を与えている。
カエサルは「ガリア戦記」が有名だが、他にも若いときには「オエディープス」「ヘルクレース賛美」などの詩も書いている。『反カトー論』(キケローの”老年について”=「大カトー」に対する応答)などはすべて失われている。(『ガリア戦記』は近山金次先生訳で岩波文庫から出ているので最も手軽に読めるラテン文学である)
ところで、ラテン文学の文学の意味はlittera(文字)の複数系で書かれたものすべて(書き残しておくべきもの)という意味があるので、「歴史」や「哲学的対話」「書簡」(これにはキケローのように公表されることを意図せずにブルートゥスやクィントゥスに書かれたものと、プリニウスやセネカのようにはじめから公表することを前提とした書簡集(いわば随筆)がある)なども含まれる。現在だと文学はファクトから遠のいたものとして「実学」ではないなどという誤った認識までが浸透しはじめているが...もしこのような誤認が広まれば、また人と人を取り巻く世界自体は今よりも更に衰退していくように思う。)
美術やのちの文学の規範と主題に関して見逃せないものとして、Metamorphoses(メタモルフォーセス)が挙げられるように思う。例えばナルキッソスが水仙に変身したり、カエサルが神化して星になったというような話の類だが、これをギリシア神話からローマでの普及に導いたのはオウディウス。この継承があって初めて、西洋での中世ールネサンスでの「ギリシアローマ文化」が「古典」であるという基盤がある。
以前記事で触れたカラヴァッジョはキリスト教主題に加えて、ローマ時代やギリシアの主題も多く扱っているが、ここにも「転身物語」は反映している。こうした主題の起源はオゥディウスによる集成まで遡ることができる。
キケローやカエサル、そのほかセネカなどほとんどのラテン文学は失われている。失われているほうが多い。それはやはり西ヨーロッパ崩壊後、キリスト教単一支配によって、古代文明(とそれ以前のオリエントの文明も/たとえばアラブやメソポタミアの技術も)失われてしまい12世紀と15世紀までは、東ローマ(ビザンツ)とアレクサンドリア、シリアなどでギリシア・ローマ文化は継承されて研究しつづけられているという断絶があるのだから。自らのアイデンティティのための歴史という視点ではその時点より前に視点が注がれなくなく。だからプロテスタント国家にとっての起点はやはり宗教改革になるし、アメリカではコロンブス以前(というよりも合衆国独立)は参照されなくなる。(そのために、アメリカではピラミッドが古代につくられたはずがなく、宇宙人が作ったなどと本気で言い始める人がでている始末である、とは以前も書いた、つまり歴史=近現代史18世紀中心になってしまう面がある)
ギリシアローマがなぜ現在からみても高度文化をもっていたかということは、それは前時代の、長いオリエントの文明を地中海世界でもっとも早く吸収したからであり、それ以前のギリシアの文明(ミケーネなど)とオリエントの文明を集大成させた部分があるからのように思う。
余談だがよく、歴史ドキュメンタリーなどで、日本では弥生時代のときにすでに○○だったといような余り意味のない比較が行われるが、これは単純な比較の次元としてもあまり意味がない言及だと感じる。固有のものを固有なものとして認識するべきで、比較によって評価を含ませて説明するのはあまり意味がない。というのは、現時点の自分らの認識からみて、他の地域や民族がもっている固有の文化や文明をさげすんだり軽視する視点(当然、未開のとか途上のなどという言い方)もそこから生まれてしまうように思える。そもそも進歩とは何かという問題を含んでいる。・・・
ある文化に接したときに、その文化やシステムを理解し吸収して取り入れて構築する、自らはこうあるべきというそのモデルに沿って古いものを理解吸収し、それを超えようとするとき、他との比較ではなく自らの基準によって自らを導こうとするときに、著しい進歩がみられる。しかしそれはその土地の固有性を重視した形で...
(例えば、フォンテーヌブロー派から17世紀にかけてのフランス美術、ビザンツからローマ、ギリシアと中世(キリスト教)から影響をうえた15世紀(クワトロチェント)、ギリシアを規範としながらローマが都市国家となりその後の拡大も含め、摂取と吸収、再構築した後に進展がみられるように思う。)
現在あまりにも中高の世界史内容が欠落しているので(現在の中学では古代文明もフランス革命もルネサンスも扱っていない、高校で世界史は他教科に振り返られたりするためにごくごく基本的な知識を得る機会が極度に減っている。元々、文化(政治制度的なものや宗教習慣も含む)がほとんど無知なままで(是認されて)一方で国際化などと言われているのはひどくバランスがとれないことはのでは?
そして他国の知識もなければ、日本の文化も学ばないので基準があまりにもなさすぎる、と感じるような出来事が実際に増えていると思えてならない。)
二者択一には答えはない、とは度々聞くようになったが、その通りで、(右派左派、革新と保守、ゆとりかつめこみか、進歩か復古かなどなど....)やはり「本来性」「あるべき」もののための選択や判断が必要であり、それには「起源」「始源」を知ることが必要であると常に思う。
歴史について、タキトゥスの言葉を引用しておく。
「歴史の任務は、徳行を忘れさせないこと、また醜悪な言動には後世の人々から不名誉ゆえに怖れられるようにすることにある」
実に的を得ているし、先のために、忘れないようにすることが必要であり、現在ではさらに、歴史は双方向から(ある出来事を双方向からみてとらえる)認識するべきだという流れになっている。これは、世界史ブックレット(山川)が入門としてとても便利だし、美術や文化なども写真入りで解りやすい。また岩波の「世界の歴史」シリーズも大変便利。過去に習ったり学んだものでもそれで充分ではない、双方向的な研究も行われているし、過去の評価も再度試みられているから。
もっと知りたいと思うきっかけになる本だと思う。
過去もまた一つではない。
ギリシア・ローマ古典文学案内 (岩波文庫 別冊 4)
著者:高津 春繁
販売元:岩波書店
発売日:1963-11
クチコミを見る

ガリア戦記 (岩波文庫)
クチコミを見る

著者:アミン マアルーフ
販売元:筑摩書房
発売日:2001-02
おすすめ度:

クチコミを見る

著者:宮下 規久朗
販売元:角川学芸出版
発売日:2007-09
おすすめ度:

クチコミを見る
オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)
著者:オウィディウス
販売元:岩波書店
発売日:1981-09-16
おすすめ度:

クチコミを見る

販売元:岩波書店
発売日:2006-12
おすすめ度:

クチコミを見る
キケローの書簡集は、秘書が死後に公表したもの。キケローが公表を意図して書いたものものではない、そのために政治と当時の社会に関わる当事者としての言葉がつづられているために資料として重視されてもいる。
(”ROME”ではアントニウス弾劾演説の場から、ヴィラで殺害されるところまで描かれていた。キケローのアントニウス弾劾の演説は、マケドニア・フィリッポスを排斥するために行われた演説に由来してピリッピカと呼ばれた。なおラテン文学は基本的に、朗読や演説するものであり読書という形で読まれるものとは区別される。
音声としての文学はホメロスもそうで、また”クルアーン”(コーラン)も詠唱するものとして書かれているから、おそらく翻訳して黙読し「意味」として理解する文学とは異なる。”読んでみたがあまり面白くない”という意見も度々みるので追記しましたが、しかし音声でその作品の原点に触れられる機会はとても少ないですね。TV(あまり観ませんが)などで取り上げられ、制作されたら良いのにと思います。現地言語で話しているときに、日本語で葺き替えを被せてしまうのもいつももったいない、現地言語が聞きたいのに...と思うことが多いです)
ラテン文学史 (文庫クセジュ 407)
著者:ピエール・グリマル
販売元:白水社
発売日:1966-12
おすすめ度:

クチコミを見る
コメント