そもそも熊野マイブームの発端は、おそらく「もののけ姫」なんですが、当時は「照葉樹林文化」を読んで満足してる程度だったのですが、調べれば調べるほどよくわからないですね。複雑だ・・
しかしどうも、足利将軍室町期になると、熊野信仰は廃れて、伊勢参りがメジャーになるらしい。とするとあながり「神殺し」(メタファーであるアミニズムから近代化への選択)の時期と重なる気がして、どこまで想定してもののけを創ったのかあらためて疑問が湧いてきました。
上皇時代は専ら熊野信仰で、なおかつ高野山が女人禁制だったのに対し、熊野は開かれていて、女子、病人(ハンセン病など)、盲人なども受け容れていた場所であるらしい。しかも沿道沿いの方は伝統的に、今も巡礼者を支援するのが自然なのだという...巡礼スタイルはヨーロッパや中東辺りではそれぞれ違うのが興味深いのですが、アミニズムに基づいた信仰だとあまり排他的にならない傾向が強いのかもしれません。
牛王宝印という(ごおうほういん)熊野独特のものが、すべて烏の文字で表されていて、凄い...
これは一体どういう経緯でこういうスタイルになったのだろうと、異常な興味が湧いてしまった。
来週、たった一日ですが、熊野に行く予定です。
帰ってきた翌日からまたぐっと忙しなくなる+一日なので強行軍ですが、古道にも行って、巡礼的気分に浸れたらと思います。
何かこう、バニッシュ級な気分転換がないとやっていけそうもありません...
熊野詣というかなり古い文献を復刊したものから引用してみます。
「熊野は謎の国、神秘の国である。シュヴァルツ・ワルトともいうべき黒い緑の森と、黒い群青の海。(略)那智の滝はながめる滝ではなくて、瞑想する滝である。あの天地のくずれるように、さくなだりに落ちる水音は、われわれの頭の中から雑念をたたき出して、次元の違う世界を思考させる」
・・・と神秘主義的なものが気分転換になる性分なので飽きません。
追記*牛王宝印も無事に記念に買ってきました。
写真は那智の滝。滝がご神体なのだそうで、実にアミニズム的な場所でした。
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