シェイクスピア作品は戯曲としてだけではなく、絵画やオペラ、音楽の題材として重要な役割をもっていると実感します。元々、文学と絵画、詩と音楽は相互に影響を与え、好敵手であって創作上のジャンルとしてそれほど離れていなかった。ミレイの「オフィーリア」「マリアーナ」もシェイクスピアであり、象徴主義もまた詩と絵画と音楽の接近による運動でこれも世界に広がっていった(象徴としての西洋での漢字の発見もこれに関係する)音楽は眼に見えないものであり、絵画は言語を用いない、だが有形無形に関わらずそこに美や意味が表現される。

ところでヴェルディ作品がロイヤルオペラやグラインドボーン音楽祭のDVDが多いのもシェイクスピアを忠実にオペラ化したことに繋がっているようも思う。
ロイヤルオペラのヴェルディ<トラヴィアータ>は19世紀のパリというヴェルディが想定した同時代的な作品として演出している。演技や舞台美術もドラマ性、人物像にあっているので完成度がとても高い。
オペラに斬新さを求めるあまりに作曲家や脚本家が想定したものとはかけはなれた舞台も増えている気がするが、やはり原点回帰、本来あるべき作品として上演するのが創作者と観客が観たいものなのではないだろうか。ロイヤルオペラの作品はどれも作品の魅力を伝る演出や美術になっていると感じる。

年末になるとジュゼッペ・ヴェルディの「レクイエム」(アバド/輸入DVDにある)が聞きたくなるのだが、ヴェルディはシェイクスピア作品をすべてオペラ化しようとした作曲家である。<マクベス>はオペラ史上画期的な作品でマクベス夫人に「歌わないで朗唱してください」と歌手に注文し、劇と音楽の一致を試みたのだが、なによりもヴェルディはシェイクスピアの描く「人間性」を忠実に表現したかったのだろう。人間の心理状態や感情を音楽と歌詞で表そうとし、<マクベス>のほかにも、<オテッロ(オテロ)>を作り、最期には喜劇である<ファルスタッフ>を作曲した。
オテロにも「乾杯の歌」があるが「トラヴィアータ(椿姫)」のような歓喜の歌ではない。しかも、そもそも<オテッロ>は敵役としてのイーゴに焦点をあて、悪人の人間性に焦点をあてて描きだしている。それにしても、イタリアオペラにかならず「乾杯の歌」が入るのは、やはりギリシア・ローマ経由でのディオニュソス的な影響なのだろうか?(などとオリエントからギリシア・ローマとの繋がりを思ってしまう)

ヴェルディは<リア王>などもオペラ化したかったが未完だった。
<オテッロ>を作ったのは、シェイクスピアに造詣が深い脚本家と出会ったからでもある。やはり、相互の理解から創作は生まれる、と改めて思う。そしてシェイクスピアが作品を書かなければ、ローマのカエサルや中世ヴェローナのロメオとジュリエッタの話などもポピュラーな形では残らなかったかもしれない。

<トラヴィアータ>については以前記事にも書いたアンジェラ・ゲオルギウーがヴィオレッタ、指揮がショルティの英国ロイヤルオペラの映像がお薦め。
舞台設定も19世紀パリのサロン、裏社交界の雰囲気が反映されている。アルフレードも、デュマの原作の人物と性格に近いと思う。ヴィオレッタの父はレオ・ヌッチで、ヴェローナ音楽祭の<リゴレット>タイトルロール同様好演している。


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UK-Japan 2008 WEBに記事掲載

イタリア・オペラ史
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