一日だけ観に行ける日があったので全国埼玉舞踏コンクールにいってきました。
それはまぁいいのですけれど、、
エトワール・ガラの演目変更がありすぎやしませんか;
公然と書けるほどメジャーな意見じゃないでしょうから
自分の日記にかきますけど・・・
私は「受胎告知」「アントレデュニオン」が見たかったんです・・・・。
共にプレルジョカージュ作品です。
特に、レティシア・プジョルの「受胎告知」
ルグリが来るのはうれしいけど、なんだかBプロで
見たかった演目がずいぶん変わってしまって、
何も青い鳥とバヤが変わらなくてもいいではないか・・・
やはり日本の観客はコンテンポラリーは理解できず
(観ようともせず)
せいぜい近代的な男女関係を描いたドラマチックバレエが
「共感」できる・できないといった感じなんでしょうか・・・
「カノン」や「アダージェット」も観たいので、それは変わっていなくてよかったですけれど。しかし当初のプログラムよりは魅力を感じられないというか。
フランスは高校卒のときに(オペラ座学校の卒業も)バカロレア合格が条件だから、基本的に教育教養水準が違うからなんでしょうか。
日本は、売れる売れないで演目も変更してるようだから、
ヨーロッパ国内で評価されてる演目が来ない・・・
せざるを得ないんでしょうけれど、バレエ鑑賞者自体が、例えば他の文化・分野にはあまり関心がない人が多いからかもしれません。
バレエ好きで、絵画や文学、思想・歴史文化なども好きという方ってすごく貴重。
でもヨーロッパはそれが普通なのではないでしょうか。
だからそれらが全面にでてこなくてもいい、プティパのクラシック・バレエ作品と3大チャイコフスキー演目が中心になってしまうのかもしれません・・・
プティパのバレエは極端に形式主義だからです。
もちろんその優良な面とそうでもない部分の両方があるとは思いますけれど。
・・・・・・
レティシア・プジョルの受胎告知が見たかったです。(二度目)
本当最近のバレエ公演はまったく信用できません。
最初にチケットを買わないと需要を示せないし、
かといって、その売れ方次第で、マーケティング結果から導き出されたレベルのものに改変されてしまうからです。
マラーホフの贈り物のときもパキータから白鳥に変わってしまったし。
勿論色々な理由や事情があるのはわかります。
でも、やはり個人意見を反映させないと、マーケティング結果に浮かび上がる「お金を払う人達のイメージ」に舞台芸術・Art・作品の魅力自体が消去されていってしまう、と考えるからです。
なんだか更に疲れました・・・。
いや、夏休みも7月8月で2日+半日くらいしか休みがなくてですね。
そのうちの半日をこの公演で遣うことにしていたので・・・・
といっても私は公演の日も時間ぎりぎりまで横浜方面にいなくてはならないのですが。
ル/パルク以降は8/9だけを楽しみに生きていたので(大げさ・・・ではない)>こういう書き方は自重しないとなりませんが本当なのが嫌。
今年はル・パルクに行けただけ良かったと思うことにします・・・・
ルグリとレティシア・プジョルの「ル・パルク」は本当に観られて良かった。
こういう舞台経験は、やはりルグリの公演のときにみた、コンテンポラリー作品(タイトルを今咄嗟に思い出せない)とオネーギン以来でしたから・・
どうせ日本では、理解されないんだからこのくらいで、という演目にされることが多いと云いたいのです。
この作品が見たい、と思うのは、例えば、ミケランジェロの「奴隷像」を観たいからルーブルに行く、ルネサンス芸術をみたいからフィレンツェに行くというような、少々巡礼的な本来性を求めている理由だったりするので余計です。
勿論、バレエの場合は、身体がそれを現象させ、踊り、顕れとともに消えゆくものだから、物質性を持つ作品の確実さと比較してはいけないとは思うのです。
でも、演目追加は嬉しいけど、演目の極端な変更はいかがなものかと思います。
それはまぁいいのですけれど、、
エトワール・ガラの演目変更がありすぎやしませんか;
公然と書けるほどメジャーな意見じゃないでしょうから
自分の日記にかきますけど・・・
私は「受胎告知」「アントレデュニオン」が見たかったんです・・・・。
共にプレルジョカージュ作品です。
特に、レティシア・プジョルの「受胎告知」
ルグリが来るのはうれしいけど、なんだかBプロで
見たかった演目がずいぶん変わってしまって、
何も青い鳥とバヤが変わらなくてもいいではないか・・・
やはり日本の観客はコンテンポラリーは理解できず
(観ようともせず)
せいぜい近代的な男女関係を描いたドラマチックバレエが
「共感」できる・できないといった感じなんでしょうか・・・
「カノン」や「アダージェット」も観たいので、それは変わっていなくてよかったですけれど。しかし当初のプログラムよりは魅力を感じられないというか。
フランスは高校卒のときに(オペラ座学校の卒業も)バカロレア合格が条件だから、基本的に教育教養水準が違うからなんでしょうか。
日本は、売れる売れないで演目も変更してるようだから、
ヨーロッパ国内で評価されてる演目が来ない・・・
せざるを得ないんでしょうけれど、バレエ鑑賞者自体が、例えば他の文化・分野にはあまり関心がない人が多いからかもしれません。
バレエ好きで、絵画や文学、思想・歴史文化なども好きという方ってすごく貴重。
でもヨーロッパはそれが普通なのではないでしょうか。
だからそれらが全面にでてこなくてもいい、プティパのクラシック・バレエ作品と3大チャイコフスキー演目が中心になってしまうのかもしれません・・・
プティパのバレエは極端に形式主義だからです。
もちろんその優良な面とそうでもない部分の両方があるとは思いますけれど。
・・・・・・
レティシア・プジョルの受胎告知が見たかったです。(二度目)
本当最近のバレエ公演はまったく信用できません。
最初にチケットを買わないと需要を示せないし、
かといって、その売れ方次第で、マーケティング結果から導き出されたレベルのものに改変されてしまうからです。
マラーホフの贈り物のときもパキータから白鳥に変わってしまったし。
勿論色々な理由や事情があるのはわかります。
でも、やはり個人意見を反映させないと、マーケティング結果に浮かび上がる「お金を払う人達のイメージ」に舞台芸術・Art・作品の魅力自体が消去されていってしまう、と考えるからです。
なんだか更に疲れました・・・。
いや、夏休みも7月8月で2日+半日くらいしか休みがなくてですね。
そのうちの半日をこの公演で遣うことにしていたので・・・・
といっても私は公演の日も時間ぎりぎりまで横浜方面にいなくてはならないのですが。
ル/パルク以降は8/9だけを楽しみに生きていたので(大げさ・・・ではない)>こういう書き方は自重しないとなりませんが本当なのが嫌。
今年はル・パルクに行けただけ良かったと思うことにします・・・・
ルグリとレティシア・プジョルの「ル・パルク」は本当に観られて良かった。
こういう舞台経験は、やはりルグリの公演のときにみた、コンテンポラリー作品(タイトルを今咄嗟に思い出せない)とオネーギン以来でしたから・・
どうせ日本では、理解されないんだからこのくらいで、という演目にされることが多いと云いたいのです。
この作品が見たい、と思うのは、例えば、ミケランジェロの「奴隷像」を観たいからルーブルに行く、ルネサンス芸術をみたいからフィレンツェに行くというような、少々巡礼的な本来性を求めている理由だったりするので余計です。
勿論、バレエの場合は、身体がそれを現象させ、踊り、顕れとともに消えゆくものだから、物質性を持つ作品の確実さと比較してはいけないとは思うのです。
でも、演目追加は嬉しいけど、演目の極端な変更はいかがなものかと思います。
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