この映画DVD、なんで絶版なんだろうか。
最近じゃ完全版のレンタルもしていなくて、でも思いついたように猛烈に見たくなるんですね。やっと録画できて安心。
完全版じゃないにしても。
この映画を「凄く好き」、という人と「どうでもいいし眠い、実際何度も眠った」という人どちらかの感想しか知りません。
私は前者です。後者の人とはおそらく、友達にはなれません(笑顔で)ってくらいかも。いやいや・・・。
人の顔を記憶できない私は中盤以降の人物相関が半分くらいあやふやになってしまうのだが、それを差し引いても。です。
盲目の音楽家が記号のように画面にでてくるとどきりとします。ストーリーを導く台詞は至極抑えられていて、きっと見ている側がこのコラージュされた映像から「物語と事実」を繋いでいくのだろう。
映像の力があるので、見始めると見届けるまで中断できない映画です。
ベジャールの「7番」やっとで見ました。
意外とクラシックな振付だったんだな、と。
7番は「神々の舞踏」と言われてる曲です。
それをジョルジュ・ドンが踊るんですから。
ところで「ボレロ」のクレッシェンドをテープで踊るというのは私には別のものという気がしてしまう・・・
作品を映像としてあるいは記録として残さない、という芸術家と記録として残すことでリアルタイムに繋ぐ機会のない人でそれを必要としてる人に残したいという人がいます。
グールドは後者ですし、ルービンシュタインは前者。
(この二人の対談は興味深い)
ベジャールも残さない主義の方らしいですね。
ソクラテスが文章を残さなかったのは。「書き残す」という作用をした瞬間、二次的なものになってしまい、魂から発せられる(ギリシア的なプシュケね)真実ではなくなってしまうから、という事らしいが、それでも、です。
やっぱり作品は残して貰いたい!
グールドが聴衆の前で演奏することに疑念をもち、譜面とだけ対峙して録音するという方法をとった(そして二度とコンサートを開くことはなかった)のは今も昔も異色なんだろうけれど。
普遍的で文化的歴史的に転換点といえる時期にあるものほど、意外と目に触れる形で残ってないのは残念。
という事も含めて完全版DVDを生産しなおして欲しいものです。
最近じゃ完全版のレンタルもしていなくて、でも思いついたように猛烈に見たくなるんですね。やっと録画できて安心。
完全版じゃないにしても。
この映画を「凄く好き」、という人と「どうでもいいし眠い、実際何度も眠った」という人どちらかの感想しか知りません。
私は前者です。後者の人とはおそらく、友達にはなれません(笑顔で)ってくらいかも。いやいや・・・。
人の顔を記憶できない私は中盤以降の人物相関が半分くらいあやふやになってしまうのだが、それを差し引いても。です。
盲目の音楽家が記号のように画面にでてくるとどきりとします。ストーリーを導く台詞は至極抑えられていて、きっと見ている側がこのコラージュされた映像から「物語と事実」を繋いでいくのだろう。
映像の力があるので、見始めると見届けるまで中断できない映画です。
ベジャールの「7番」やっとで見ました。
意外とクラシックな振付だったんだな、と。
7番は「神々の舞踏」と言われてる曲です。
それをジョルジュ・ドンが踊るんですから。
ところで「ボレロ」のクレッシェンドをテープで踊るというのは私には別のものという気がしてしまう・・・
作品を映像としてあるいは記録として残さない、という芸術家と記録として残すことでリアルタイムに繋ぐ機会のない人でそれを必要としてる人に残したいという人がいます。
グールドは後者ですし、ルービンシュタインは前者。
(この二人の対談は興味深い)
ベジャールも残さない主義の方らしいですね。
ソクラテスが文章を残さなかったのは。「書き残す」という作用をした瞬間、二次的なものになってしまい、魂から発せられる(ギリシア的なプシュケね)真実ではなくなってしまうから、という事らしいが、それでも、です。
やっぱり作品は残して貰いたい!
グールドが聴衆の前で演奏することに疑念をもち、譜面とだけ対峙して録音するという方法をとった(そして二度とコンサートを開くことはなかった)のは今も昔も異色なんだろうけれど。
普遍的で文化的歴史的に転換点といえる時期にあるものほど、意外と目に触れる形で残ってないのは残念。
という事も含めて完全版DVDを生産しなおして欲しいものです。
コメント