1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

タグ:思想史

5




2016年12月の記事に書いたが、放送大学の講座において堀江聡先生が新プラトン主義および神名論の講座を行い参加した。(ルネサンス研究会から戻る日だったので、京都から東京駅、そのまま茗荷谷へ移動)
その続きあるいは関連事項として、新プラトン主義の9世紀以降のアラビア語圏での展開についてお話しを再度してもらえないかという話になり(懇親会にて)、堀江先生が私が主催している講座 勉強会(言語文化研究)にてお話ししてくださる運びになったのが1月半ばごろ。

この日は2012年に堀江先生が書いた論文、「アラビア語一神教によるプロティノスの改変に向けて」(岩波書店)および国際基督教大学での講演記録の2種を用いて勉教会を行った。
14時から17時すぎまで、論文の内容を中心に、つまり、アリストテレス哲学で神秘哲学が可能なのか、あるいはプラトニズムにおける偽書のようにアリストテレスにも偽書があり(未だ作者不明)断片としていくつかの著作があるものなども検討する話題となった。

すべてを書き残すことはできないので、(整理はするつもりであるが)記録として、あるいはこのblog記事をお読みになり、ネオプラトニズムやアリストテレス、さらにはプラトン対話篇を学びたい学びなおしたいと思われる方もいるかもしれないし、西洋哲学は西洋だけで完結していると思う向きもまだまだ根強いとは思うので、少々まとめてみることとする。

まずは、堀江先生の論文を少々引用してみよう。

「9世紀バクダードで成立した『純粋善論』が、クレモナのジェラルドによって12世紀にトレドでラテン語訳され、『諸原因の書』(Libre de causis)と題名変え、アリストテレス作として数世紀にわたり一世を風靡した。」

覚えやすいようにこの系譜をまとめてみると、つまり9世紀から12世紀のクレモナのジェラルドの間には西洋哲学は身を潜めている。水脈としてかすかに残っているがそれはここでは立ち入らない。それはそれで重要であり、私としてもそのあたりを研究している...(進行形)のである..

9世紀はアル・キンリ―、10世紀はアル・ファーラビー、11世紀はイヴン・スィーナ、12世紀はイブン・ルシュド(アヴェロエス)となる。
アヴェロエスやアル・ファラビー、イブン・スィーナなどは聞いたことがあるかたも多いであろうし逸話も残っている。




全文はこの岩波の三巻に収録されているので、ぜひお読み頂きたい。


       


堀江先生にエンネアデスのオクスフォード OCT=Oxford Classical Text版の原書をお持ちいただいたので写真をとらせてもらいました。

参加したのは、ギリシア語学習会(放送大学では数学)の小又先生、プラトン研究や勉強会の先輩のEさん、同じく講座でよくお会いするTさん、三田会かつ同窓会同期の陽子さん、前回の新プラトン主義の講座運営されたKさん、昨年電気通信大の院を修了して現在はエンジニアのM君、来春から大学生のAさんほか13名ほどで夜の8時頃まで哲学やプラトニズム、プラトン対話篇などの話で盛況だった。昨年亡くなられた熊田先生の話や大学における哲学研究、また堀江先生がピサやドイツに留学していたころのお話もふんだんに聞くことができた。 
2017年3月19日  14時より
言語文化研究  


この週は私が腸炎で完全ダウンしており(・・・)前日の夕方から早期退院してなんとか会を開催できたのだが、やはり読んだり言葉の力は凄く、開催中はとても集中して思考が働いた(ほう)だと思っている。

いくつか整理しなくてはならないのだが、まずは記録しておきたいと思う。

 



この本は新宿のブックファーストでみつけて即購入した本、発行当時だと思う。

ご参加頂いたみなさまありがとうございます。






納富信留先生の「古代ギリシア哲学史(全61回)」4年間の講座が一旦終了、4月からはまた新たな講座が始まりますが、初期から出席していたこともあり、論文指導もして頂いたこともあり、講座と講座のあとの食事会にも声をかけていただいたので出席してきました。
受講者で全講座出席されたN様が、個人的に作られたレジュメファイルの目次、即ち講座一覧表と備考の表を出席者に配布して下さいました。
2013年4月22日の「初期ギリシア哲学とは何か:資料論」から始まり、ミレトスのタレス、アナクシマンドロス、クセノファネス、ヘラクレイトスが6月までの講座、夏からはパルメニデス、エレア派、アナクサゴラス・原子論、エンペドクレスなどを経てソフィストの時代へ。「ソフィストと哲学者のあいだ」「ソフィストとはだれか」はサントリー学芸賞を受賞された著作ですので、お読みになったかたも多いかと思います。
(私が三田南校舎で論文発表をしたとき、丁度、NKHの「100分de名著」を納富先生が担当されており、それを見ていた三田会の会員(卒業生)の他学部の先輩方からも質問を頂いたことも。

先日の講座では、プロティノス以降のイアンブリコス、プロクロス、ポルフィリオスをはじめとした新プラトン主義哲学を概観し、イアンブリコスは一部納富先生が翻訳された部分を資料としてもまた講座でも少し読むなどし、ヒュパティア、ダマスキオスなど、アカデメイア派とアレクサンドリア学派の交流、その差異などを含めて1時間半の講座が行われました。途中、何度か質疑応答を含めて受講者と対話的に話しながら、プロクロスの「神学要綱」「プラトン神学」の内容までを扱う内容で、新しく知ることも多く、大変刺激となった。
納富先生は大変、講座の際の情報量が豊富かつ、板書もしてくださったり、翻訳がない文献に関しては、独自に翻訳してレジュメに掲載して下さる。これはとても勉強になるし有難い。加えて、やはり独自に読書していて理解したと(自分で思っている)事柄、内容を先生の解釈を聞いたあとで直接対話的に確認させていただけるのが大変ありがたい。多くの受講者のかたがそう思っているはずである。



哲学の誕生: ソクラテスとは何者か (ちくま学芸文庫) [文庫]
納富 信留
筑摩書房
2017-04-06

このblogでも何度か書いている、また自分が初期に読んだ本でもあり、大学の教養課程で哲学科目を履修している大学生にも時々すすめている「哲学者の誕生」(ちくま新書)がこのたび4月に一章を追加した形で改定+補遺された版で出版される。ラテン語学習会や古典ギリシア語学習会の小又先生から納富先生の新刊が出る旨を聞いていたので、この日、講座のあと先生からこの新版についてもお聞きできた。

この書籍はぜひ、哲学や思想、近代日本の学術伝統を考えるうえでも広く読んでもらいたい本である。

講座が終わった後は今までの講座内容はもちろん、最近の世界での研究状況なども踏まえて貴重なお話を聞くことができた。参加された方にも、もちろん納富先生にも感謝と御礼を申し上げたく、記録しておく次第です。

また、現在は新訳の「パイドン」を翻訳中で年内を目安に出版刊行される旨をお聞きしたので付言しておきます。



IMG_1316






プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)
納富 信留
岩波書店
2015-07-23








合評会ではかつての卒業生、古典語学習をする皆さま、プラトン研究をする方々、現役大学生等多様な方々、数学専門教育を行う方々を含め、三田キャンパスにて行いました。

http://ousia.livedoor.biz/archives/52373833.html

合評会(2016年12月23日 午後)





アリストテレス全集〈3〉トポス論 ソフィスト的論駁について
アリストテレス
岩波書店
2014-08








ソフィスト的論駁を納富先生が翻訳されています。
アリストテレスのカテゴリー論、命題論もぜひ全集で読まれることをお勧めします。























2017年4月からはディオゲネス・ラエルティオスをテキストに古典期哲学についての講座が予定されています。


ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)
ディオゲネス・ラエルティオス
岩波書店
1984-10-16




4
2016-11-07-14-23-58


「井筒俊彦全集刊行完結記念講演会」(2016年9月24日)の講演会の多くで取り上げられた英語論文”Langage and Magic”をようやく注文購入しました。
今まで海外で評価されて読まれてきた井筒先生の論文集は日本語翻訳されたり出版されたりしていなかったのだが、慶應義塾大学出版からまずこの著作が、そしてタオイズム〜も翻訳、刊行されるという。

会場では全集のほか他の多くの著作も販売させていたのだが、講演の休憩時間には(人も多かったので)著作をゆっくりみることはできなかった。後でメディアセンターで中身をみながら(この作業を繰り返している)どの順番で全集を買うか決めようと思っていたし、会場ではありがたいことにクレジットカードも使えたのだけれど雨であり帰りの荷物を考え後日買おうと思っていた。

講演会が終わったあとに、ラテン語学習会のメンバーさまたちと、同じ文学・哲学を卒業した学友と歓談したのだけれども、そのうちお二方が数冊著作を買われていたので、思わず、「わ、中身本文拝見させてください」とお願いしてみせてもらい(S様とM様から)、帰宅したら注文しようと思った。
あと3冊は買わねばならないのだが、ようやく手元に届いたのでよみたいと思う。

それからメモとノートの状態のままになっている講演会の内容も備忘録としてそろそろ書いておきたい。

急に気温が下がり、花も少なくなったが庭のばら、ワイルド・イブ、チャイナローズ、ほととぎす、かずら、アイビー、ジャスミンをちいさくいけた。>写真

2016-11-06-07-49-36



ところで、このblogには、コメント(拍手ボタンを押すとでるフォーム/TwitterとFB機能をつける前からあったツール)とプロフィールからメッセージが送られる(たぶんライブドアのユーザーであれば?)があるのですが、
いつもblog管理画面から入ってしまうので、新しいメッセージとコメント、数件いただいていたことを今気が付きました。けっこう時間がたってしまいましたが・・・・こうみえてあまりblog自体に激励や応援コメントを頂くことが稀なので、ありがたく拝読しました。
改めて返信させていただきます。










ダイアリー>庭の花。土日週末腰痛が酷かったので一日前倒しして早朝から点滴に行って来ました。やはり効果が5日程度で切れてくる...明日はもう少しこの効果で症状が軽くなっているでしょう。
青大豆の煮豆を作りました。1晩水に浸してもどし、倍程度になった青大豆をだし、料理酒、水、塩少々のみでにあげます。豆の自然な甘みがのこっていて通常の大豆よりも美味。

エマニュエル レヴィナス
人文書院
2015-10-30



ユダヤ、キリスト、イスラームをそれぞれ異なる「宗教」であると思っている方は多いだろうし、メディア世界とその受容者(要するに我々のような普通の人)もあたかもそうであるかのように報道している。
しかしこの問題はセム系一神教における宗教改革の経過とそれに伴う社会変革を伴っているがゆえに、互いに相いれない状態になっている。(キリスト教においてもさまざまな立場があるがそこには今回は触れない)

自分が未知である考え、価値観であると認めたときにはなるべく、どのような価値性質、志向を採るのかを理解したいと思うことは今までも多々あった。(キリスト教に関してはある程度は理解しているしその価値性質も古代宗教との差異、および古代宗教をどのように取り込んできたかなどとともに親和性も感じる)
イスラームに関しては9.11以降、努めて東洋史とその法制を中心に学んだ。(単位もいくつか取得している、というか一時期は東洋史中東思想史と法を本格的に学ぼうと思った時期もある)

ルネサンス思想を学んでいて、どうしても出てくるのが、ローマ(これは以前からイタリアには残っていた)か古代ギリシア(再発見されたがゆえの、あるいはビザンツ経由か文献経由での)と科学を含む学識系統か、ユダヤ、ヘブライへの道かという分岐点があるように思われる。
要するに例えば、ピコ・デッラ・ミランドラが選択したヘブライズム、カバラとは何か(少なくとも彼が後に最も重視した根源が何か)ということをしばしば、ぼんやり考えている。

そこでレヴィナスのこの書を繙いてみたのだが...

まず中世とは何かをはっきりさせておこう。
レヴィナスによれば、中世とは始まりがあり終わりがある、それは395年から1453年までを指す。

タルムードを一読すると....これが、イスラームや聖書よりも「理解できない」というのが一番の感想だった、こう言ってしまうと身もふたもないのだが、「解らない」(understand=心とともに行く)のだ。正直なところ旧約もそこまで親和性を感じないのだが(あくまで聖典というよりも文学としてである、ちなみに新約聖書が最も世界で読まれている本であるのは今もかわらないが(我が国の人びとがその「本」を未読で大半の生活や経済活動や国際的な活動をしているのもなかなかある意味凄い事だが...)極めて文学作品として感銘を受ける書物であってシンパシーを感じられるのに対して、やはり旧約の神は「怒り」の神なのだろう。(旧約の神はどこか人格神的である)対して、イスラームにおいても初期はやはり「怒りの神」なのであって、「赦す神」になるのはムハンマドが活動する都市を変えてからである。
話しが逸れた。では一体ユダヤ教はいつからあるかといえば、紀元前7世紀のバビロン捕囚の際にはゾロアスター教の影響を受けてより一元化しているといわれている。


「パリサイ派的な意志・・・
「みせかけ(l'apparence)が「現れ」(apparaitre)を変質させてしまう。脱神聖化は新たな別の魔術にすぎず、神聖なるものを増殖することしかできない。」

・・・いかに考えるべきか。
今日の西側(正しくはイスラエルを擁立する側、聖書考古学により聖書に書かれたことはすべて正しい、よってイスラエル建国は正しい、正しいゆえに他(他者)は排除するという古い記述を再生した比較的近代的な問題) と現在進行形で起こっていることも無関係ではないであろう。その問題の根幹の志向性、神(ちなみにイスラームは一者的、有的なものとしてとらえているだろう)の解釈、そのあたりを解きほぐさないと対話不可能な状態が続くのだろうか。そしてこの理解しがたさは、そろそろ、迫害されたユダヤの悲劇(ちなみにユダヤ人とは人種差別ではない。ユダヤ教を進行しているものを指す。)というある意味での思考停止状態から抜け出さねばならないのでは、というのも思われの理由だ。

勿論、この悲劇の事実はもっと言えばさらに考え事実に迫るべきであるし、もっといえば、果たして排他的な多神教はファシズムに近い「あらわれ」として利用されることが多いのではないだろうか。そしてこれらは終わり死語となった話ではないのではないか。

もう一つは、パガニーニ先生の講演を聞いてから(昨年のことである)「宗教」とは何かと改めて考えている。
おそらく、「信じればよいことがある、御利益がある」といったような、自己の利益を願うものや、汎神論はそういう意味では「宗教」ではない。(よくもわるくも)戒律があり、守るべき(またはタブーを可視化する意味での)行動倫理を伴うものなのではないだろうか。・・・我々は楽観的無神論やアミニズム等を漠然と「good(よきもの」と思っているのだが、そうしたことも他者(異なる文化、異なる価値性)を理解するためには省みてみることがよいように思う。

まとまりに欠ける文になってしまったが、個人的読書の備忘録として。



レヴィナス
岩波書店
2005-11-16


サロモン・マルカ
慶應義塾大学出版会
2016-02-06








思考の潜勢力 論文と講演
ジョルジョ・アガンベン
月曜社
2009-12




「...さて『思考の潜勢力』に収録された1990年の難解な長編論文「パルデス-潜勢力のエクリチュール」である。「難解な」と思わずいってしまったのは、タルムードのハガダーからのこの論文が書き起こされ、それが全編を解く鍵となっているからである。

そのハガダーとは、パルデス(楽園)に入った4人のラビに関する話で、ベン・アザイーとベン・ゾーマを待ち構えていたのがそれぞれ死と狂気であったのにたいして、他の二人、アヘルは楽園の木の「若笛を切り」、アキバは楽園kら「無事」でてきたのである。そこにはいかなる寓意が込められているか」
(P.188 イタリアン・セオリー J.デリダを読むアガンベン アガンベンを読むデリダ)

宮古島で風雨で外に出られない時や、夜波の音を聴きながらこの項目を読んでいた。

2016-07-03-13-48-11


窮極の認識への到達をこの寓意は、死、狂気、そして「若笛を切る」「無事」に出てくる、とアガンベンは書いている。
はたしてこの「楽園」とは我々がどのように考えるべきか。・・・・死に至らしめる楽園(窮極認識)とは。
私には今までの読書および脳を含む身体的な限界でのみこれを想像するにとどまっているのだが、・・・この章は実際お読みいただくほうがいいのだが、・・・
実際には発音不可能なヤハウェにせよ、パルデスにしてもおそらく他の概念では再構成可能なものとしかならない。


トーラーは、三田メディアセンターの貴重書展で観ました、またセム系一神教を解釈する際にユダヤ、キリスト、イスラームの差異と共通点も一応学んで何科目か単位も持っておりますが、カバラやヘブライ系のことはあまり理解できておりません。聖書考古学は学びました。
ルネサンス研究会で伊藤先生にお会いしたので、ピコが惹かれたカバラはどんな感じだったのでしょう、とざっくりすぎる質問をしてしまいました。
この寓話がもつ意味をもう少し考えたいと思う。

自然の豊かさ豊穣さ、美しさから得る神的なもの、
あるいは、厳しさ過酷さから得る神的なもの、
またあるいは、星の動きや天体などから不変的なものを感じ観測をした人...
・・・・

備忘録として。


写真は庭のニュード―ン。

にほんブログ村 花・園芸ブログ バラ園芸へ



4
「寛容論」・・・すべては1762年にトゥールーズで実際に載った三面記事に由来している。
ラヴェスという名の若者がカラス家の夕食に招かれた。ところがあいにく、食後に長男マンカントニが地下室で縛り首にされたまま発見される。容疑者は父、母、兄(弟)、女中、それにラヴェス本人である、。その動機に関しては、疑いなかった。(中略)
市民たちの間に内乱が勃発する。みんなは父親ジャン・カラスを「車刑」に処すよう、容疑者たちは女中を含めて、投獄せよ、と要求する。ジャン・カラスは処刑されることになろう。
しかし三年後、マンカントニは自殺だったとわかるのである。

ヴォルテールはこの話を利用して、読者たちを寛容へと誘っているのであり、激情に引きずられることなく、行動の前に考えるよう誘っているのだ。狂信より危険なものはない、と彼は言う。」

(物語近代哲学史 P.136)


行動する前に、激情にかられることなく、考えること。
「寛容論」の文庫新訳がでたことは聞いていたのであらためて近代についても再考すべきだろう。



寛容論 (古典新訳文庫)
ヴォルテール
光文社
2016-05-12


物語近代哲学史〈2〉デカルトからカントまで
ルチャーノ・デ クレシェンツォ
而立書房
2005-07



物語 近代哲学史―クサヌスからガリレイまで
ルチャーノ デ・クレシェンツォ
而立書房
2004-02


ルチャーの近代史は前半はルネサンス思想である。(機

ここ数年、肯定神学的な論調が比較的流行しているせいか、否定神学がネガティブなものと考える向きもあり、否定条件による可能性開示の意味がなかなか理解されないように思われる。
例えば、高次存在を語るときに用いられる説明、時間空間に制約されない、肉体および生成消滅する摂理に制限されない、などの「ない」に対して、じゃあなにもないんですね、というリアクションが簡単に帰ってくることにちょっと戸惑いを感じることがあるため。

ここで、もっとも短くわかる言葉で書いてあるルチャーの説明を引用したい。
(ゴルギアスのロゴスの相対性の項)

「・・・私見によれば、”真理は存在する。何となれば、真理が存在しないとすれば、真理が存在しないという事実も存在しないであろうからだ。”真理(もしくは神(※ここはロゴスという意味での神かもしれない)の存在に、論理を通して接近するための唯一の道は、積極的否定の方法である。」

(P.266 ルチャーノ・デ・クレシェンツォ 物語ギリシア哲学史機.愁ラテス以前の哲学者たち)

*”   ”は著作では傍点。カッコ内※は高嶺による記述

いかがだろうか。

もし、神が全能である、宇宙は無限である、・・・「なのである」この積極的肯定の連続によって、より論理を通して真理に到達できるのだろうか。いや、有限者には到達は不可能であろう、ただしこの不可能性はネガティブなものでもロマン主義的なものでもない。不可能性を限定することで可能がより輪郭を得ていかないだろうか。
それがおぼろげなものから、条件をマイナスしていくことで、我々はこの真理を包括する円から少しずつ光明が見えないだろうか。
おそらく私が理解するところの、否定神学とはこうした可能要素追及の道なのだが、それが、ネガティブであるとひとことで語られ断言されることが、いかに可能性を失うか、そんなことをふと思っていた。
この春から6月、そして、アリストテレス哲学をもう一度読み直すにあたり、いまいちどソクラテス以前の、とくにパルメニデス、ゼノン、エレア派からプロタゴラス、レオンティノのゴルギアスなどを見直していて思ったことでもあり、ノン・フィニートの美というのは決してネガティブや諦観を意味するものではないはずなのだ。

何が正しいのか。
それは容易には得られない。しかしながら、問いかけてくるものに耳を傾けよう。
排除の言葉、強引で説得性のない言説、定理なしの噂、迷っているときにはまだ真実は近くにある。
おそらく、思い込んだときに正しさは遠のいていくのではないだろうか。
ドクサとエピステーメー、これらを見分けなければならないだろうから。

強い肯定、それに同意するように迫るものには一度ばかり立ち止まらなければなるまい。



熊田 陽一郎
世界書院
1996-08




物語ギリシャ哲学史―ソクラテス以前の哲学者たち
ルチャーノ・デ・クレシェンツォ
而立書房
1986-10







2015-07-02-09-26-23


某ワークショップで作った水彩とシルクスクリーン。

講座のこと、研究会のこと、そして「持続可能エネルギー問題」の基調講演、ディスカッションについての記事を書かねばなりません。自分の中で文章化するためにも。





2015-07-02-12-01-112015-07-02-09-26-03

みなみさんからモダンなベースを頂戴しました。
使いこなしたい。黒がダリアやピンポン菊などもあいそう。

白いレースのマットもみなみさから。
最近、月桂樹がたくさん伸びているので、花材にも使用しますし、普通にローリエにもします。







〜月の砂漠〜 アラビア料理レストラン+Cafe <<告知:アラビアンランチ 庭の花:桔梗

5

2015-03-10-14-26-07



3月10日 学習院女子大学において行われたジャンニ・パガニーニ教授の講演会の動画が公開されたのでLINKさせて頂きます。
当日参加したかったけれども行けなかったというお声も聴いたので、簡単な覚書とともに。

なお、ジャン・ボダンについては、法学部政治学科科目/文学部哲学思想史 の科目「政治思想論」で学んだことがあるものの、懐疑主義、地下文書などについてはまだまだ不勉強な状態です。
そのことも含めての覚書です。

当日はイタリアからいらしたパガニーニ先生が2時間ほどフランス語で講演。レジュメと講演の原稿が参加者に配れたので、講演とともに資料とフランス語本文を追いながら私なりに考えていた。
その後40分以上の質疑応答。英語、日本語、フランス語、英語での質問が飛び交い、素晴らしい講演会だった。(筑波大大学院人文社会学科+ルネサンス研究会)

さて、ジャン・ボダンの『七賢人の対話』について、恥ずかしながら私は今回初めてこの内容を知ったくらいなのだが、資料に概要が書かれているので引用したい。



”『七賢人の対話』では、宗教的立場を異にする七名の賢人が、ヴェネツィアの邸宅で「崇高なることがらの隠された秘密」、つまり形而上学・神学の奥義について対話を交し合う。作中に登場する「七賢人」とは、コロナエウス(邸宅の主人でどこから来たかは不明)、トラルパ(自然宗教論者でスペイン人)、サロモン(年老いたユダヤ教徒でどこから来たかは不明)、、オクタウィウス(イスラム教徒に改宗したフィレンツェ人)、クルティウス(カルヴァン派フランス人)、フレデリクス(ルター派にドイツ人)、セナムス(全宗教支持者にして懐疑主義のシエナ人)である。
 この著作にはもう一人、「私」と呼ばれる人物がいる。この「私」は宗教戦争に引き裂かれた祖国から亡命し、コロナエウスの邸宅に朗読者として保護されながら、「私」の祖国の親友に宛て、七賢人の対話を手紙で報告している。(資料より / 清末尊大 『ジャン・ボダンと危機の時代のフランス』1990 P422)”


このように七賢人(古代ギリシアにおいて七賢人(そのうち5名は固定であることが多い)はしばしば語られる対象となっていた、この形式にボダンは倣っているようにも思える)の対話篇的な書物であると思える。
複雑さと多様なバックボーンを持つ、それぞれの宗教的帰属を客観視できる人物たちによって語られているような印象を持つ。

”自然宗教の理想は、「調和」といったプラトン主義的霊感、理性賛美というストア主義的観念、「古代神学」といった古典古代のテクストにかかわる様々な記憶によって培われてきた。”

プラトンの適度さとプラトン主義的な「調和」の概念は少し異なる部分があるのだが、個人的にももう少し簡単な言葉でまとめ、他の人に簡潔に差異を伝えられるようにしなくては、というのは私の個人的な研究課題でもあります。

講演のうち私が思ったことは、やはり自然宗教というと、ユダヤ、旧約、モーセに起源を求めるのが有力なのだろうか、という点だった。おそらく、宗教という言葉が持つ印象はあまりにも拡大・氾濫しているせいかのかもしれない。エジプト起源のものを多神教として、(つまりオキシデントにおける宗教外のもの)とらえるならば、そうなるのかもしれない。この規定によれば、多神教は「宗教」には含まれないからである。ここでも自然という言葉と宗教という言葉が合わさったときに、自然的(おのずからという意味の)に成立をみた宗教という意味なのか、自然に真理・普遍性を見出す宗教なのかでは、だいぶん方向性が異なると思ったのだ。

ちょうど、現在、アリストテレス自然学を学ぶうちで(朝日カルチャー 新宿 納富先生による)、「自然」という言葉、日本語に訳語された自然と、Natura Physis の違いが議論の中で問題になっているのもあり、覚えがきとして書いておきたい。

私の中では、宗教/自然をそのままの意味で、飲み込めるほど自然なものではないからだろうか。

自分でとったノートのほかに、動画で講演全体が公開されたことは本当に素晴らしいし、これから考えてみたい事柄なので(おそらく、この問いは今日の宗教的な問題、国際政治的な問題の根と、問題点の客観化にも有益だと思えるのだ。

この講演会は、イタリア学会と私の研究テーマであるフィレンツェ・ルネサンスにおける日本の第一人者である根占献一先生からお知らせ頂いて参加することができた。先生ともお会いすることができ、本当に貴重な機会をすばらしい環境で得ることができた。3月15日は慶應義塾でも講演があったと聞いています。

Japanese Association for Renaissance Studies
http://www.renaissancejapan.org/





















井筒俊彦全集第4巻『イスラーム思想史』の第3部スコラ哲学(Falsafah)の章で書かれているアヴィセンナ、アヴァロエスについて。メモ。

アヴィセンナの「偶有」概念について。この概念はイスラーム思想史上、問題を引き起こした。
井筒はそれを 偶有と実体の関係と少し違って偶有と本質という次元で引き起こされたと書いている。アヴィセンナが存在を本質の一つの偶有として解いたところから始まるという。

事柄は存在論的に二つの要素から成り立つ。一つは現にそこにあるもの、もう一つは「人としてあること」「Xがある」というときのもの。
メモなので端的に書いていくが、限にそこにあるもの、とは私でもあなたでも花瓶の花でもいい。いずれ時間が過ぎれば死んだり朽ちたりする、またうまく作られた家具や、使えなくなった文房具などなんでもいい、そこにあるものである。
(このことで、プラトンとディオゲネスが大喧嘩になった、ディオゲネスが自分には机はみえるけど机そのものなんてものは見えない、と言ったところ、それは知が足りないからだということになり喧嘩になった。こういう議論は今日とてよく目にする。個物認識は感覚の働きでそれそのものを捉える・とらえようとするのは知(ヌース)が必要になるということ。)
だが、美しい花、良い馬というものは個物とは別にある。
これは良い馬という場合、それを満たす条件があり、その条件を満たす(十分条件的に)場合は「いいね」と言われたり評価される。
(ちなみに、「馬」の例が出されるのは、おそらく君主らにとって必要とされた知は主に治世と戦争と法のことに関するためだと思われるのだが...)

そして本質が具現化する際に能動態(どれだけか、どのようにかなど述語部分)によって個物の存在に影響する。おそらく、偶有性はこの作用に関わる。

「「本質」とそれの偶有と考えられた「存在」の関係はそうは行かない。「存在」という偶有、あるいは性質が、初めからそこにある「本質」に宿りに来るということはあり得ない。なぜなら、そこにあるとは「存在している」という意味だから。「存在」が偶有する以前の状態では、「本質」はないのであある。・・・・(P.442)

ここは「存在」という言葉をどう定めるかで解釈が異なる部分ではないだろうか。
「存在」(有)をそこにあるという意味で限定するのはおそらく実存的な立場であって、「有」を存在とするならば(ここが西洋思想の大半にも関わらず、多くは理解がぶれるところだが)、そこになくとも「存在(有)」はあるものとして「存在する」と呼ばれるのだ。
(このことは、ルチャーがパルメニデスの項目で不満を述べており、眉唾だと批判している、気持ちはわかるのだが、事態はパウル・クレーの絵画の芸術性のように曖昧にして眺めておくわけにもいかない。そこにある、ないという存在次元ではたしかに「実在しない」ことは「存在しない」と語られるのだが、そのように想定できたという可能態としてはある(有)とするのが「存在」という言葉が西洋思想史上(すくなくとも古代から近世まで)の考え方で、厳密にいえば現在でもこの立場のほうが正確だと思う。
だから存在しない、ということも一つの現象・表象であってそれは可能態×偶有性で実在の関連するといえるのではないだろうか。

段々記述が脆うくなってきたが、常々感じる訳語の問題で、「存在」という言葉がもつ物質的な特徴、人称的なイメージが理解を妨げていると感じる。日本やドイツといったアミニズムが残る地域ではこの傾向が強いように思う。神が死んだとか、神様にお願いするとかそうした志向から判断すると、なのだが。


「アヴィセンナの哲学では「可能的」は「必然的」と対立する。すなわち、「あり得ないとも限らない」し、そうかといってまた「あり得るとも限らない」ものの意である。」(P.444)

必然には疑問や偶有性はありえない。一神教の絶対性とはこの必然におっていると思う。
しかし必然的に対して、可能性という範囲が広がれば必然の決定的な力は根拠を失う、人に対しても同様で、「動くもの」「他のものになる」ことの「可能性」によって、絶対的に定められるものではなくなる。身分固定制や封建制はこの必然性を根拠にしている。
アヴィセンナの存在論体系に対してアヴェロエスが批判したのはこの点になる。


潜勢力という概念が、13世紀におこるがこれも同様である。

遇有性によって、存在はなにも定められていない、という理解は、一神教の神と人間の関係を揺るがすことになるので、イスラーム世界では歓迎されなかった。
実はこの働きは、そのままピコの思想、フィチーノ思想に現れる。
特にピコの「人間の尊厳について」(出版時のタイトルと周知されているタイトルだがピコはこのタイトルを用いてはいない。ある優雅な説教のようなタイトルだった)にはその影響がみえる。
フィチーノが「魂の不安」について書いたのも、この定められていないという本性によっていた(と思われる)。ピコの説教が比較的最初のカトリックに対する宗教改革的発言で、これがイタリアの内省的な宗教改革の動き(ミケランジェロなどにも見られる)から北方でいわゆる「宗教改革」になるのだが厳密にはこの働きよりも、イスラーム→ルネサンスの時期のほうが宗教改革的な思考であると考えられる。これはすでに自論で述べたことなのだが改めて思想史的なルーツを確認したくなる。

結果的にはピコとフィチーノは異なる結論に至るのだが、第一原因という概念を用いて「神」を説明したブルーノの思想もこのあたりが端緒になっているように感じる。(清水純一著作とブルーノ著作を参照)


『意識と本質』で語られる「本質(マーヒーヤ)」などの説明もこの巻が詳しい。だから主著『意識と本質』を読む前、あるいは合わせてこの全集4巻を読むほうがいい。
それからアリストテレスを読み返しながら接したほうがいい。
述語部分、あるいは能動態についてさらに区分して考察した論が中心になるから。


異なる目的で調べものをしていたのだが、息抜きに読んでいるうちにメモを書いておきたくなった。(図などで書いて整理していると抽象的な事柄が把握しにくくなってしまう)
おそらく間違えているか理解不十分なところがあるとは思うが、それも現在の状態...
より理解できるようになればよい。

それからこうしたことを形而上学だけの問題と思うふしにはあまり同調しない。
こうした事柄は実際のことがらの良しあしや選択に関わるためであって、極端にいえば日常的なことがらも無関係ではないからだ。)日常的なことの大半がこうした思考を延々へて選択するわけでもなかろうが、それでも無関係ではない。
法とか制度、あるいは在るもの、作られるものすべてはこの関係に連なっている。




4
友情について (岩波文庫)
キケロー
岩波書店
2004-04-16




キケロー 『友情について』

キケロー『友情について』『老年について』は二大読むべきものだと思っている。しかも度々読み返す方が良い。


23節 
「友情は数限りない美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ。それは、真の友人を見つめる者は、いわば自分の似姿を見つめることになるからだ。
それ故、友人は、その場にいなくても現前し、貧しくとも富者に、弱くとも壮者になるし、それは更に曰く言いがたいことだが、死んでも生きているのだ。」


他を媒介して二度三度と甦ることを後にマルシリオ・フィチーノが『饗宴注解』に書いている。フィチーノを読んでからキケローを改めて読むと、初期ルネサンスの人文主義者らがキケローを規範にしていたことをフィチーノも受け継いで自らの説に取り入れているのが解る。
つまりアリストテレスは友情をそれほど評価していなかった、ここにプラトンと新プラトン派を融合してもおそらくはフィチーノの立場は生まれていない。(この価値観は長く欧州の伝統となっている)アリストテレスのフィリアにプラトンのエロース(愛)を加味しただけでなく、レプブリカの礎としてのキケローが不可欠なのだと思われる。

レプブリカ(共和国)、パブリシティの基礎としてキケローは高等教育で学ばれるべきだと思うのだが。

44節

そこで、友情の第一の掟をこんな風に制定しよう。
「友人には立派なことを望むべし、友人のためには立派なことを成すべし。頼まれるまで待つべからず、常に率先し、逡巡あるべからず。敢然と忠告を与えて怯むことなかれ。善き説得をなす友人の感化を友情における最高の価値とすべし。勧告にあたりてはその感化を率直に、かつ必要に応じて峻厳に用い、感化の及びたる時は従うべし」


Cicero
LAELIUS DE AMICITIA
44B.C.

以前も引用した記憶があるのだけれど、こうしたものを共有すればよいと思う。


一般的に新年度は友人関係に悩む季節らしいので読み返してみた。
キケローが書き残しているのは、その当時もそれを明瞭にする必要があったからであろう。
事実、友情とは呼べない事例がたくさん上がっており、それを整理するうえで条件づけを行って語られていくのだから。キケローの生年は紀元前106年で没年は紀元前44年。

友人とは何か、どのような存在を友人と呼んでいたのか。
今日ではどうなのか。その問題点は何か。



5
三田文學 2014年 05月号 [雑誌]






先週届いた三田文學117号に「井筒俊彦 生誕100年」が特集されている。

まだ読み途中なのだが、「神秘を歩む言葉ー井筒俊彦の暗夜」という納富信留先生の寄稿、「井筒俊彦とキリスト教 存在論的原理としての愛」を書かれた山本芳久氏のテキストが興味深い。

一と多の問題、および「愛(エロース)」「美」、知識としての「光」などはいずれも抽象的なものではなく、存在と実体の根源に関わっている。


興味深いと書いたのは、山本氏が井筒俊彦先生がカトリシズムに対する親近性を存在論の原理として読み解いていたという指摘である。

カトリシズムと哲学は実のところ関係性が深い。信仰か敬虔か、といった問題は1400年代半ばのフィレンツェではフィチーノが両立させようとしていたが(このあたりは社会史をみるとよい)、イスラームにおいてもアリストテレスとコーランは対立しないといったような主張は中世においてなされてきた。
合理主義と神話性が高いように思えるプロテスタンティズムに関しては、ルター説は、キリスト教の本来性を信仰に結びつけたため、実の所一部逆行している面がある。

普遍についての洞察、おそらくそれが両者の差異なのかもしれないが(普遍をあくまで敬虔主義・統計的に導き出すという方法がおそらく現代なのだが、それで十分というわけでもない。)

プロテスタンティズムではある程度の非科学的なものは取り除かれたのだが、しかしながらカトリシズムでは神学という範疇で哲学や数学が学ばれていたのだ。

本文で扱われているベルナルドゥス、ベッケル、「意識と本質」もまた読み直したい。

ところでキリスト教思想を考察していた15-16世紀では、主にヘブライ-カバラ化(一神教/信仰)へ向かう部分と、多神教(ギリシア・ローマ/哲学・自然学)へ向かう部分があるように思うのだが、内面的な問題は枠組みの在り方に関連するために何に価値を置くのかという価値性にも関係する。

フィリアとアガペーを結びつけたのが近代(ルネサンス的な価値観)だと思っているのだが、アガペーとエロースの立場もまたあるように思う。我々が良い(憧憬)と思うものを愛するのも認証、自己保存の一部とはいえ、それは普遍的な原動力なのだと感じる。


・・・・

未刊行作品の「風景」も掲載されている。
じっくり読みたいと思った。

ほかに小説 「仮蜜柑三吉ー蛾」(いとうせいこう)等掲載。

慶應義塾大学出版会
2014-04-10



5
 
P1170139



P1170140


加藤信朗先生著 『哲学の道』

加藤先生の講座『パイドン 第2期』の初日講義に行ってきました。
前期は2回出席するはずでしたが、第3回は、義理父の病院付き添いのため参加できず、第四回のみ参加し、(このブログにも過去記事 白鳥の歌 セイキロスの墓碑の関して書いてあります)年明けの参加ができて本当によかったです。

ディアクレティケー、一と多の問題は、『ピレボス』を読んでいたときにかんがえ、一部まとめていたことでもあり質問させていただきました。大変丁寧にお答えいただき、講義もお忙しいところを質問・・・
先生の本にお名前を頂けますかと伺ったところ・・・・

『アポロギア』の最後の部分が一番好きなところだから・・・・と、ギリシア語で書いて下さいました。
私にとっては、学ぶことは「名」の問題ではありません・・・
やはり自らの在り方、それが属する世界の在り方の問題なのです。
帰りは、松永氏訳(今回のテキストは先生が指定された松永氏)の『パイドン』を読みながら帰りました。

哲学の道―初期哲学論集
著者:加藤 信朗
販売元:創文社
(1997-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る



講義の前には、慶應義塾言語文化研究所主催『ウェルギリウスとホラーティウスーラテン文学公開講座』で第2回目講座(日向先生の講座)でお会いし、同席した他大2年生でイタリア語やラテン文学も学ばれているIさんと新宿でお会いしました!Iさんはシエナに留学されるので、その前に会いましょうといっていたのが実現できてよかったです、ほんとうにイタリア、美術、都市の話がつきませんでした。
年始に、京都大学・助手の山下太郎氏に、公開講座の資料を(わたしの書き込みがありますが・・・・)郵送でシェアしたときにIさんの分も用意したので、それをお渡しできたのでよかった。
本当に、学ぶための意欲は愛情が必要なのだ、と思いました。


山下氏がお礼に・・・・とご自分のサイトで夏の講座の資料を公開してくださいました。
サイドバーのリンクからもいけますが、以下のページです。

======


昨年の夏に山の学校でラテン語の夕べを開催しました。そのときの発表原稿と資料を公開します。

======


1月30日には書籍も出版されます。
 題名:ローマ人の名言88
  著者:山下 太郎
  出版社:牧野出版
  発売予定日:2012年01月30日
  発行形態:単行本
  ISBN: 9784895001526 (4895001520)
  税込価格:1,470円

  こちらから予約できます。

P1020985

写真は昨年5月のL.D.ブレスウェイト.
あまり本文とは関係ありませんが、育てた花にせよ、買った花にせよ、頂いたりする花にしても、私は枯れた花をゴミとして捨てることができないので、土に埋めもどすことにしています。
生命あるものを物としてみなすことができないがゆえに。


ヒュパティアは数学者の娘であり女性哲学者だった。
(私としてはこの呼称自体、ある種の偏見があると思うのだが)
アレクサンドリアの新プラトン学派の学校長になり、ストア派、アリストテレス哲学、所有物軽視について論じた。

しかし反ユダヤ民族主義的な大虐殺が当時おこり、ヒュパティアはその友好関係のために最悪の事態に遭遇した。
ユダヤ人でなかったのだが私用で馬車に乗っているときに、捕らえられて激高した信者の群れによって引き裂かれ,40歳で死亡した。
民衆の言い分は、彼女が「真の女性らしい」行動をしなかった、つまり男性の地位に就き公の学校で教育したと弾劾したのもその理由だった。

今日とて同じような理由で学問自体が禁じられる場合はいくらでもある。
「そのようなことはない」というのはそれが露見しないだけであり、事実として語られないからである。

学問が禁じられたり、公的な役割を果たすよりはいわゆる「内助の功」のような役割をすることが「美徳」とされる。
また、多くの場合は「そんな必要もなく、金銭と時間の無駄だ」と言われる。また「女性」であるというアイデンティティが非常に強い人(つまり個人の自覚よりも「妻」「女性」「母親」といった役割と存在事由が同一で疑うこともない人)からは、それ以上の感情的な理由によって、ほぼつるし上げのような状態が起こる。

ボエティウスは、東ゴート族の王と良好な関係をむすぶことで異例の出世をした。しかし突然万事が悪くなった、親ゴート族のキュプリアスという卑劣な人間が中傷をもってボエティウスを告発し、弁明したが捕らえられ、有罪となった。プラトン、アリストテレスをラテン語に翻訳しようとした最初の人だった。パヴィアの塔に監禁されている間に『哲学の慰め』を書いた。ほぼ死ぬ直前のことであって、・・・北方・ゴート族の刑罰は18世紀になってもひどいものがあるので(これをよく調べるようになると、よく問題になるカトリックの火刑はまだましだったのではないか、それゆえに何の罪もない人を火刑にしたフランス王シャルルが「善人」といわれているナンセンスなことがらも、多少は説明できるように考えられる。私見に過ぎないのだが、この刑罰が「見せしめ」であると同時に「尊厳」は「記録」されるからではないだろうか。刑死、暴力死は現在でも残っているが、これが隠蔽されることの問題はあまり問われていない。そして、この制度が存在しても、暴力自体(言葉の暴力も含む)はなくならないのである。応報はどのように断ち切るべきなのか。)


私が理解できないのは、嫉妬、羨望、および嘘を言うこと、また一方的に自分の都合を押し付けてくることに無自覚なこと。

私自身は偉大なもの、驚嘆することがら、人物などに対して称賛とか自らの在り方を問うことや改善したいという気持ちが興るのであって、それをねたましく思うとか、非難するという感情自体が理解できない。


常に万事がだめになるとき、権力と権威に関わるものがこうした言動に出ることによってその後よりすべての状況はより悪くなることがある。
忘却、暴虐、理不尽といったことが蔓延する、と思うことがある。

恐ろしいのは、かつて自らが否定し抗ったはずのものに、いつのまにか気がつかないうちに同じ過ちをしていることである。
真の自己認識を行うのは難しい。

だが、自分自身の内に、自我の分裂がおきている場合、主観と客観が真に別のものとして「純粋に」在ることができるのか?

純粋理性とすべてをできるだけ精緻に記述する方法をもって、また見たものを、常に質料、形相、作用因、・・・・可能態、現実態といったように分析的に日常ですらみていると、ほぼ感覚でとらえたとおりには、「現象」しなくなる。

「在るもの」とは実のところ感覚しえない、「存在する」以前のものをとらえることであり、・・・なぜかイタリアやトルコの人と話すときにはこうした了解が、在るためか、意思疎通にそれほど苦労することはない、のだが...

国内にいてそれがうまくいかない場合には、なぜか(私には理解できないのだが)、相手よりも自分が「上」であるという立場を保たないといけないという意識が強い場合には、まったくコンタクトがとれない場合も・・・生じる。閉じた言語の用い方がなされているからなのかどうか。

読むこと、および理解することは、自分に留まっている状態ではけして理解できない。

それはおそらく、現在の自分が在る場から「動く」ことによって初めて生じてくる、「開かれ」−了解の地平なのだ。

観ようとしなければ、何も見えてはいないし、知ろうとしなければ、正しく知る事もできない。

タイトルに書いたことは、ほぼ1日に5回以上は自問する事柄である。

その理由は、私自身は次のようなことがらを求めてはいないからである。
即ち「真なるものよりも、自らが傷つかないこと、気分よくくらすこと、「癒し」や「救い」を「待っていること」を望むこと、絶対に自分が正しいという立場から他を非難してばかりいるといった状態」こうしたことを望んではいない。

しかしながら、それを望むことが大多数の場合、「不在」であること、「不在化すること」が望まれるからである。

私としては、なすべきことをできる限り形にしたいと思っているし、理解するべきことを理解したいと思っているのだが、それを無意味であるとかほかさまざまな理由によってやめるように、具体的には父親から「死ぬように」昨年の夏以降言われつづけているという状況がある。今に始まったことではないのだが・・・
また普段仕事の関係で遭遇する事柄としては、能力も学力も十分であるのに、親の価値観から進学できないという人が未だにいるからなのだ。
(そして実際のところそれは貧困のせいではない、親の欲望が強く限度がないことが理由であったりもする。または最初から蓋然的になり、主観的に「その必要はない」と決め付けてしまう。)

またやはり同様に、父親の無責任さによって努力が無駄になるということがらはいくらでもある。家父長制はうまくいけばいいのだろうが、必ずしもそうではない、ということなのだが、今現在であっても個人が学んだり、探究するためにはその権利はそれほどは保障されていない。


これは憶測ではなく、経験上のことがらである。


タイトルは実のところ私の心境でもある。大抵の人は10代のころや子ども時代楽しい記憶があるのかもしれないが、私の場合はそうではない。
(拡大家族や古い家に育った人ならそうかもしれないのだが。よって私としては「まだ若いのだから」と言われるのが苦痛である。ボエティウスが夢にみた哲学の寓意、老婆に姿のほうも成り代わってもらいたいものだ、とさえ思う。)

ところでこのタイトル「生きるべきか、死ぬべきか」という台詞にしろ、シェイクスピアの37の戯曲にしろ、哲学なしには成り立たないといわれており、古い仮説が存在する。
「シェイクスピアはフランシス・ベーコンか」というもので16世紀末、17世紀初頭と時代は重なっている。
(同一人物というよりは、当時の英国では何かしら間接的な影響力が作用したと考えるべきかもしれない。ただ、直接的に関与するには階級の問題が壁になっていたかもしれない。北方のパトロネージは間接的であり個人的な友愛・庇護によるものではないことが多いから、ではないだろうか。)

そして自問してみるのだが、私も同じような憶測に頼りすぎていないだろうか?ある作品とある思想の類似を過度に結びつけようとしていまいか。

常に自己認識に注意をすることが重要であるという考える次第。



3
私たちを"漠然と"困らせたり、怖がらせたり、絶望させたりするもの、
中世ではそれは至福千年説で、1000年の日に世界が終ると思われており、その前には人々は(最期の審判が近づいたと思われたため)いたって善良だった、らしい。
だが、何事もなく、1001年になり、人は前よりも悪いことをし始めた・・
こういったことは、じつのところ今日にも残っていまいか
(近代が実は中世の連続だというのは、考えてみる余地があるだろう。
たとえば廃藩置県のあとなおもこれほど狭い国で47都道府県もあるとは!ドイツの小国君主時代ですら(たしか63国であり、アメリカはあの国土の広さで55州である。・・・)
2001年9.11のNYや、2011年のエジプトも、なにか・・・この千年単位あるいは10年単位で、ある心理作用が契機になっていないかどうか。
だいたい2000年になる瞬間に、コンピュータが機能停止になると、日本のテレビでも騒いでいた。そして「めでたく」2001年になったとき、近代国家の大半は花火をあげて喜んでいた!

物語中世哲学史 アウグスティヌスからオッカムまで
ルチャーノ・デ・クレシェンツォ
而立書房
2003-11-25



以下はルチャーノが語るところだ。

「実はわれわれがどの年に生きているかさえ、知るのは難しい。われわれ自身、それはわからない。ヘロデス大王が紀元前4年に本当に死んだ、したがって、キリスト没後4年に嬰児虐殺を命じることができなかったとしたら、また6世紀にディオニュシオス・エクシグウスが、16世紀にルイジ・リリオが、太陽年の正確な持続期間を計る際に重大な誤りを犯したのだとしたら、イエスは誕生したと信じられたときには誕生しなくて、少なくとも紀元前6年に誕生したことになろうし、だからこそ我々は2003年ではなく2009年(したがって2014年かもしれない)に生きているわけだ。」

私がこんなことを書くのは、すべてを疑えといいたいのではなくて、何もかも信じ込むのは、だれにとってもよくはない、集団ヒステリーや、暴力行為を民主運動と混同するのはよろしくないと思うからであり・・・

アメリカの主流派は、まだ66%の人が聖書に書いてあることはすべて真実であると答えているのだから..私見では、我々にとっても無関係な話ではない(と思われる)...。
大量破壊兵器があるという開戦理由も、私はカプラのTURNIG POINTを読んでいたこともあって、あまり信じてはいなかった。「テロとの戦い」というスローガンも、行為というもの自体を標的とすることによって不鮮明で定まらないものに流されるような気がしたものだ。
(当然ですが、テロ行為を肯定するわけではありません。)

漠然とした恐怖感がもたらす実際的恐怖・人的被害・暴力などを避けるべきだ、と私はおもうのだが。より善くなる(なれる)と働きかけることのほうが重要だと個人的には考えているのだが。

1980年後半あたりから、なぜか至福千年説のように、「ヨハネ黙示録」が流行っていたし、異星人特集も妙にされていた。
無知な人はすぐに信じてしまうだろうし、ひどい場合には懐古趣味的にリバイバルされたりもする!
中世でも異星人や、超常現象について、また病気などの恐怖は蔓延していたし、説教師たちは怒って叫んでいた。今日では、TVコメンターが、あまり信じがたい説明的でない解説をしているのに少し似ている。



私見ではG.アガンベンはこの角度から、支配というものを見出そうとしている。私は、「ルネサンス」のあとにすぐ「北方宗教改革」が教科書的に書かれていることを問題視しているからかもしれない。
(というよりも、現在の歴史の教科書(義務教育)にはルネサンスもフランス革命も削除されていることが多いのだが...。)

個人的な近況としては、ようやく痛み止めを出してもらってきました。
なかなか時間を見極めるのが難しい時期です・・・・

物語中世哲学史 アウグスティヌスからオッカムまで
ルチャーノ・デ・クレシェンツォ
而立書房
2003-11-25


261 私たちはひどく思いあがっているため、みんなから認められたがるし、もし誰かが私たちを認めなければ、立腹するのである。

299 人間は概してひどく狂っているから、狂っていないということは、別の種類の狂気にかかっていることを意味するだろう。

134 多くの人びとは迷信から信じており、多くのひとびとは放蕩から信じないし、最後に少数の人はそれらの中間で待っている。

・・・

姉ジルベルト・ペリエによればパスカルは12歳のときに最初の論文をかいた。彼の教育はすべて父から得たものだったが、父親は才能に気がつくと、ラテン語や語学といった職業のための学問より数学に熱中することをおそれて数学と幾何学の学習を禁じたほどだった。しかし、パスカルは一人で(父には内緒で)ユークリッド幾何学の命題32まで解き明かしてしまったといわれる。19才のときに最初のコンピューターを考案した。考案するのは容易だったが、これ(パスカリーヌ)を作るさいに職人たちに理解させるために2年が費やされ、健康をますます害してしまったといわれる。
(思考することや考案することよりも、理解を得ること、<かたち>にすることのほうが困難であることが多いが)

彼は名声や金銭を得ることには関心はなかった。「真空論」は断片しか残っていない。 

「パンセ」はブレーズ・パスカルの死後に、友人たちがまとめて出版したもの。たいてい、「人間は考える葦である」というかなり切り取られた文によって説明されている。だが、これではルソーが「自然に帰れ」といったと誤読・曲解され、内容を理解せずに、あたかもキャッチフレーズ化するように聞き流すようなものだ。

377 「人間は1本の葦である。自然界に存在するうちでもっとも脆弱な生き物である。しかしそれは考える葦である。宇宙が彼を押しつぶすためには、そう骨折るには及ぶまい。水滴だけで十分だ。けれども、たとえ彼を殺しても、最良のものでありつづけるだろう。それというのも、これは死ぬべきことを知っている葦であるが、他の葦はそのことを知らないからである。」

40歳に満たないときに、亡くなった。

パンセ〈1〉 (中公クラシックス)パンセ〈1〉 (中公クラシックス)
著者:パスカル
中央公論新社(2001-09)









・・・今日では、「死の必然性」についてどれほどの人が自覚するだろうか。余命宣告されたらその意味を問いはじめるとか、あるいは逆に叶えられないであろう欲望についてさらに思いを募らせ問うこともないこともあるように思える。

生涯の軌跡 (メナール版 パスカル全集)
著者:B. パスカル
白水社(1994-06)

第65回 過去記事で参加ブログトーナメント - その他ブログ村
第65回 過去記事で参加ブログトーナメント


物語 近代哲学史―クサヌスからガリレイまで
ルチャーノ デ・クレシェンツォ
而立書房
2004-0

2