1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

タグ:三田

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朝倉文夫 <平和来>

1932年卒業生有志寄贈

1952年 ブロンズ

明治期から戦後まで活躍した彫刻家朝倉文夫の第八回日展出品作品。この像は、「平和来」というタイトルにふさわしく、戦没塾員(*慶應義塾では卒業生を塾員とよぶ)の霊を慰める趣旨で1957年に寄贈された。
台座には、戦時中塾長であった小泉信三の碑文が刻まれている、若々しい青年の姿は、還らぬ尊い命を偲ぶとともに、新しい平和の時代に未来を担うべき者たちを励ますようにキャンパスの学生をみつめている。



夏にメディアセンター・図書館にいくときにはかならず、朝倉文夫の平和来の近くにいくようにしている。




ここのところ、長いテキストの多くが(まとまっているとはいいがたく備忘録が多いのだが)演劇・舞台鑑賞の類が多い。多い..のでプラトンを多少なりとも学んだ自分は、件の「詩人追放論」を思い出し、良心の呵責を覚えたりもするのだが....

栗原裕次先生の<イデアと幸福>を読み、一部分だが引用させて頂こうと思った場所がいくつかあった。
コピーするだけではなく、数ページだったらノートに書き写しもした。

「プラトンが詩人追放論を唱えていた根幹には、青年や子どもには「いかに生きるべきか」を「社会の規範」を植えつけ、ドクサの夢を見ながら眠り続ける大人には甘く快い子守歌を聴かせるのみで、生の原理を積極的に吟味する機会、生を択びなおす機会--を与えない。ここにプラトンの眼差しは向けられたのである。」
(哲学と詩の闘争 p.206-207)


そのあとは実際にお読み頂きたいが、もう少し引用させて頂く。
「彼(プラトン)が対話篇の中にちりばめる豊かな芸術的要素に注目すべきだ。とりわけ『ポリティア』をはじめとする中期著作は、魅力的なミュートスや比喩、アナロジー等、文学的色香に満ちあふれている。それらば、合理的思考(ロゴス)が行き詰ったときに導入され、新たな地平への跳躍を可能にし、さらなるロゴスを誘発する。」
(同p.207)


対話篇を読むにあたり、プラトン対話篇がもつロゴスと詩的比喩のバランスについて関心があるため得心した箇所だった。(ない人はプラトン対話篇をそれほど読まないはずだから)

毎年夏に開催されていた後期対話篇をめぐる講演会で何度か栗原先生には直接お話も聞いている。


久々にまとまった時間を図書館で過ごせた。

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栗原先生、納富先生も書かれている加藤先生米寿記念哲学論文集






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先週、小又先生の数物復習会と古典ギリシア語学習会へ。みせていただいた、ギリシア語語彙の小事典。
日本語訳のほうは兼利先生が紹介していて、それを小又先生も見せてくださいました。




学習する教科書に引用句があり、スエトニウス。これは「ゆっくり急げ」が有名になっていますが、スエトニウスが書き記すところによる「皇帝アウグストゥス(オクタヴィアヌス)がこういった」という体裁なのですね。
それでアウグストゥスはギリシアポリス時代の学芸哲学やギリシア語を好んだ人物だったので、スエトニウスの中ではこの引用はギリシア語でかかれている(けれども文庫でぱっとみたところは気がないかもしれない)。

小事典のほうは、ドイツ語の原典をみせて頂いたのですが、プラトン、クセノフォン、など主な古典著作の用語がまとめられてもいる。

上の写真は文京区教育センターの桜です。

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その前に、トマス・モアとルネサンス思想史etcについて三田メディアセンターへ。

22日から貴重書展がはじまると聞いてポスターもみていたので、受付で手続きされるとご覧になれます。

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幻の門のあたりにもさくらが。

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まだ先週の記事です。それどころかその前の記事もまだ書けてません!!
関東ラテン語のメンバーで食事会があったのですが今回は出席できず残念......ギリシア料理といえば私はスピローズ...

風邪とアレルギーで薬がきれて起きてしまった。



創刊一〇〇年三田文学名作選 創刊一〇〇年三田文学名作選 [単行本]

セレモニー、懇親会の後に万来舎へ立ち寄りました。
タンカレー・ジンとゴードン・ドライジンのキャンペーン中で、マティーニとジン・フィズがキャンペーン中。
私はタンカレーでマティーニにしました。
とっても冷えていて美味しい。ここ数年で一番美味しいマティーニでした。
グラスがとても良い。
薄いガラス、安定感あるバランスがよい脚の部分、硝子の静かな耀き。
パレス・ホテルのオリジナルだそうです。

鎌倉文学散歩 (カラーブックス) [文庫]ライブラリーで見つけた本。
これは持っていて、読み把握しつつ鎌倉に行きたいと思ったのでした。



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旧図書館、南校舎をくぐると、大銀杏のある広場へでます。



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編集部の方ともお話、ご挨拶しました。
総会は巽先生の進行、新理事に粂川先生のお名前があり、総会のときにご挨拶しました。
ゲーテ、ゴジラ(アートセンターで本が出ています)の研究会にもお邪魔しています。
粂川先生は東京新聞で月に一度、記事を書かれています。

当日の様子は久々に紙の原稿用紙にまとめるか時数を考えてコンパクトにまとめてみたいとは思っています。


安宅 夏夫
保育社
1993-07


慶應義塾大学出版会
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三田文学会

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=イタリア統一150周年祝賀行事公式イベント=

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ヴェネツィア本島滞在経験者としてぜひ参加したいと思う講演・行事です。
リソルジメントはマッキアイオーリ展(庭園美術館/フィレンツェ ピッティ宮敷地内の近代美術館からの出展)や西洋史学を通して学んでいますが、イタリア統一150年にあたるのですね・・・感慨深いものがあります。

http://www.il-centro.net/dante/150/index.html

以下リーフレットより抜粋**

 18世紀イタリアを代表する喜劇作家であり、近代演劇の父と謳われるカルロ・ドルドーニル(1707-93)。その足跡をたどり、彼が活躍したヴェネツィアの街と文化にスポットライトをあてたドラマ・ドキュメンタリー映画<<カルロ・ゴルドーニ ー 世界の大劇場ヴァネツィア>> 「Carlo Goldoni」(A.ベッテーロ監督作品)をこのたび日本で初めて上映することになりました。本作品は、イタリア政府文科省から優れた映画に与えられる「フィルム・デッセイ」に選ばれたほか、各国の映画祭ですでに上映され、数々の賞に輝いています。(中略)

講演ではイタリア演劇 オペラ研究者による講演会を開催いたします。

****

2011年 9月16日(金) 講演17:00〜 (慶應義塾大学 三田 北館ホール) 詳細はこちら
主催 慶應義塾アートセンター ダンテ・アリギエーリ協会東京・名古屋支部 後援;イタリア大使館


私見ではイタリア喜劇は、ギリシア悲劇とはことなる系譜で、コメディア・デル・アルテ〜→ウィーンへの影響(喜劇要素と悲劇要素の境界をなくしたのがシェイクスピア)などをへて、ヨーロッパの演劇の源流(ローマ時代)の一つといえます

先日記事にした、「輝ける青春」はDVDを購入...まだ途中ですがいずれもまた感想をかけたらと思います。続きを読む


いろいろと書き溜めていることがあるのですが、25日田町にてお会いできた皆様に本当に感謝です。

たくさんお名刺を交換させていただき、Co.Ltd  代表取締役の方がたくさんいらして大変な期間でしたがそれだけに得ることも多かったという実感です。

類似した目的や志向を持つ方がただ集散していくのではなく、通り過ぎることなくするには・・・つまり公共性やカフェ・コーヒーハウス(サロン・バール)などあり方はさまざまですが、やはり「場」が必要と感じます。
コミュニティとしての場、名前ある個人として、また他者を尊重しなければ個の自覚も、共同体の自覚も生まれないと思うのです。


高齢化社会と日本人の生き方―岐路に立つ現代中年のライフストーリー高齢化社会と日本人の生き方―岐路に立つ現代中年のライフストーリー
著者:小倉 康嗣
販売元:慶應義塾大学出版会
(2006-12)
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私は暗くなると視力低下の問題もあり、駅や場所まで一緒についていってくれた方、先生方、お話しさせていただいた方、ありがとうございます。いろいろな方が思いもかけぬ縁でつながっているという実感でいっぱいでした。身体的にも、8月の多忙の中でも特にこの数日は個人的にも状況面でも大変でした・・・
メッセイジをいただいた方、ほんとうにありがとう。
大変なこともあるけれど、「試練は選ばれた人に訪れるようです」「今日もいい日にしましょう」という言葉に励まされましたし、いろいろな個人的な苦境も心からのメッセイジをくれた先輩とも会えました。

また私が熊田陽一郎先生がご存命でお元気だと聞けて、「プラトニズムの水脈」「美と光」などを文献としている私には本当に嬉しいことでした。

かつて有末先生から薦めていただいて参加させていただいたオーラルヒストリー学会のことも小倉先生から伺えて、やはりこのことにも関心(とともにアイデンティティの問題としても)がある私としてはとても充実していました。

グアテマラ虐殺の記憶―真実と和解を求めてグアテマラ虐殺の記憶―真実と和解を求めて
販売元:岩波書店
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オーラルヒストリー学会出席後に購入した本。
虐殺は、強制的に徴兵された兵士たちによってより弱者へと向けられることが多いのではないだろうか・・・・と私は読んでいて思った。こうしたことは克服されておらず、無自覚なまま繰り返されるー否繰り返すのではない、多少ましになるか、より野蛮になるかのいずれかなのかもしれない・・・・


岡原先生からブルデューを読んだらといってもらったことも、「ホモ・アフェクトス」「生の技法」も読めたこと、そしてこのブログを閲覧してくださっているある方に、心から進めたい本の一つでもあります。

ホモ・アフェクトス―感情社会学的に自己表現する (Sekaishiso seminar)ホモ・アフェクトス―感情社会学的に自己表現する (Sekaishiso seminar)
著者:岡原 正幸
販売元:世界思想社
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生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学
著者:安積 純子
販売元:藤原書店
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販売元:Amazon.co.jp
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愛情という名前のもと、その逆のことがらが成され、愛のもとに抑圧された苦しみは、悪意や憎悪によるものよりも禍根となることも多く、かつ問われづらい(と私は感じている)。

恋愛を考える―文学部は考える〈1〉 (極東証券株式会社寄附講座)恋愛を考える―文学部は考える〈1〉 (極東証券株式会社寄附講座)
販売元:慶應義塾大学文学部
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先輩にあたるYさんから聞いた公開講座・講演会の内容が本になっています。
今回知り合えたかたにも結構おすすめしてましたが、ぜひ。


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私たちは、たとえばアリストテレス的な「憐憫や同情」を超えてどこまで他者の痛みを共有できるのだろうか。
そしてそれが「棘」から「種子」になるには・・・・
私もまたその過渡期にある面があります。

椎間板ヘルニアを自己克服している方にも励まされましたし。

ミラノ出身と聞いたので思わず(ミラノに詳しい友人KさんからインテルとACミランの確執を聞いていたので)
いきなり「インテル派ですか?ACミラン派ですか」と聞いてしまいましたが、「インテル派」と即答されて納得でした。そしてイタリア大使館の方でした・・・(イタリア大使館は三田にあるのですよね)
時間的な問題であまり最後はお手伝いできずでしたが、いつか三田で、リゾットかパスタ(ショートでもロングでも、オイルベースでもトマトベースでも、ローマ風(卵だけでクリームを使わない)カルボナーラでも、レモンクリームソースでも(つくるのは早いです)を作って私なりにお返しできる機会があればと思っております。

行きたい高校が同じだったとか、昭和40年代に中央区から家族が移住しているとか(大抵千葉か埼玉に移住しているという・・・都市社会学的な観点?によれば、です)たまに出張にいく場所のおいしいうどん屋さんをお互いしっているとか・・・まだまだたくさんありますが、私なりにいろいろお手伝い・大げさな意味でなく還元できればと思った次第です。

色々と状況がそれほど好転しているわけでなく、月末と月あけの身内の手術が気になります、祖母も1か月前にやった検査をくりかえして行っているために入院が長くなり、手術について父が曖昧な認識をしているので心配です・・・ 色々なことが重なり体調は芳しくなかったのですが備忘録的に、25日お会いした皆様に感謝です。


今年の8月はいろいろと重なりすぎています(もっと大変な人がいるといわれると困惑してしまうのですが)
まだやぱりにこの不在も引きずっていますしね・・・

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にこさんと(2年前)

また追記したいと思います。



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昨年度の言語文化研究所の公開講座は日程上参加・受講できなかったのですが「これはいかなくては!」
と今から思っている2011公開講座、『ウェルギリウスとホラーティウス』を記事に。
(2009年 公開講座については出席したのでおそらく過去ログに参記事があると思うのですが・・・)

ラテン文学では、ウェルギリウスとホラーティウスについて、具体的な作品を読みその違いを説明するという小論を書いたことがあります。ウェルギリウスは『アエネーイス』があるので比較的文献・テキストも手に入れやすいですが、ホラーティウスは、私は確か、『農耕詩』と『詩論』で書いた記憶があります。(今もこうした小論は手元にファイルしてありますが。評価もよかったので・・・)

ウェルギリウス『アエネ-イス』
ウェルギリウス『アエネ-イス』


ギリシア・ローマ古典文学案内 (1963年) (岩波文庫)

著者:高津 春繁
販売元:岩波書店
(1963-11-16)
販売元:Amazon.co.jp



ラテン文学は、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)とマエケナスが中心になってギリシア時代の文学・哲学・諸芸術を自分たちの時代に再興させようとしていた黄金時代(つまりウェルギリウスとホラーティウス)、銀時代(セネカなど)、銅時代などに区分されます。

==以下公開講座リーフレットより==

紀元前1世紀後半は、一般にラテン文学の黄金時代と称されます。その代表的な存在が、ウェルギリウス(前70−前19年)とホラーティウス(前65年ー前8年)の両詩人です。この講座では第一人者の研究者の方々をお迎えして、両詩人の作品について様々な角度からお話しいただきます。


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詩学 (岩波文庫)詩学 (岩波文庫)
著者:アリストテレース
販売元:岩波書店
(1997-01-16)


ホラティウス全集ホラティウス全集
販売元:玉川大学出版部
(2001-12)
販売元:Amazon.co.jp






ラテン文学は、たとえば、アプレイウスの「転身物語」などは、美術ー舞台芸術などにも多くの原点になる主題ですし、音楽にも大きな影響を与えてます。ドイツ文学などでは、例えば、『朗読者』などでもアエネーイスは文中に登場する。(ドイツ・ギムナジウムでは大抵アエネーイスが古典として読まれるからだろうと思うのだが・・・ヨーロッパではキケローがこうした古典である場合が多いけれれども、では日本ではこれに相当するような「高等学校」で必ず読まれるような古典としては何にあたるのだろうか?と先日、ある集まりの中で話題になった。
私見ではもしかしたらそれは、漱石の晩年の三部作になるのではないか、と思っている---のだが、それは私が高校生の時に薦められて、柄谷行人『漱石試論』と『近代文学の起源』を読んだからかもしれない。

昨年末、以前書いた学芸大教育学部を受験し合格した人に個人的に相談にのっていたというかいっしょに試験問題を読んだりしていたのだが、そこでも漱石の三部作は近代人の「エゴ」「自我」・・・主観と客観などの問題として取り上げられていたから、なのだが・・・ その時にわからなくても、言葉が残ることがある、そして何度読んでも発見がある、それが古典の生命なのかもしれない。

10月はおそらく私も試練の時期かつ、出張+仕事も増えてくる時期だと思うのですが、この講座はぜひ参加・出席したいと思っています。

メアリ・ルノー原作を映画化した「アレクサンダー」の冒頭で流れ字幕ででるのも、『アイエーネス』の一説です。

アレキサンダー プレミアム・エディション [DVD]アレキサンダー プレミアム・エディション [DVD]
出演:コリン・ファレル
販売元:松竹(2005-07-29)








ルノー作品についてはwarp(国立国会図書館web資料アーカイブ)に保存されている私の記事があるのでそちらを参照下さい。

ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書)ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書)
著者:小川 英雄
販売元:中央公論新社
(2003-10)販売元:Amazon.co.jp





古代オリエントの歴史古代オリエントの歴史
著者:小川 英雄
販売元:慶應義塾大学出版会
(2011-04)販売元:Amazon.co.jp







しかし、ウェルギリウスは、自分の作品をすべて焼き捨てるようにと言いのこして生涯を閉じている。
だが、オクタヴィアヌス(アウグストゥスこの名前はのちにつけられたもので、オクタヴィアヌスは自分は「第一の市民」であるとしていつつ、権力を徐々に集中させていったといわれている。)

年末にフランス語留学して今はフランス語でブルデューを読んだりしている大学院生が自宅に遊びにきたときに、「今使ってない言語を勉強したって仕方ないじゃないですか」と言ったので、「何をいっていますか!」と討論(苦笑・・・)でも話あううちに、すぐにいろんな角度から理解しようとしてくるし、語学力や数学的な能力は私は及ばない(と思っています)こちらもいろいろと頼みごとをしてしまいます。
(バレエ発表会も声をかけたので来ると思います。なにせ鈴木晶先生もご存じですからね・・・なるべくいろいろ見たほうがいいのです。高校時代にソシュール言語学に興味をもってそちらにいった人ですから)


はじめて学ぶラテン文学史
はじめて学ぶラテン文学史


ニジンスキー 神の道化ニジンスキー 神の道化
著者:鈴木 晶
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踊る世紀
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著者:鈴木 晶
販売元:新書館
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世界一わかりやすいフロイト教授の精神分析の本
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著者:鈴木 晶
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期限1世紀前後のローマは、ギリシア時代の規範にしつつ、違う文化へと変容していく興味深い時代でもある。
トレヴィの泉のもとの水道は、アグリッパ時代のものから今もかわらず、使われているし、その建築物は遺跡というよりも現在も使えるものが多い。(野外劇場など)ローマを歩くと、広場、そして水飲み場としての泉、フォロ・ロマーノ、そしてバロック美術・建築・彫刻(ベルニーニ)があり、教会にはカラヴァッジオ絵画の傑作があり、ヴァチカンもいかなければならない。疲れたらナヴォナ広場などでコーヒーを飲んだり、感想を語ったりも醍醐味だし、テヴェレ川沿いを歩いたり。こんなことを書いているとローマに行きたくなってしまいますが・・・私は腰痛持ちなので、ローマはローマだけに絞らないと途中でリタイアしてしまうはめに。
イタリアは本当に、フィレンツェならフィレンツェ、ローマならローマ、ヴェネツィアならヴェネツィアと決めて都市に滞在しなけければならないでしょう。それぞれの人々も気質も違うし、話すこともとても愉しめる。

やや話がずれましたが、現在上野で行われている『古代ギリシア展』に行かれた方もぜひ、起源前1世紀後半、金時代や銀時代、銅時代のラテン文学や古代史を参考にしてもらえたらもっと楽しめると思うので記事にする次第です。


私は一介の受講希望生にすぎませんが記事にさせていただきます。
講演についてはこちらを参照ください。


ギリシア・ローマ世界における他者ギリシア・ローマ世界における他者

(2003-09)

納富先生の論文もこの本に収録されています。(ネットではおそらく検索が出ないと思われる)





詳解ラテン文法詳解ラテン文法
著者:樋口 勝彦
販売元:研究社
(2008-07)
販売元:Amazon.co.jp






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丘の上の平和なる日々
征きて戻らぬ人々を思ふ

小泉信三

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三田旧図書館からすこし離れたところに、朝倉文夫の平和来というブロンズ像があります。
戦時中塾長だった小泉信三先生の碑文が刻まれている。

一昨年、関東大震災を経験し、硫黄島へ行った祖父(この話は過去ログに書いているので割愛しますが)が亡くなり、日課で書いていた日記も(日記帳に毎日万年筆で記録をとっていましたし、ヨーロッパ、ロシア視察にいったときの記録も写真、日記も残っていると思うのですが、実家にいる人、私の父などはまったく関心がないようです・・・いずれ私が整理することになるのだろうか、と思うこともあります・・・・)

現在、終戦間際に新島に出征した義理父ーー、両親が船で中央区から三宅島の親戚のところへ避難する際に、民間船なのに爆撃を受けて亡くなっているーーー、今週から精密検査で入院するので、いろいろと思うことがあります。

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レーヴィの一説をここに。

「暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
家に帰れば
熱い食事と友人の顔がみられるきみたちよ。

これが人間か、考えてほしい。
泥にまみれて働き
平和を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死においやられるものが。
これが女か、考えてほしい。
髪は刈られ、名はなく
すべてを忘れ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷え切っているものが。

考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。

さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。」


(プリーモ・レーヴィ  Primo Levi ,SE QUESTO E' UN UOMO 1976)


アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書)アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書)
著者:プリーモ・レーヴィ
販売元:朝日新聞社出版局
(1980-01)
販売元:Amazon.co.jp





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レーヴィがこの記録を書いたのは私の生年でもある。

つまり祖父母の世代の考察なのだ。


レーヴィの著作で重要なことは、単なる回想録でもルポルタージュでもないことだと私自身は思っている。

------「遅かれ早かれ、人はすべて完全な幸福はありえない、と悟るものだ。しかし反対のこと、つまり完全な不幸もありえない、と考える人は少ない。だがこの二つの極限状態は、同じ原因のために、実在が不可能になっている。つまり、人間の生活には極端を嫌う要素があるのだ。」・・・

立派な態度で死を迎えられる人はわずかだ。それもしばしば予想もつかなかった人がそうだったりする。同じように、沈黙を守り、他人の沈黙を尊重できる人もわずかだ。」・・・

トラックが止まると大きな扉が現われ、そのうえにARBEIT MACHT FREI (労働は自由をもたらす)という標語が、あかあかと照らし出されて見えた。(私はいまだに、夢でこの光景に責めさいなまされている。)・・・

そこで私たちははじめて気がつく。この侮辱、この人間破壊を表現する言葉が、私たちの言葉にはないことを。一瞬のうちに、未来さえも見通せそうな直観の力で、現実があらわになった。私たちは地獄の底に落ちたのだ。これより下にはもういけない。これよりみじめな状態は存在しない。考えられないのだ。自分のものはもう何一つない。服や靴は奪われ、髪は刈られてしまった。話しかけても聞いてくれないし、耳を傾けても、私たちの言葉が分からないだろう。名前もとりあげられてしまう筈だ。・・・・

自分自身の運命を知ることは不可能だ。そしてここでは、どんな予想を立ててても、それは現実味のない恣意的なものになってしまう。だからもし理性的に考えるのなら、私たちはあきらめて、こうした自明の事実に身をゆだねるべきなのだろう。
だが自分自身の運命が危険にさらされている時、理性的になれる人はとてもすくない。(略)
だが悲観論者と楽観論者というこの二つの種族は、さほどはっきり分かれているわけではない。不可知論者が多いからではなく、大多数がものごとを簡単に忘れ、話の相手や状況に応じて、二つの極端な立場を揺れ動くからだ。」 

(プリーモ・レーヴィ あるイタリア人生存者の考察)

==================

レーヴィのこの本では、「外国人ならばすべて敵であって人間ではない」という感情を比較的容易に大多数の人間は抱きや易い・・・ナショナリズムと人間破壊は、現代であってもさまざまなところに私たちの日常の中にすら・・潜んでいることが多いことを見抜いたうえで書かれていることだ、と私は思っている。またレーヴィが収容されたラーゲル(強制収容所とその労働・人間性・個の喪失)はむしろ「社会の局限化」であって「正反対」の事柄ではないのだと指摘している。
また民主主義の時代にあっても言論の自由がかならずしも十分には機能していないことも質問に答える形で語っている。

プリーモ・レーヴィは語る―言葉・記憶・希望プリーモ・レーヴィは語る―言葉・記憶・希望
著者:プリーモ レーヴィ
販売元:青土社
(2002-03)
販売元:Amazon.co.jp






・・・世代論を持ち出すのは人それぞれ・個人というものをカテゴリー化することなのでなるべくしたくはないのだが、それでも、人は環境や社会から影響を受けるものだしある程度影響を持っていると私は考えているので、世代間格差があることを私は基本的に肯定している立場である。
こういう前置きの上で、やはり感じるのは、両親の世代(実は夫も両親の世代とほぼ近い)や、バブル期の恩恵を知っている私よりもやや上の世代・・・・の基本的にこれらの過去のことは無関係である、自分はいずれ死ぬから自分の生命が終わるまでせめて楽しめればいい、という態度と無自覚な傲慢さには辟易して疲れ果ててしまうことがある。

同様に自分の子どもの世代にも何か通じないものを感じるし、それでも娘は私がこうした考えや蔵書や舞台などを見ているからまだ理解できるらしいのだが、・・・むしろ、2011年卒、2012年卒の人たちはおそらく自分の親世代のつけを払わされる可能性がとても高い・・・のではないだろうか。

言葉は不死のものであると私は思っている。
私ももし長くいきたいと思うならば、それはルチャーがいうように「できるだけ多くの本を読みたいし」という理由と、エウメネスのように「本を読み、得た知識を確かめる旅」ができればそれが私にとっての「自由」でもしそれが可能なときだけ「幸福」と言葉が当てはまるだろうと思う。だからよくいうように「幸せ」というのは状態のことではないのだ・・・と私は考えている。


プリーモ・レーヴィは化学者という職業のおかげ(あるいはせい)で生存者となり、その生に死者の責任を感じながら短編と記録、インタビューを残している。

そして、1987年に、かれはトリノの自宅から身を投げて生命を絶っている。

その理由も私には彼の著作を読んでいたり自分が考えていることと重なる部分が多く、不可解ではない。
むしろ理解できる。そして彼の言葉は、生きたものとして、語っている。

「書かれたもの」が、ディスクール・・・・のように響いてくるのだ。

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