1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

タグ:ルネサンス

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グラミス・キャッスル、シャポー・ド・ナポレオン、スヴニール・ド・ドクトール・ジャメンをいけました。
Veneziaで買ってきたフラワーベースです。
ヴェネツィアに行った方は御存じかと思いますが、ものすごく丈夫です。
緑や他の色も買うのだった....美術館のミュージアムショップで売ってほしいです。
いい品は先日、和光(銀座)へ行ったときに発見しました。何かの記念でほしい...が、家のものは私が買いそろえるしかないのだろうな...

http://www.visitbritain.com/ja/JP/

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https://www.gov.uk/government/world/japan.ja

Taste of Britain
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石坂尚武先生から、新著を頂戴いたしました。イタリア学会、ルネサンス研究会では昨年同志社大学での研究会にも出席させていただきました。

私の専門は前期ルネサンス、Ficino(フィチーノ)とFirenzeにおけるプラトン受容で、やはり転換期における変化や分析、人の意識・心性の変化を"あらわれ"から分析して考察しようとしているので、御著書をいただけてとても有難い心もちでいっぱいです。

煉獄概念と新プラトン主義・プラトン主義受容後がなにをもたらしたか。
写真も多く、大切に読ませていただきます。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784862852311

知泉書館から紀伊国屋書店のサイトでみると4月5日発売になるようです。


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丁度、雪柳が庭にこんなふうに咲いている日の午後に、郵便でうけとりました。
2016年のルネサンス研究会は7月です。





石坂先生はルネサンス文化史がご専門。
娘さんはバロックオーボエの奏者です。石坂先生より、近日中にこのBlogでも掲載の許可をいただいています。


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ルネサンス研究会に夏に続いて出席してまいりました、
学会でお会いした、石坂先生、根占先生にお会いでき、根占先生からは論文、新聞掲載の抜刷りもいただきました。

原先生はダンテ天国篇について発表されました。

詳細は後ほど、まず記録のみしていきます。




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2015年度 ルネサンス研究会 (第45回)

前略 ルネサンス研究会(第45回)を下記の要領で開催いたします。年末のお忙しい時期とは思いますが、奮ってご参加下さりますよう、ご案内申し上げます。
日 時:12月12日(土)13:00〜17:30
会 場:同志社大学今出川校地 ...
徳照館2階共同利用室 (201号室連絡先:石坂尚武(同志社大学)
[研究発表]
 
「『神曲』の翻訳をめぐって」………………………… 原基晶 東海大学文学部専任講師 

「G・ボッテーロ『国家理性論』とマキアヴェッリ批判の射程」(仮題)
  ………………… 石黒盛久 金沢大学人間社会人間社会研究域歴史言語文化学系教授

「宗教改革の美学——十六世紀ドイツ、ネーデルラント絵画・版画作品に見る旧教・新教の結節点」………………… 下山大助 京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程

[懇親会]
時 間:18:00〜20:00
場 所:ザ・キッチン・サルヴァトーレ・クオモ・京都



懇親会時には、根占先生からルネサンス研究会発足時(東京大学にて)のお話もお聞きできました。
翌日、私は講座の運営準備 司会などがあったので20時5分の新幹線でもどりました。

のえるさんが同志社出身だったので、帰りに写真を見返していてなんとも感慨深い心持になりました。

















神曲 天国篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
2014-09-26




神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
2014-07-11



  • 薔薇 ワイルド イブ イングリッシュローズ ニュードーン

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    銀座スパンアートギャラリーでは9日まで<少年愛の美学展>が行われています。四谷シモンさんの人形など、私は数日以内に行くつもりなのですが今から楽しみです。
    古賀郁さんと、私が今年から企画し運営している研究会講座のイメージシンボル画、DESCE GAUDERE(ディスケ・ガウデーレ)のポストカード、スパン・アートギャラリーにてお買い求めいただけます。
    数量限定につき、お早目に。
    上の写真は、古賀さんが撮影してそれを送って頂きだきまいた(感謝!)

    残暑見舞い用、またグリーティングカードにもお使いいただけるようシンプルな裏面レイアウトにしました。

    先日の7月末の講座で購入された方が綺麗、飾りますと言っていただけてうれしかったです。

    古賀さんの作品カードとともにあると思いますので、ぜひ展示に行かれましたらご覧くださいね。

    下の写真は、私がフレームに飾ったところです。

    (後ろに横浜Akデザイン様によるロゴが入っておりますコラボ・ポストカードとなっております)


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  • 銀座スパン・アートギャラリーにて 古賀郁さんの新作ポストカード販売中 :セネカのラテン語<DESCE GAUDERE>のカード販売中



  • 《深読み文学シリーズ》『O.ヘンリー 最後の一葉』(横山千晶編著/慶應義塾大学出版会)
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    忙しくなってしまって更新が毎日できておりませんが、ルネサンス研究会に出席した時の講演、セレーナ博士の講演は大変興味深かった。ロンドン大学准教授のセレーナ博士によるイタリアの政治的情熱の起源をめぐる講演で、質問もさせて頂き、懇親会でもお話をさせて頂いたのだが、彼女によればダンテにその発端はみえるという、マキアベッリや近著についてもお話させていただき興味深かった。
    フィレンツェ出身でロンドン大学で教え研究をされている。

    根占先生、甚野先生、伊藤先生ともお話させて頂き大変貴重な時間だった。日本研究をされているパトリック氏ともキリシタン史などお話させていただきました。

    都市が持つ美徳、それを共有する形で公共性は形成されていくのかもしれないし、法整備がそれに倣うかもしれない、我が国の場合はどうだろうか。私もそうした公共知、公共の、パブリシティに備わる美徳が人と習慣意識に自然な法概念をうえつけるかもしれないと思う。本来の民主政治とは何なのか、本来の法とは、議会とは、投票行動とは、目的因をみうしなうことなく、考え現実に適応していかねばならないだろうし、本当に正しいのかどうか、それは常に考えられるべき事柄であると私には思われる。

    ルネサンスとは形式美の世界ではない、常に客観性と自然を問い、先人の生を再生する態度、行い、それを探究する学術学識と技術の復興であり、公共性の反映であると私は捉えている。
    (そして付言するならば、古代オリエントの学問と技術を包括する意味での古代地中海世界への憧憬と復興を含むものであるはずである。)


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    ルネサンス研究会の国際シンポジウムのポスターです。











    ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ
    国文社
    1985-11






















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    アレッサンドロ(ボッティチェリ)の絵画に惹かれたのは昔のことではない、私が中学生の頃は歴史ではミケランジェロ<ダヴィデ> ボッティチェリ<ヴィーナスの誕生>が<ルネサンス>であり<文芸復興>として記憶すべき言葉として教科書に掲載されていたと記憶する。小さなモノクロ印刷の印象である。私がルネサンスつまり大文字のルネサンスであるフィレンツェ・ルネサンスに惹かれたきっかけは、美術史の授業で遠山公一先生の講座を受けてからである。イタリアの建築彫刻フレスコ画は、建築と空間として制作されており、多くは現地にいって身をおいてみて初めて理解できる(understand)ものであると感じた。当初はミケランジェロの彫刻、ノン・フィニートの美学などをテーマに考えイタリアへ行ったが、その後ドナテッロ、ブルネレスキらプロト・ルネサンス期を知ると、なぜこうした作品が生まれたのか、当時の時代とその思想についてより興味をもつことになった。ボッティチェリは一度目のイタリア滞在で<>そして柘榴の聖母、アペレスの誹謗といった絵画に惹かれた。しらべるうちにオニサンティ教会に墓があること、そこにフレスコ画も残していること等も知った。フィレンツェの街並みはあまり500年前と変わっておらず、晩年のボッティチェリもそのあたりを歩いていたであろう感慨があった。神々が作り出したかのような人の手の仕上げが残らない完璧さ(フィニ)を彼の作品からは感じられるだろう。またいきいきとした目はフィチーノの眼と視覚の記述を思い起こすようでもある。



    さて課題を出したので、自分もまたそれに簡単に応えてみようと思う。ボッティチェリ <受胎告知> コジモ・ロッセリ <東方三賢者の礼拝> フランチェスコ・ボッティチーニ<大天使とラファエルとトビアス>である。これに道具・工芸である「フィレンツェの公益質屋の金庫」とジョヴァンニ・デッラ・ロッビア<パッツィ家の紋章>(インプレーザ)が加わる。

    コジモ・ロッセリ<東方三賢者の礼拝>は当時集団肖像画ともなっていた主題かつ、三博士が東方から黄金、乳香、没薬を持参したという設定からも華美で絢爛な装飾画としても描かれることが多かった。ボッティチェリの作品では彼はそこに自画像を残している。本展に展示されたコジモ・ロッセリの作品はどこか、人物の描写がマザッチョのようでもあった。動物、人物、若い王と見どころが多く、現在唯一当時の面影を残しているメディチ=リッカルディ家の<東方三博士の礼拝>ベノッツォ・ゴッツォリとは違うやや素朴な印象が良かった。この主題は観ていて画家と注文主がなにを残したいと思っているのか解読するのが興味深い。フランチェスコ・ボッティチーニのラファエルとトビアスは、大天使の特徴をよくとらえていて(旅支度、若者の庇護)、トビアスが持つ魚も味がある。また同一空間上に違う物語が背景中に描かれている点も面白い。ロッビア工房の彩釉テラコッタは美しいものが多いが、よくみるとカエル、トカゲなど虫なども描かれていて果物のトンド形式の中に納まっている。そして、この時代に流行したこれら美しい彩釉テラコッタの作品モチーフを、研究会のシンボル画として古賀郁氏に描いてもらった。古賀氏の細密画の技巧がいかんなく発揮されている本作品は、講座のときには会場に展示することになっているのでぜひ、参加者のかたはよくご覧になってください。また本作品は講座と古賀郁さんの展覧会(新宿と銀座)を記念してポストカードにしました。言語文化研究とのコラボレーションのカード。

    最後に、私もじつに4回この展示には脚を運んだのだが、ボッティチェリはフレスコ画でどれほどの空間を作り出したのか、考えてみた。

    midokoro_pic7

    <
    受胎告知>を観てほしいのだが、おき柱で区切られた回廊とその手間、回廊部分、回廊から外へ続く通路まで、中庭の分割、植栽による壁前、壁、その直後にある糸杉、低い山、やや遠い山、湖、その向こうの一番遠景の峰・・・遠近法を用いたフレスコ画は多くある。しかしながらここまでの空間分割と美的調和、自然とトスカーナの風景画、幾何学を意識した装飾、天使の動とマリアの静の対比、ガブリエルの特徴である突然にあらわれ、秘密を告知する使者、絵画の魅力としても空間構成の方法も実に秀逸であり、優美(グラツィア)である。


    midokoro_pic6


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    ボッティチェリ展で来日している<聖母子と二人の天使、洗礼者ヨハネ> (フィレンツェ・アカデミア美術館)

    庭の様子としては、アナベルや数種類の紫陽花が咲いており、そこに早くもスヴニール・ド・ラ・マルメゾンが返り咲いています。ヘリテージ、スヴニール・ドクトール・ジャメンもまた新しい蕾が。
    ニュードーンが咲き終わり(花がらとりは脚立を出さねばならないので完全な休日にやる予定・・・)アーチのアンジェラも同様です。多年草のハーブが紫の花を咲かせていて夏らしい雰囲気になってきました。
    ブルーベリーの実がすこしずつ大きくなってきました。


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    りょうぶと菊を活けたのですが、あまりうまくいかないという....最近は枝ものといわれる季節の枝がとても気になるようになりました。自然から美を取り出すという感じでいける理論は納得できます。

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    父の日なので平宗さんの柿の葉寿司と奈良の日本酒のセットを久々にお取り寄せしました。
    さけ、えび、定番の鯖、季節限定のすだち鮎。
    どれも本当に美味しいのです。柿の葉寿司が好きなのですが、いろいろ食べてみてもお米とお寿司のねたとの調和が平宗さんが一番おいしいと感じます。
    この記事は別記にしたほうがいいかもしれませんね、奈良は和菓子も柿の葉寿司も美味しい。

    以前、母の日にもお取り寄せしたことがあります。
    いつかお店(たまゆら)でもお料理を頂いてみたい。



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    今年はニュードーンはじめ良く咲いたのは肥料が良かったからかも?


    5月末からなんとなくずっと忙しい....!!
    年末の明治座が坂本田村麻呂ではないか、と話してましたが(睡眠不足すぎて先ほど誤表記した。すでに家庭の話題...)家人はいつか、聖武天皇の芝居が観たいなどと無茶なことを言っています...。


    <ラ・バヤデール> 東京バレエ コジョカル, シクリ...

    山あじさい:「藍姫」「紅(くれない)」 アナベル・...

    シビラ / ホコモモラ (傘)

    秋冬だけでなく夏ファッション・雑貨にいまだにみられ...

    5月のキーフレーズ  カラヴァッジョ アナベルハイ...




    ボッティチェリについて展覧会図録以外に何か買いたいという場合は、このイタリアで英語、イタリア語、そしてこの日本語版が出ているブルーノ サンティの東京書籍をお勧めします。
    またNHKのフィレンツェ・ルネサンスシリーズ。





    イタリア・ルネサンスの哲学者
    P.O. クリステラー
    みすず書房
    2006-09








    移動中に読んでいた文庫

    開かれ―人間と動物
    ジョルジョ アガンベン
    平凡社
    2004-07



    ドキュマン (ジョルジュ・バタイユ著作集)
    ジョルジュ・バタイユ
    二見書房
    1974-08-10



    ドキュマン (河出文庫)
    ジョルジュ バタイユ
    河出書房新社
    2014-11-06


    バタイユのドキュマン、ラスコーの壁画は私の記憶によれば二見書房の全集版で高2の時に読み始めたと思う。アガンベンを読んでいて、ドキュマンが引用されている部分もあり、読み返そうかと思った今週。
    今は河出から文庫が出ているのですね。

    ヴァザーリの芸術家列伝も新書で出るようになったのですから(私は単行本2冊組しかもっていない)やはり活字離れとは一口ではいえないのではないでしょうか。
    読む人はもっと読み、読まない人が一層読まないだけのことかもしれないし、ともかく、こうした専門書の類が文庫化されるのは望ましい。

    ニンファ その他のイメージ論
    ジョルジョ・アガンベン
    慶應義塾大学出版会
    2015-02-17


    ニンファ・モデルナ: 包まれて落ちたものについて
    ジョルジュ ディディ=ユベルマン
    平凡社
    2013-06-24



    ユベルマンも3年前ほど前から注目しています。潜勢力について自分が引用した部分も。

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    ブログネタ
    美術館・博物館 に参加中!
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    「フィレンツェの支配者たちの理念は、商業における実用主義と学識に裏付けられた

    教養主義の融合から生まれているのである」(図録p.150



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    本展 28<バーリの聖ニコラウスの奇跡>(1425年)に注目してほしい。

    海上での事故、嵐での航行は当時も大きな問題であった。ウフィツィ美術展(東京都美術展2014)では、海上の災難(自然の力がつよく、人間が抗い克服することが困難とされる最たるもの)は、帆を持つ女神像で表わされる。これは、人間の知恵と努力次第では運命は克服可能であるという考えであり、もっとも顕著にそれが書かれたのはマルシリオ・フィチーノがルッチェライに宛てて書いた手紙である。

    フランチェスコ会と複式簿記 聖フランチェスコは清貧を唱えたがフランチェスコ会では真なる清貧とは何かを巡り議論があり、現実的に無駄を省くことを考えるために複式簿記が生まれた。本展20 「フィレンツェの「公益質屋」の金庫」も社会反映の表れであろう。公益質屋は、イタリア各地に開設されていった。生活に逼迫した人々のために担保貸しを経営上の必要経費のみに相当する低い利息で運営されていた。


    フランチェスコ会と複式簿記 聖フランチェスコは清貧を唱えたがフランチェスコ会では真なる清貧とは何かを巡り議論があり、現実的に無駄を省くことを考えるために複式簿記が生まれた。本展20 「フィレンツェの「公益質屋」の金庫」も社会反映の表れであろう。公益質屋は、イタリア各地に開設されていった。生活に逼迫した人々のために担保貸しを経営上の必要経費のみに相当する低い利息で運営されていた。


    レジュメより一部抜粋、アカデミア・プラトニカについて、および「饗宴註解」「公会議」以前と以降では絵画は大き役割を変えていく。



    時間と体力の限界の中、自分のところの研究チームでの講座を行ってきました。
    レジュメをpdfにするところまでをし、記録だけでもと思いましたがまずは写真から。
    忘れないうちに記録記事を、明日中には・・・と思っていたがもう明日というか明け方ですね・・・
    少々、この状態で一端保存させて頂きます。


    参加者の方にはあらかじめ3題の課題を出していたのですが、皆様が図録を買っていて、感動しました。
    この日の企画は、日常的な専門が工学、光学、国際文化、ドイツを主とする哲学とフランス現代思想など必ずしも美術史、思想史、Art、イタリア等を専門とされていない方に、できるだけわかりやすく趣旨を説明する、補足するなどが講座の目的でした。卓話はドゥ・マゴで行ったため、参加者で以前パリとベルギーに1年半留学していた方が、「パリ第4大学とか、パリのCafeの本来的な雰囲気を思い出した、という感想は疲れている中に実施したことですが、こちらも嬉しかったですね。
    記録とは別に自分の覚書として。

    The Letters of Marsilio Ficino: 10
    Shepheard-Walwyn (Publishers) Ltd
    2015-09-09




    もうだいぶん、会場のグッズやFirenzeの工芸品などミュージアムショップの品が少なくなってきているので、まだの方は早めにいかれたほうがいいかと思います。
    私は、あと1回、完全なプライベートで、できれば娘には見せておきたい。私はFirenzeでの調査を2回行っていますが、子ども(当時はいまよりもっと)おいてはいけませんので一緒にFirenzeには2度滞在しているのです。

    娘もサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂やサンマルコ修道院が大好き、Firenze、イタリア大好き人間ですが、彼女が一番好きな国外の都市はアテネとのことです。


    El Libro Dell'amore
    Marsilio Ficino
    Createspace
    2015-05-26


    The Letters of Marsilio Ficino
    Marsilio Ficino
    Shepheard-Walwyn Ltd
    1989-11










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    デザイナーのBさんと六本木のギリシア料理に行ったあと、立ち寄った、GUCCI銀座。
    2階はシルバーアクセサリーや、奥にはギフトにもぴったりな子供服も。

    子ども用 バンビーノ/バンビーナのカタログが中身もすごく、いい絵本のようで思わず見とれてしまいました。
    ご担当者様がいらした日なので、いいデザインですね、観ていておもしろし、とお声がけたところ、持ち帰って自宅で観る用に頂きました!
    本当に、ブックデザインや構成は、すばらしいものにあうとハッピーです。


    子どもむけのアイテムでジュリー(ネックレス)があるのですが、グッチの熊をモチーフにしたり、リボンだったり。
    誕生のとき送って、外出する年10歳以降ティーンの間、いやさりげないデザインだから20才過ぎでも。
    長く使えるならこういうプレゼントもいいなあと思えます。

    自分ももし、もっとお嬢が小さいときに店舗に出会っていたら、作って贈ったかもしれません。
    (結婚指輪を観ていても思う!※注 自分がしているのはディオールです。当時プラチナ×金はそれしか目につかなかった)
    結婚〇〇周年とかでくれたらいいのにねえと思うのですが、大抵なかったことにされる話題です(笑)

    正直、10年、15年などが重要だと思うのでこれから結婚されるかたはよく覚えておかれたほうがいいかと思います;

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    フローラのブレンド・ハーブティ。
    六本井でお昼をたべてきたので、食後酒を。
    銀座GUCCI Cafeにて。
    ご担当者さまに夕刻の写真もとって頂きました。いつもお心づかいありがとうございます。

    しかしBさまとは話題が尽きない!(この時はギリシアやトロイ、アレキサンドリアの話もしていたと思う)

    フローラとバンブーはオリジナルのお茶ですが、オリジナル(または4シーズン))のカクテルがでるといいなあとも思います。モレッティ等のアルコール類も美味しいですよ。

    写真はレモンチェッロ。



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    Teasing Geogia, New Dawn.


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    昨日は講座でFirenze滞在報告でした。
    講座のロゴ、書籍にしたときのための表紙、エンブレムを古賀郁さんにご相談しつつ、作っていただいています。

    それにしても先週は火曜から今日にいたるまで腰が痛くて参りました。
    今日はリハビリだったのですが風邪もひいているので、時間をあらためました。

    プランニングとマネージメントばらりしていると思いきや、実地の作業を同時にやりつつ、これって意外と能力が低いに人間からすると疲れます(笑)



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    来年はロッソ・フィオレンティーノ、マニエリスムの作家も見てみたい。
    (2月の講座で、ロッソを取り上げて、それを覚えて頂いて、現地にいって頂けたと。)


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    ヴァザーリの芸術家列伝が新書で出ているということだけでも世の中少しずつは良くなっているのでしょう。
    (荒木さん(神奈川芸術劇場のペール・ギュントに出るのですね / が最近またしても大天使様並の時間を超えた日記を書かれていて、さすが!と思いました。)

    あまりペシミスティックにならず、ルチャーがいうように3000年を待つことにしましょう....(逆説的に)

    ギリシアのフォトブックも作ろうと思います。
    日を改めて今日リハビリに行ってきました。フレキシブルに対応していただき感謝...

    庭の写真などもあり、おいおい更新していきたいと思います。

    b09d8b8a-s

    バルジェッロ国立博物館。開館時間が短いので注意。
    14:00には閉まります。

    botticelli_calunnia01

    ウフィツィで必見なのはボッティチェリの間ですが、<アペレスの誹謗>のカードは仕事場のデスク近くにおいています。




    DSCN0164

    現モバイル版の背景画像に設定しているのは、ヴェッキオ宮の室内装飾です。
    芸術家列伝の著者、ヴァザーリが手掛けた室内装飾には、キリスト教およびギリシア・ローマ神話のモチーフが調和した形で描かれている。
    このモチーフは今日では、それほど驚かないかもしれない。
    しかしながら、マルシリオ・フィチーノがヘルメス文書を翻訳し、饗宴註解ほかプラトンのラテン語訳を完成させたのちに書いた「プラトン神学」の思想的影響なくしてはこの世界観が西欧に根付いてはいないのだ。

    現在公開されているボッティチェリ展の年譜には、フィチーノの影響はそれほど反映されてはいない。
    フィチーノは感覚的芸術をそれほど快くは思ってはいなかった、しかしながら、視覚および目でみるもの、観ようとする意志についてはその意味を主張していた、彼自身がむしろ芸術といったときに、音律と調和を重視する音楽をより優位においていたせいか、実のところ美術史ではそれほど深く言及されることはない。
    だが、フィチーノ思想は彼の意図とは別に、あるいは想定をこえて、影響を及ぼすことになる。
    キリスト教とプラトンは相反しないという考えは、<アテネの学堂> <プリマヴェーラ>などにも反映されていくことになる。

    DSCN0102

    WEB版の背景はサンタ・マリア・ノヴェッラ。
    東西合同の公会議が初めて行われ、ゲミストス・プレトンら400人の学者がビザンティオンから招致され、フィレンツェ市民と哲学者はおおいに影響を受け、この地での市民レベルでのギリシア語習得が上昇することになる。もともと、自らの書き残しておくべきことがらを自らの家のために書いておくべし、というローマ共和政以来の伝統によってラテン語の読み書きは高水準であったが、14-15世紀の多言語主義には驚嘆を感じる。
    ピコ・デッラ・ミランドラはヘブライ語も習得しており、フィチーノもアラビア語圏のアヴェロエス主義などを読んでいた。

    本来、知識と経済の発展には、多言語主義、多様性は不可欠である。
    ルネサンスはロマン主義的観想よりも客観性および実践、技術において自然と科学、芸術・学芸を復興させたのだ。

    はたして我々は我々に欠如しているものに対して配慮しているだろうか。

    多様性は少なくとも2010年までは重視されていた。
    しかしながら、今日ではあまりにも内部吸引性が強すぎるために、他の国、他の地域、他の言語でより先進的な事柄を受け入れ活用していくという姿勢、もっといえば気概が失われているように感じる。
    また、物事を受容し、判断するための客観性も十分といえるだろうか。


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    窓辺に咲くTeasing Geogia , TATE BRITAIN / 20...

    六本木ヒルズ モルツ香るエール フェスタ (六本木...

    庭の様子 New Dawn 多年草のハーブ 紫陽花の蕾


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    Innovation is GREAT
    http://www.innovationisgreat-jp.com/




    E,H,ハービソン 『キリスト教学識者-宗教改革時代を中心に-』(知泉書房)を注文していて届いたので読んでいます。根占献一先生監訳。2月にでた書籍とのことでご紹介で知りました。

    問題の本質はこの記事で書くこととは別のところなのだが、私が漠然と理解してなかった事柄、すなわち、ゴシックとは何を指すのか、ということが明文化されていたので引用しておきたい。


    「中世のスコラ学者にとっては、時間を超越した抽象的な真理が最大の関心ごとであったが、これは中世において歴史的感覚が未発達だったことを反映していた。(中略)ゴシック芸術が明らかにする事実は、中世の芸術家に、異教の古代が生き続けていたということであった。ユリウス・カエサルやアレクサンドロス大王は中世の鎧をまとっていた。誰も歴史の連続性に本質的な断絶があると感じてなかったからである。フリードリヒ・バルバロッサは、今だに「ローマの皇帝」であり、「ローマ帝国」が存在した。」

    (このことは、神崎先生の西洋史概説を受けたときに、先生が図解で説明されていた。古代ローマ(現在のROMEでもある)、東ローマ帝国・ビザンツ(否、あえてこう書いているが、本来はローマ帝国はビザンツを指すのだ。)、さらに神聖ローマ帝国は、つまり現在のローマがある古代ローマとはまったく時間と場所も違うのに、当の神聖ローマ側はそのことではなく、ローマとは自らであるという意識であった・・・
    この現在からみるギャップは奇妙に感じるが、たしかに地図が発達しておらず、時間もそれほど自覚されなければそうなのかもしれない。)



    「カエサルとバルバロッサ間の単なる時間的契約は、著作家たちは意識していたところだが、重要ではなかった。古典古代は、未だに同時代として感じられていたのである。しかし、ダンテの死後、この見方に変化が生じた。明らかにペトラルカは、彼の時代と古典古代との間に横たわる「暗黒の時代」を最初に口にした人物だった」
    (第2章 p49)

    これ以降はアルベルティの絵画論であるとかを読むと当時的な感覚の変化と宣言が観られると思う。


    ヴァッラ、ピコ、コレットあたりを読み進めています、エラスムス以降はこれからです。

    フィチーノがない、と思うのですがこれは根占先生が「共和国のプラトン的世界」で詳細に書かれている。


    どの教科書もおそらく、ルネサンスから宗教改革までの時代記述は多くて5ページくらいであろう。
    しかしながら、こうした変化には膨大な潮流があるのであって、私もだが、読んでいきたい。

    エラスムスや北方の同時代思想や教育、美術を学んだ人にとっても、参考になるように思う。








    花菖蒲いけなおしました。
    春紅葉のあかね。

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    2015-03-10-14-26-07



    3月10日 学習院女子大学において行われたジャンニ・パガニーニ教授の講演会の動画が公開されたのでLINKさせて頂きます。
    当日参加したかったけれども行けなかったというお声も聴いたので、簡単な覚書とともに。

    なお、ジャン・ボダンについては、法学部政治学科科目/文学部哲学思想史 の科目「政治思想論」で学んだことがあるものの、懐疑主義、地下文書などについてはまだまだ不勉強な状態です。
    そのことも含めての覚書です。

    当日はイタリアからいらしたパガニーニ先生が2時間ほどフランス語で講演。レジュメと講演の原稿が参加者に配れたので、講演とともに資料とフランス語本文を追いながら私なりに考えていた。
    その後40分以上の質疑応答。英語、日本語、フランス語、英語での質問が飛び交い、素晴らしい講演会だった。(筑波大大学院人文社会学科+ルネサンス研究会)

    さて、ジャン・ボダンの『七賢人の対話』について、恥ずかしながら私は今回初めてこの内容を知ったくらいなのだが、資料に概要が書かれているので引用したい。



    ”『七賢人の対話』では、宗教的立場を異にする七名の賢人が、ヴェネツィアの邸宅で「崇高なることがらの隠された秘密」、つまり形而上学・神学の奥義について対話を交し合う。作中に登場する「七賢人」とは、コロナエウス(邸宅の主人でどこから来たかは不明)、トラルパ(自然宗教論者でスペイン人)、サロモン(年老いたユダヤ教徒でどこから来たかは不明)、、オクタウィウス(イスラム教徒に改宗したフィレンツェ人)、クルティウス(カルヴァン派フランス人)、フレデリクス(ルター派にドイツ人)、セナムス(全宗教支持者にして懐疑主義のシエナ人)である。
     この著作にはもう一人、「私」と呼ばれる人物がいる。この「私」は宗教戦争に引き裂かれた祖国から亡命し、コロナエウスの邸宅に朗読者として保護されながら、「私」の祖国の親友に宛て、七賢人の対話を手紙で報告している。(資料より / 清末尊大 『ジャン・ボダンと危機の時代のフランス』1990 P422)”


    このように七賢人(古代ギリシアにおいて七賢人(そのうち5名は固定であることが多い)はしばしば語られる対象となっていた、この形式にボダンは倣っているようにも思える)の対話篇的な書物であると思える。
    複雑さと多様なバックボーンを持つ、それぞれの宗教的帰属を客観視できる人物たちによって語られているような印象を持つ。

    ”自然宗教の理想は、「調和」といったプラトン主義的霊感、理性賛美というストア主義的観念、「古代神学」といった古典古代のテクストにかかわる様々な記憶によって培われてきた。”

    プラトンの適度さとプラトン主義的な「調和」の概念は少し異なる部分があるのだが、個人的にももう少し簡単な言葉でまとめ、他の人に簡潔に差異を伝えられるようにしなくては、というのは私の個人的な研究課題でもあります。

    講演のうち私が思ったことは、やはり自然宗教というと、ユダヤ、旧約、モーセに起源を求めるのが有力なのだろうか、という点だった。おそらく、宗教という言葉が持つ印象はあまりにも拡大・氾濫しているせいかのかもしれない。エジプト起源のものを多神教として、(つまりオキシデントにおける宗教外のもの)とらえるならば、そうなるのかもしれない。この規定によれば、多神教は「宗教」には含まれないからである。ここでも自然という言葉と宗教という言葉が合わさったときに、自然的(おのずからという意味の)に成立をみた宗教という意味なのか、自然に真理・普遍性を見出す宗教なのかでは、だいぶん方向性が異なると思ったのだ。

    ちょうど、現在、アリストテレス自然学を学ぶうちで(朝日カルチャー 新宿 納富先生による)、「自然」という言葉、日本語に訳語された自然と、Natura Physis の違いが議論の中で問題になっているのもあり、覚えがきとして書いておきたい。

    私の中では、宗教/自然をそのままの意味で、飲み込めるほど自然なものではないからだろうか。

    自分でとったノートのほかに、動画で講演全体が公開されたことは本当に素晴らしいし、これから考えてみたい事柄なので(おそらく、この問いは今日の宗教的な問題、国際政治的な問題の根と、問題点の客観化にも有益だと思えるのだ。

    この講演会は、イタリア学会と私の研究テーマであるフィレンツェ・ルネサンスにおける日本の第一人者である根占献一先生からお知らせ頂いて参加することができた。先生ともお会いすることができ、本当に貴重な機会をすばらしい環境で得ることができた。3月15日は慶應義塾でも講演があったと聞いています。

    Japanese Association for Renaissance Studies
    http://www.renaissancejapan.org/

















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    ボッティチエリ展の告知が配布されはじめてますね。

    チラシの裏側にあるのは、ウフィツィの<受胎告知>。

    Twitterですこし言っていたのはこの作品。私の記憶によれば、2001イタリア年の時に、記念切手となった作品。
    そしてウフィツィ美術館のチケット売場の壁に展示されているボッティチエリによる、ガブリエルとマリア。

    この作品が来日するのかと思うと待ち遠しくなる!春を心待にするプリマヴェーラ、まさに その心境。


    ウフィツィ美術館展には娘も連れていかねば。二回訪れたいった現地。美術館、サンマルコ、パラティーナ。




    他の記事;ボッティチェリとルネサンス :2015年Bunnkamura...

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    名状しがたきなにか

    • 指輪展時 上野 東京文化会館工事と昭和36年竣工時の写真パネル
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        熱が出ると「天使の姿」という翻訳ビジュアル本を観ることが多い。具合が悪いので複雑なことは考えられないし、かといって時事的なものを読む気にもならない。
        前にも書いたかもしれないがこの本は、そういうときに読むのに最適だ。
        キリスト・ユダヤのガブリエルはイスラームはジブリールである。
        エジプト時代のホルスからヘレニズムで神々の形が変わったように、天使もまた姿を変えた。

        この本の中ごろに、「受胎告知」のみを扱ったコーナーがあるがそこが面白い。
        (すこし前にツイッタ上で話題にしていたのもこのあたり)
        「受胎告知」は秘密を一方的に告げに来る上位存在だ。
        その告げに来る様子が、1300年代と1400年代ではまったく違う。
        上のボッティチェリは飛び込み型といわれている、窓から入ってきて時間がないといわんばかりにマリアに告げる。
        マリアとの距離も近い。
        アッローリの作もまた性急さが感じられる。
        ルネサンス人がおかれた、心情をたまに想像してみる。
        「死すべき運命の」(死は必然である・否・死はならし屋なのだ)人間の寿命は大体決まっており
        知性のほうはといえば、高次存在でははいので、時間空間を隔てたものを直知することはできない。世界の知識は膨大であり、それを理解しなければ、(彼らが信じていたところの)「天使的な生」というものにも近づけない。死を漠然と待つものは植物的であって、生きる欲のみに支配されたものは動物的な生であって人間的な生とは言われなかった。
        ピコやフィチーノが目指していたのは「天使的な生」といわれる限りなく「ヌース」にちかい存在を短い寿命の中で達成しようとした。
        彼らはみな粗食であり、ミケランジェロもまた粗食であった。

        我々がルネサンス人に惹かれるのはそういう部分なのだ。しかし、彼らのおかれたこれほどまでの強迫観念にはひどく同情もする。

        以前にヴァッラの影響が、のちにフィチーノには伝播しているのかという記事をかいた記憶があるのだが、10月にロレンツォ・ヴァッラの本が出るというので読んでみたいと思っている。

        最初の話にもどると、旧約の天使は酷い(笑)ガブリエルもミカエルも容赦がない。
        神が姿を現さなくなった後、そこは天使空間となる。

        やっと内科に行ってきました。抗生物質を服用してどうにか改善しなくてはなりません。
        待合室で小説「マルガリータ」を少しだけ読んでいました。腰痛もひどいため、待合室にいくのも投薬待つのも(パソコン開いて10分くらい入力するのも)なかなか負担が・・・。
        モチーフは好きなんですが、お芝居のほうのサイトをにちょっと言った、彼らのことを説明するのに
        いちいち「日本凄い」の文言がついてまわっていて。この話は、日本凄い、など流行の陳腐きわまりないフレーズだけは使ってほしくなかった、とあの解説頁は勿体ないと思うのですが・・・
        読了したらまとめて感想を書くかもしれません。
        短編以外の小説を読むのは久々なので、この風邪治療中に読めたらいいかと思います。

        「天使の姿」この中に、カラヴァッジョと、それから度々話題にでるイヴリン・ド・モーガンの「死の天使」があります。イヴリンの絵画はバーンジョーンズと同等かそれ以上に好きです。
        目黒区美術館の企画展でしか実物をみたことがないのですが、回顧展を生きているうちにやってほしいです。







        マルガリータ (文春文庫)
        村木 嵐
        文藝春秋
        2013-06-07




        ボッティチェリ
        ロナルド ライトボーン
        西村書店
        1996-11



        angelico_annunciazione00

        フラ(ベアート)アンジェリコ

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        アペレスの誹謗


        ウフィツィのボッティチエリの部屋へいったらこの、小さなアペレス「誹謗」を復刻したといわれる絵も
        必ず観てほしい。


        livedoor

        名状しがたきなにか

        La Sylphide あるいはゲール語

        リッチー・ジェイムズ・エドワーズ ”Revol" "From ...

        9月のキーワード・モバイル版(2/1’)

        「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」 (於:板橋区立...


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    この図録ムックにもおさめられている<神秘の降誕>がすばらしい。


    botticelli_mistica01


    http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/botticelli_mistica.html
    (WEB上で参照するのによいsalvastyleの頁)

    アレッサンドロがサインを残しているのはこれだけである(ドナテッロの場合も、彼はめったにサインを残さなかったがユディトだけ「ドナート作」と名前をいれた)


    そこにはギリシアでだいたいつぎのように書かれているという。

    「私サンドロは、1500年の末にイタリアの混乱の中で一つの時と半分の時が過ぎた時に、すなわち、聖ヨハネの11章によれば、悪魔が3年半の間解き放たれているという目次六の第二の災いの中で、この絵を描いた。
    ・・・・」


    ただし作品にサインを入れるのが恒常化するのは北方ルネサンス・デューラからであり、それまでは画家自身が作品の所有や作品を通じての認知は望まなかったし、それが当たり前だったのだ。
    観すごしがちだけれども、それは近代とルネサンスあるいは中世の違いである。
    しかしながらあまり人々が意識せずとも使い、集う建築などはそれと似ている。



    現在この絵は(も)、ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある。
    私がロンドンに行きたい理由はボッティチェリとロイヤル・オペラ、ロイヤル・バレエが二つの軸になっている。



    また<石榴の聖母>と並ぶと思われる<聖母と3人の天使>もすばらしい。
    背景には純潔の百合。

    彼の生涯や、誰の弟子であり徒弟制度で育ったかなどを知ってからボッティチェリ展、あるいはウフィツィ美術展へいくとよいと思う。

    リッピのところで修行したのちに、アレッサンドロはヴェロッキオの工房へいっている。ヴェロッキオはレオナルドの師匠であることが興味深い。 いや、こんな言葉では足りない。アレッサンドロが生きていた界隈はいまもあまり変化せず、記憶の場である。われわれには自らの体や血縁を越えた愛とか慈しむという感覚はないのだろうか。 現代人は、だれのいかなることがらに憧憬し、理解しようとし、努め求めて誰に伝えようとしているのか。単なる再生産を肯定して目をつぶるのだろうか。

    このムックは、画家ごとの画集を観た人にとっても特化したところがあって面白いです。

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    ついにサンドロ・ボッティチエリ展がBunkamuraで。20153月から。 ストラスブール美術館あたりから出品されるようです。




    ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)
    ディオゲネス・ラエルティオス
    岩波書店
    1984-10-16




    ポッライウォーロとサンドロ・ボッティチエリのニックネームについて書いていて思ったこと。
    『芸術家列伝』の前例はディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』だろうがあだなの付け方もギリシア古典期を踏襲したのだろうか。おそらくそうだ、と考えての以下追記。

    キュニコス派のアンティステネスは‘紛れもない犬’と呼ばれた。
    他方プロトルネサンスのマザッチオは‘汚いトンマーゾ’である。これは絵に対する情熱のため身なりにかまわなかったためにつけられたがマザッチオは純朴な人で愛され、あだなに悪意はあまりない例。
    アレッサンドロはロレンツォの遊び友達で樽(ボッティチエリ)は恐らく酒飲み的ニュアンス。

    ギリシアがラテン世界で再生するのはフィレンツェ公会議以降。ロレンツォはペリクレス時代のアテネを目指した。
    (それ以前は共和制ローマ)
    ヴァザーリはシニョーリア市庁舎の室内装飾でギリシア文化のいわばラテン化をし、レオ10世(ロレンツォの息子)はヴァチカンのギリシア・ローマ化・共存をしている。
    これは相当に画期的だ。が、ルターらはこの融合を攻撃していた。(攻撃の矛先がややずれている気もするが)
    カトリックの起源にはローマ多神教・自由学芸が融合しているので、イタリアと北方では感じかたが異なるというのもあるのでは。



    因みにラファエロの<アテネの学堂>も構想上、『ギリシア哲学者列伝』と『芸術家列伝』的なものを組み合わせている。自画像含め、ルネサンスの画家の集団肖像画の機能も持ち、しかも遠近法、レオナルド・ダ・ビンチ的なドラマの表現を用い、古典建築の造詣も生かされている。

    『ギリシア哲学者列伝』はユーモアもありそれもヴァザーリは継承している。
    あだなを愛着込めてつけているようなところも、シニカルな笑いも踏襲されている。

    それにしても、この手のあだ名や通名の率直さは凄い。
    恐らくだがロレンツォにつく、豪華王もこの流れによるのではないだろうか。逆に、痛風持ちのピエロ(デ・メディチ)の通名は、額面どおりではないような思える。豪華王とか、ミランドラの王子(ピコ・デッラ・ミランドラ)、アルベルティ(全能人)に対して、マザッチオやポッライウォーロの通り名よ!
    それでも工房の職人から通名ある職人になり、芸術家列伝で彼らは芸術家になったのである。

    同時代人が自らの価値観と審美眼、エピソードと業績を書き記し、価値付ける。
    ギリシア哲学と古典期をルーツにもつ芸術家列伝だが、人文主義が規範にしたレプブリカとユマニスムの方法で纏められた記録だと思える。

    もし、同時代のうちに価値付けをするならば、『ギリシア哲学者列伝』の手法を用いると良い。

    因みにピコやアルベルティには天才エピソードも付随する。
    ピコは本を一度読み覚えてしまい、逆からも暗唱できた、アルベルティの驚異的身体能力など。雄弁が求められたから全てを信用するわけではないが、その時代の空気や都市の様子も感じられるエピソードは愉しい。

    一次資料の価値もそのあたりにある。

    肖像、プロファイルは同時代性と我々(we)という意識の獲得が必要だが今日的にはどのように作用しているのだろうか。






    4
    ボルゲーゼ展には先日2/7(日)の講演会の際にも行きましたが、土偶展の帰りに再度立ち寄りました。
    都美術のブックショップでSACLA(日本語版は東京書籍)のレオナルドとラファエッロ・サンティ、ミケランジェロを売っているので要チェックです。サンドロ・ボッティチエリとラファエロの額絵もここでイタリアから輸入されたものが売っています。

    ボルゲーゼ展のグッズ売り場では、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局が出品していますが。限定品オーデコロンを購入しました。前回も少々気になっていたものです。ダンテの『神曲』をモチーフにし、人間の天使と悪魔の両方の要素(香り)を自分で調合できるオーデコロンです。
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    ダンテ・アリギエーリはフィレンツェを追放されたあと、『神曲』を書きながら生きた。当時の人々は本当に「呪術・錬金術」にダンテが通じていると恐れたので、ダンテに実名を書かれた人は、贖罪をもとめて礼拝堂をつくった、スクロヴェーニもそのひとつ。地獄篇の彼の怒りはすさまじいものがある・・が、
    この限定品は本をモチーフにしたボックス入りで、天国(paradiso)と地獄(inferno)の2種を自分で調合できる!のです。ビーカーとブルガトリオ容器つき。

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    天国のほうは、ゆりなどのフローラルな香り。レオナルドやボッティチェリの描く、受胎告知の百合を思い出す香り。すがすがしく甘美で高貴な感じ。

    地獄のほうは、ムスクなどの甘めで温かみのある香り。乳香も入っていそう。
    Infernoのほうが好みかもしれません、まだ寒いせいかもしれませんが・・・なので、調合するときは1:2くらいにするつもりです。
    春先の陽には、パラディーゾの香りが合いそうです。


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    ダンテのコムーネ的気質よりも、コスモポリタン的人間性に惹かれます。

    「私はどこの空の下でも生きられないでしょうか」と、ブルクハルトも引用しているが、ルネサンス的ユマニスムとは、こういった人間性と自律・自立に拠っていると私は思うのです。


    カラバッジオが今回よく見えた。
    目の光のリアリズムに息を呑む。劇的で絵画的でありながら、実存感に満ちている。人の呼吸を感じる。キアロスクーロ(明暗法)の中に、それが息づいている絵画である。

    グエルチーノの「放蕩息子の帰還」もすばらしい。
    他のグエルチーノ作品もみたくなる。
    ガラスを通して外界の光が描かれ、ドラマ性はカラバッジオの影響があるが、次の時代の絵画への橋渡しをしているような絵画だと思う。
    近くによると、光が反射してしまい、いつもながら都美術の展示方法はあまり満足とはいえないのが難点。サヴォルドとギルランダイオの作品も改めてよかった。

    やはりフィレンツェとローマは美術・建築・彫刻好きには見果てることがないと改めて思う。

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    サンタ・マリア・ノヴェッラといえば日本では薬局の香水などコスメ的な認知度のほうが高いですが、アルベルティの設計したファサードが美しい教会です。そして中にあるフレスコ画や彫刻もとても素晴らしく、何時間いてもあきない魅力があります。ジョットの十字架がステンドグラスと調和し、マザッチョの「聖三位一体」は遠近法が正確に描かれた記念碑的なフレスコ画です。ブルネレスキが考え出したという透視図法をいち早く実践し、のちに理論体系にまとめたのがレオン・バッティスタ・アルベルティ。
    (その絵画図法を後に完全に再現してみせたのが、レオナルドの「最後の晩餐」だといわれています。だからレオナルドの「最後の晩餐」には聖人たちが普通の人間として描かれ、ユダも一列に配され、遠近法の空間を重視されている。)
    余談ですが、私にはどうもアンジュラン・プレルジョカージュのマルコ福音書をテーマにしたバレエ作品は(このブログにも感想を書きましたが)この主題が反映されているように感じるのです)

    サンタ・マリア・ノヴェッラにはその他にもギルランダイオのフレスコ画、フィリピーノ・リッピのフレスコ画があり、ドナテッロとのエピソードにでてくるブルネレスキの磔刑像もみることができます。

    晴れた日のファサードと広場はとても清々しく美しいものです。
    アルベルティが依頼されたのはファサードの上部の設計らしく、下の部分との調和を考えて幾何学の計算のもと造られたものといわれています。

    アルベルティについては『絵画論』は勿論ですが、メチエの池上俊一さんによる「ルネサンス再考 万能人とアルベルティ」が面白い。アルベルティは家族論も著していて、(現在のジェンダー観点からすれば文句もでそうですが、そういうことを主眼にして排斥してしまってはアルベルティの著作から得るものはないですから)教育論も面白い。
    とにかくもアルベルティによって、建築家の社会的地位が上がったといわれています。評論というのは価値の再考であって、他者が不当な立場にあるのを援護する役目において意味があるのだと思う次第です。

    個人的な日記としては大晦日、元旦は休みですが、どうにも体調が復調しません。
    熱から喉の炎症になって、今朝からまったく声がでない状態です。

    呼吸器系や腰椎などもともと弱いところに症状が残っていくだといわれました...

    新年の買い物などはここ数年、人ごみにでるのが辛い+時間もないので、必要なものはすべてパルシステムで注文して配送していただきます。配送の担当者の方に感謝です。1月は20日すぎまで休日がなさそうなので、本当は27日に「ベジャール・バレエ」の映画を見に行きたかったのですけれども、公開しているうちに外出できる日があるかどうか。春までの気持ちの支え(苦笑)が「ベジャール・バレエ」の映画、ボルゲーゼ展、マッキアイオーリ展の3つなので、心中穏やかではありません。
    あとはひたすら、なにをするべきか、どうすればベターか、の自問と実践の日々です。

    このブログをみてくださる方も、体調お大事になさってください。
    年内にいくつかお手紙を出そうと思いながらまだ出せていないものもあります。





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    ドナート、ドナテッロの魅力について「明確」に語ることは果たしてできるのだろうか? 多くの優れた、長い間人々を魅了する作品は、語りつくすことができないがゆえに、常に多くの人の目をひきつける。

    ドナテッロの「ダビデ」あるいは「メルクリウス」はドナテッロの魅力に満ち溢れている作品である。
    「聖ゲオルギウス」、「踊るプットー」、「ユディットとホロフェルネス」の魅力のすべてを一つに集めて、なお余りあるようなブロンズ彫刻である。
    360度から観られることを念頭に造られた彫刻は、一つの作品、一つの主題に、多元的な思索と視点を包括している。
    ここで多くのことを語れないが、例えば、アンソニー・ヒューズが指摘したように、「私たちは作品の裏側に私たち自身を観たがる」という傾向がある。

    たしかにその通りなのだが、しかし個々の解釈をすることを、見る側は臆することはない、と私は思う。
    それは、作品にとって、観る側の人々の目は前提であり、観る人が何かを受容すること(受け取ること)がその作品が「生きつづけている証」なのだから。
    ただし、観る側、つまり私たちは作品に対して謙虚に、沈黙の中で対峙しなくてはならない。作者と作品が無言で放つ言語や意図を受け取るために、鑑賞者にとって必要なことである。
    観客なしの舞台がないように、読者なしで書物が書物で在る事のないように。

    優れた造形物は言語を凌駕する。
    それと同時に、優れた造形物は極めて言語的であり、理論に基づいている。
    それゆえに、自明のような自然さでそこに佇むのであり、人をひきつけて止まない。

    ドナテッロの彫刻における精神は、相反するものを一つの形にし、しかもそれが超越的かつ調和的であることである。
    このことはいつか詳細に書くことができればいいのだが、これは彼自身の気質や周りの人々との関係なども反映されている。つまり経験、環境もまたそこに影響しあっている。
    ブルネレスキ、コジモ、そしてフィチーノとの関わりはどうなのか、また歴史的にみると、ロレンツォ・イル・マニフィコの死の前後とポリッツィアーノとミケランジェロとの関わり、プラトニズムとフィレンツェの関わりなど興味はつきない。
    アレッサンドロ・フィリペピ(サンドロ・ボッティチエリ)はその転換がもっとも影響を与えてしまった画人のようにもみえる。

    作品は多くを語るが、即物的に眺めていても解読できないこともあるのではないだろうか。その周囲や社会的状況、思想史をみることで、なぜその作品が際だっているのか、その理由を見つけることができるのではないだろうか。
    しかしそれは「あら探し屋」のような言動によってではなく、「よさ」を受容し理解して生かしていくために必要なのではないだろうか。


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    「ユディットとホロフェルネス」はパラッツォ・ヴェッキオの広間に現在置かれている。(フラッシュをたかなければヴェッキオ宮内は撮影可能)
    外に広がる大きな窓からは、ブルネレスキの大聖堂ドーム、ジョットの鐘楼などが眼前に見える。メディチ家追放のあと、次々に場所を移動させられたドナテッロのユディットだが、ここならばブルネレスキの仕事も見え、フィレンツェの街も見渡せ、「ダビデ」や「踊るプットー」が置かれているバルジェッロの塔も見渡せる。

    作品に相応しく、作者がおそらく心休まるような場所になるべく置こうという、細やかな配慮を感じるのは私だけだろうか?


    ヴァザーリの『ルネサンス彫刻家建築家列伝』(白水社)から、このドナテッロの晩年の傑作ユディットについて引用させていただく。

    「フィレンツェの政庁(シニョーリア)のために、彼は政庁前広場の開廊のアーチの下に置く鋳造作品を作った。それはホロフェルネスの首を切り落とすユーディトで、たいへんに卓越した技量のほどを示す作品である。ユーディトの衣服や容貌の外面的な単純さをじっくり観察していると、その内側にはこの女性の剛毅な魂と神の御加護がはっきりと認められる。一方、ホロフェルネスの表情には酩酊と眠りが、生命が絶たれて冷たく垂れ下がった四肢には死が見てとれる。(略)彼はこの作品に非常に満足したので、他の作品ではしたことがなかったが、今日でも見られるように「ドナッテッロ作」と自分の名前を刻んだ」(森田義之・上村清雄訳 P.158)

    ヴァザーリが言うとおりユディットの容貌と表情からはリアリズムとそれ以上にユディットの内面性が克明に現れている作品である。そしてホロフェルネスについては、ヴァザーリはその身体には死が見て取れると書いているが、それ以上に私が感じたことは、、腕は死によって物質と化した脱力した身体の表現が、脚は今まさに息絶えようとして苦痛のために極度に緊張した身体の瞬間が刻まれていることである。つまり、ホロフェルネスには死と生命の両方が刻まれているブロンズ彫刻であり、しかもその表情は苦痛よりも永遠の眠りと酔いが表されている。ユディットの理性と狂気の共存した表情と対照的ながら、一つの作品として調和して現前しているのを、私たちはみることができる。ドナテッロの作品はどれも、多かれ少なかれこの両義性を持っていると私は思うのだが、二人の人物を一つの作品にしたものとしても、その完成度にしても稀にみる作品である。

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    ユディットの前に広がる大きな窓からの風景。
    ブルネレスキ、マザッチョ、ドナテッロは友人同士でもあり、思想的なリーダーはブルネレスキであった。バルジェッロ博物館のドナテッロの間には、ギベルティとブルネレスコの「イサクの犠牲」も一緒に展示されている。
    ユディットといい、バルジェッロといい、とにかくも去りがたい場所である。

    ルネサンス彫刻家建築家列伝ルネサンス彫刻家建築家列伝
    著者:ジョルジョ ヴァザーリ
    販売元:白水社
    発売日:2009-01-16
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