1DAY-25HOURS デザイン・フォー・ライフ

from ousia@web 高嶺(Takane)によるデザイン・フォー・ライフ. テキストと写真で綴ります.

タグ:プラトン




納富信留先生の「古代ギリシア哲学史(全61回)」4年間の講座が一旦終了、4月からはまた新たな講座が始まりますが、初期から出席していたこともあり、論文指導もして頂いたこともあり、講座と講座のあとの食事会にも声をかけていただいたので出席してきました。
受講者で全講座出席されたN様が、個人的に作られたレジュメファイルの目次、即ち講座一覧表と備考の表を出席者に配布して下さいました。
2013年4月22日の「初期ギリシア哲学とは何か:資料論」から始まり、ミレトスのタレス、アナクシマンドロス、クセノファネス、ヘラクレイトスが6月までの講座、夏からはパルメニデス、エレア派、アナクサゴラス・原子論、エンペドクレスなどを経てソフィストの時代へ。「ソフィストと哲学者のあいだ」「ソフィストとはだれか」はサントリー学芸賞を受賞された著作ですので、お読みになったかたも多いかと思います。
(私が三田南校舎で論文発表をしたとき、丁度、NKHの「100分de名著」を納富先生が担当されており、それを見ていた三田会の会員(卒業生)の他学部の先輩方からも質問を頂いたことも。

先日の講座では、プロティノス以降のイアンブリコス、プロクロス、ポルフィリオスをはじめとした新プラトン主義哲学を概観し、イアンブリコスは一部納富先生が翻訳された部分を資料としてもまた講座でも少し読むなどし、ヒュパティア、ダマスキオスなど、アカデメイア派とアレクサンドリア学派の交流、その差異などを含めて1時間半の講座が行われました。途中、何度か質疑応答を含めて受講者と対話的に話しながら、プロクロスの「神学要綱」「プラトン神学」の内容までを扱う内容で、新しく知ることも多く、大変刺激となった。
納富先生は大変、講座の際の情報量が豊富かつ、板書もしてくださったり、翻訳がない文献に関しては、独自に翻訳してレジュメに掲載して下さる。これはとても勉強になるし有難い。加えて、やはり独自に読書していて理解したと(自分で思っている)事柄、内容を先生の解釈を聞いたあとで直接対話的に確認させていただけるのが大変ありがたい。多くの受講者のかたがそう思っているはずである。



哲学の誕生: ソクラテスとは何者か (ちくま学芸文庫) [文庫]
納富 信留
筑摩書房
2017-04-06

このblogでも何度か書いている、また自分が初期に読んだ本でもあり、大学の教養課程で哲学科目を履修している大学生にも時々すすめている「哲学者の誕生」(ちくま新書)がこのたび4月に一章を追加した形で改定+補遺された版で出版される。ラテン語学習会や古典ギリシア語学習会の小又先生から納富先生の新刊が出る旨を聞いていたので、この日、講座のあと先生からこの新版についてもお聞きできた。

この書籍はぜひ、哲学や思想、近代日本の学術伝統を考えるうえでも広く読んでもらいたい本である。

講座が終わった後は今までの講座内容はもちろん、最近の世界での研究状況なども踏まえて貴重なお話を聞くことができた。参加された方にも、もちろん納富先生にも感謝と御礼を申し上げたく、記録しておく次第です。

また、現在は新訳の「パイドン」を翻訳中で年内を目安に出版刊行される旨をお聞きしたので付言しておきます。



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プラトンとの哲学――対話篇をよむ (岩波新書)
納富 信留
岩波書店
2015-07-23








合評会ではかつての卒業生、古典語学習をする皆さま、プラトン研究をする方々、現役大学生等多様な方々、数学専門教育を行う方々を含め、三田キャンパスにて行いました。

http://ousia.livedoor.biz/archives/52373833.html

合評会(2016年12月23日 午後)





アリストテレス全集〈3〉トポス論 ソフィスト的論駁について
アリストテレス
岩波書店
2014-08








ソフィスト的論駁を納富先生が翻訳されています。
アリストテレスのカテゴリー論、命題論もぜひ全集で読まれることをお勧めします。























2017年4月からはディオゲネス・ラエルティオスをテキストに古典期哲学についての講座が予定されています。


ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)
ディオゲネス・ラエルティオス
岩波書店
1984-10-16






プラトン研究の大先輩というべきEさんから私が出席できなかった講座(納富先生)の資料を提供していただきまして、近況含めてプラトニズムの話をしました。テーマがテーマだけに落ち着いて話せそうなのでバルバラ・ルミユゥ(有楽町)にて。

あるテーマを中心に学び続けていると、なんらかの接点から、幸運な偶然から同じテーマで学ぶ方と時間を共有できます、そういうときに、この世の中は基本的にやはり善によって成り立っているのだ、と思います。


内在と超越の閾―加藤信朗米寿記念哲学論文集
知泉書館
2015-08-10









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グラナをくりぬいたチーズの器のなかで仕上げるカルボナーラ、美味しかったです!
ワインが進む・・・。
そしてスマートフォンの電池が異常になくなるのが早い昨近、お料理の写真をかわりにとっていただきました;
(すみません....and ありがとうございます)




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こちらは、第15回を迎えた(一応)自主的に主催している勉教会 講座でみせていただいたルネサンスおよび美術史の新書。図版一部がカラーになっています。
後輩かつ図図しくいえば教え子といえると思いますが、小学生の時に東博へ引率したりして(自分の娘と一緒に)それがいまの研究・制作テーマになっているというのもやはり嬉しいことでした。
広義の教育とはおそらくそういった作用、伝播、継承(批判も含む)のつながりなのだと思っている。



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私は専門を西洋思想史、特にルネサンス期フィチーノのプラトニズム、プラトンと新プラトン主義についての受容、その意義としている。意義というのは当時つまりルネサンス期とその後の古典古代学術芸術文学への影響を含む。同時にそれは、浸透したゆえの誤解や変容なども含まれる。

過日、放送大学筑波大学の学習センターで開かれている小又先生の古典ギリシア語学習会の時間のなかで、数十年ぶりに堀江先生とお会いした。わたしは最初の哲学講義履修を堀江先生のプロティノスで学んでいる。初めてテクスト、原典を読む、この時と場所を超えて古典となった多くのテクストにいかにむきあうか。
一者、多なるもの、知性 それらの派出と帰還。
プラトンにおいては太陽の比喩から線分の比喩として語られたもの、またわずかな水脈、つまりはアカデメイア閉鎖後の水脈をつうじて、しかしながらキリスト教にも重要な要素をプラトニズムは持っている。

堀江先生にむかし授業中にわけていただいた論文抜刷りを持参しお見せしたら、1番最初に書いた論文だといわれた。

来年夏からおそらくプロティノスの講読が行なわれる旨もお聞きできた。

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講読内容についてのお話を学習センター所長と小又先生からお聞きして参加させていただき、文献についてもお聞きできた。プラトン対話篇の講座で御一緒している先輩にもお声をかけてこの日、いろいろ対話できたことも。

台風が近づいて天気が危ぶまれたが、このような機会に参加できたことが幸い。













写真転送がうまくゆかないため、後から修正します。
まずは今週のうちに。


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新プラトン主義と錬金術: 神智学の起源をたずねて
アレクサンダー・ワイルダー
UTYU PUBLISHING
2014-06-09



内容は上記参照ください。






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小又さんの古典ギリシア語学習会は数物クラスの後に実施されています。

高嶺さんの注目記事



ここのところ、長いテキストの多くが(まとまっているとはいいがたく備忘録が多いのだが)演劇・舞台鑑賞の類が多い。多い..のでプラトンを多少なりとも学んだ自分は、件の「詩人追放論」を思い出し、良心の呵責を覚えたりもするのだが....

栗原裕次先生の<イデアと幸福>を読み、一部分だが引用させて頂こうと思った場所がいくつかあった。
コピーするだけではなく、数ページだったらノートに書き写しもした。

「プラトンが詩人追放論を唱えていた根幹には、青年や子どもには「いかに生きるべきか」を「社会の規範」を植えつけ、ドクサの夢を見ながら眠り続ける大人には甘く快い子守歌を聴かせるのみで、生の原理を積極的に吟味する機会、生を択びなおす機会--を与えない。ここにプラトンの眼差しは向けられたのである。」
(哲学と詩の闘争 p.206-207)


そのあとは実際にお読み頂きたいが、もう少し引用させて頂く。
「彼(プラトン)が対話篇の中にちりばめる豊かな芸術的要素に注目すべきだ。とりわけ『ポリティア』をはじめとする中期著作は、魅力的なミュートスや比喩、アナロジー等、文学的色香に満ちあふれている。それらば、合理的思考(ロゴス)が行き詰ったときに導入され、新たな地平への跳躍を可能にし、さらなるロゴスを誘発する。」
(同p.207)


対話篇を読むにあたり、プラトン対話篇がもつロゴスと詩的比喩のバランスについて関心があるため得心した箇所だった。(ない人はプラトン対話篇をそれほど読まないはずだから)

毎年夏に開催されていた後期対話篇をめぐる講演会で何度か栗原先生には直接お話も聞いている。


久々にまとまった時間を図書館で過ごせた。

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栗原先生、納富先生も書かれている加藤先生米寿記念哲学論文集






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納富信留先生による1回講座、"トマス・モア 『ユートピア』を読む" に参加しました。

Firenzeルネサンスはエラスムスまではなんとなく関連して学んできたけれども、実のところ私も「ユートピア」を繙くのは初めてのことだった。ラテン語原文で書かれ、次に英語版がRobinson版として出たのも、マルシリウスの「饗宴註解」がラテン語からトスカーナ語版としてすぐに出たのも少し似ている。
そして時代は少し違うのだが、トマス・モアの「ユートピア」も広く西欧大陸で読まれたものである。
加えて、Ficinoの「プラトン的愛」がプラトニック・ラブという言葉となり、一人歩きしてしまったように、トマス・モアの「ユートピア」もまたその内実や内容を読まないまま、「なんとなく」広まってしまったものではないだろうか。

今日、日常用語として使われている「ユートピア」はどちらかといえば、「アルカディア」(アルカディアの牧人たち)に近いニュアンスではないだろうか。もっともフランス古典主義の有名な二コラ・プッサンの<アルカディアの牧人たち>では牧人たちがアルカディアでも「死」は存在する、「死をわすれるな Memento Mori」の警告を石棺からうけとるという場面なのだが。

このあるとするならば、いや「どこにもない」(まだかつて)島についての説明は、二巻目以降になされている。
一巻目および、報告のための手紙(の体裁)は文学構成として、把握して読む必要がある。
今回本文をよみはじめたときに、どのようなスタンスで読み始めたらよいものか、と当時のイギリス史と、トマスモア研究所のいくつか、年譜などを事前に調べて読んでみた。

納富先生のレジュメは7ページほどにおよび、プラトン受容に関しては、「ポリテイア」のギリシア語をご自身で翻訳したものをいれて説明して頂いた。




因みにラファエル ヒロスディの名前由来とされる、大天使ラファエルとトビアス。魚からとれる薬を求める道中の守護天使が大天使ラファエル様なんですね。
ほかの大天使はいきなり現れて秘密を告知したり、飛翔して武装して楽園追放の場面が多いミカエル様など、ラファエルと若者、旅の庇護者というのは派手な主題でもないが、重要であったでしょうね。なんとなく、翼をもち、空間移動すらマテリアに関係なく出現できる大天使なのに、トビアスの手をひき、自ら大地をともに歩くとは、ラファエル様の役割や当時のかたの心性に思いを馳せました。この作品は昨年の文化村でのボッティチェリ展に出品されました。


さて、モアの「ユートピア」思想は広範囲に影響をもっている。
ウィリアム・モリスもまたモアの思想に憧憬を描いていてそのようすは文献としても写真としてものこっている。
またフランスでの社会主義はよりモアの影響は近かった。この本は「マニュアル」ではなくきわめて技巧的、修辞的なレトリックを用いたもので、あそびの部分がある読物だと思う。
何よりも人間的であるかどうか、人間性が重視されることへの配慮が、モアの「ユートピア」の特徴であるかもしれず、それは人文主義を十分に継承している。

ピコ・デッラ・ミランドラのピコ伝、モアがギリシア語をまなんだ師が、Firenzeのアカデミア・プラトニカで学び帰国したこと、などイギリスにおけるルネサンス(まだ英語が確立していない)受容展開を学び、参加者との討議や質疑応答を含めて講座だった。
10時から15時までで途中1時間の休憩と小休止をはさんだ。
納富先生の講座は今後も美の哲学、ヘレニズムの哲学史などユース学生会員の方が受講料を安価に受けられる講座も豊富に用意されている。
今回も、美大在籍中の知人がぜひ受講したいということで参加した。

プラトン
岩波書店
1967-01-16




納富 信留
慶應義塾大学出版会
2012-07-19


講座終了後、納富先生はニューヨークから帰国されたばかりのハードスケジュールながら、参加した受講生やユース会員のかたとおよそ3時間時間をとってくださり、ギリシア語、翻訳の問題、ソフィステスの問題、当日のテキストであるトマス・モアの問題等、軽く食事をしながら談話会の時間を設けて下さった。

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カフェでフレンチトースト・スモークサーモン。ラタトイユ添えを。



2015年12月に慶應義塾三田キャンパス会議室にて、合評会を行った。
その後参加した方も、それを機に読み始めたという方もおり、ぜひ対話篇を決めて、あるいは、後半の章に絞って、あるいはパイドロス、ピレボス、テアイテトス、など焦点を絞った会を、と聞いています。
それまでには私のほうも、もう少し、ピレボスについて整理しなくてはならない。
ピレボス研究についての質問にも答えてくださいました。

朝日カルチャーでは、美のシリーズとして、哲学の美として、プラトンからプロティノスの1回講義が6月に予定されている。



プラトンを、哲学を、という方にはぜひこの筑摩書房の新書をお読み頂きたい。





トマス・モア
岩波書店
1957-10-07


講座レジュメの対応しているページ数はこちらの岩波版。


慶應義塾大学出版会
2015-10-29



納富先生がRobinson版の英語版、ラテン語版の書物も教室に持参くださり、現物をみることができた。





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12月23日(祝・火)午後13時より18時まで、納富信留先生の新書『プラトンとの哲学』を読んだ読者からの質疑応答、感想を踏まえて議論する会を慶應義塾三田キャンパス会議室にて行いました。
まず、場所と年末の忙しい時間の中で、時間と場所と機会を提供してくださった先生に感謝の言葉を述べ書き残しておきたいと思う。
納富先生のもとで哲学、哲学史、また私のようにプラトン受容とプラトン哲学、プラトニズムについて研究した卒業生(饗宴、国家、パイドロス、ピレボス、メノン等)、古典語を学び古典文学を学んだ慶應卒業生、現役の他大学の学生、西洋史の専門、放送大学で数学物理とギリシア語クラスを教えているK先生、工学部の学生など、いわゆる「理系、文系」にカテゴライズされず、学んだ人あるいは学びつづけている人たちで会議を行えました。ご参加されたみなさまにとって、著作を通じて対話できたこと、直接先生から執筆動機をうかがえたことなど、本当に貴重な機会だった。


13時から序章 プラトンとの対話 (アカデメイアの木陰で....)より 
      第1章 生の逆転『ゴルギアス』 P21より
      第2章 魂の配慮 『ソクラテスの弁明』P.45より まで
      第3章 言葉の中での探究 『パイドン』P71より
      

15時から 
       間奏曲 第七書簡 P.101より
       第4章 『饗宴』P.121より
       第5章 理想の変容『ポリティア』P.145より

16時50分より 第6章 宇宙の想像力『ティマイオス』P.175より
          第7章 哲学者とその影 『ソフィスト』p.197より
          終章  プラトンは何を語りかけるか

3部に区切っての会となった。それぞれ間に約5分から10分の休憩を挟み、18時の会議室が閉まる直前まで議論や対話、感想を語り、先生がコメントや解説を加えられた。
私は納富先生から、哲学者、すなわちフィロソフィアは知を愛するものであり、かつ中間者であることを論文を作成するなかでとてもよく覚えており、その後の文献の分析、どのようにわれわれが書かれたものと向き合うべきかを得ることができたと思っている。またプラトン主義はつねに数学あるいは真実を追求する知的活動とつねに同時に起こっていることも重要であろう。
今回はじめて納富先生と話されたり先生がお話される言葉を聞いた方は、おそらく、この『プラトンとの哲学』はもちろん、他の著作、書かれたものを開いて読み始めたときに、理解できる事柄が増えるという体験をされるのではないかと思う。言葉は、書かれたものと話されるものがあるが、音声として、その場と時間を共有できる言葉は生きた言語であると私は思っている。すなわち、パロールされる言語、また対話者とのあいだにかわされる言葉が言論として活きているものである。書かれた言葉は、ロゴスとして意味をもち、時間と場所を共有しない読者にも語る力をもっているが、それだけでは充分ではない。

この会はもともとの発端は、『プラトンとの哲学』が夏に刊行された後、朝日カルチャーセンター新宿にてプラトン『法律篇』の総括回があり、その講座ののちに受講者から発案され、先生が承諾してくださり、具体的な日時や場所を決めるために私と先輩のプラトン研究をされている方とで話しあい、実現した。10月中旬ほどから11月の間に日時が決まった。今回出席できない方もいたので、これを機にまたある章について、例えば、ポリティア、ティマイオス、パイドン、ソフィストといった風にあるテーマに絞った会でも良いと先生からお言葉をいただけたのがとても嬉しかった。私もそうなのだが、これを機にあらたに原著や先生の著作を読む機会となるのではないかと思う。

納富先生からは、自己の変容という言葉を聴き、やはり自分の中で言語を通じて変化をもたららすものが、プラトンの思想ではないかという言葉を聴き、また昨年は井筒俊彦全集が発行された(慶應義塾大学出版)ので、イスラームにおけるプラトン主義の思想についてもコメントをいただいた。井筒俊彦全集は、今後さらに解読されるべき課題だと思っている。また、多言語の重要性とともに、日本語で考え、書き、読解し、それをまた語り書き残し対話し思考する、判断し行動するということにつなぎ合わせねばならないだろう。

最後に、これから読まれる方、次回参加される方のために、プラトンは何を語りかけるのか、終章より引用したい。

「現実と理想のはざまにあう人間とは、いったい何でしょう。「ある」と「ない」の中間にいる人間、「知を愛し求める存在」としての人間です。(略)私たちの生は、無知やごまかしにまみれています。なによりも、私たちは有限な、死すべき存在です。ですが、真理に目を向け、それを実現する理性、魂の本来のあり方という希望も私たちの内にあります。人間の悲惨を見据える悲観主義と、可能性を限りなく信じる楽観主義、その間で私たちは生きていくのです。
 プラトンは現代を生きる私たちに、何を語るでしょうか。人生や心のあり方、対人関係、社会問題、国際紛争やテロ、地球環境問題....私たちが直面している問題は多岐にわたり、古代ギリシアでは想像もされなかった困難も出現しています。問題は多くきわめて複雑で、とてつもなく難しい...

(中略)
では、一緒に、始めから考えていこう。
「問題だ」と思っていることの中には、実はたいしたことがないものだったり、別の問題だったりするもののあるはずだ。何が本当に大切で、何が無視してよいものなのか
それを見極めねばならない。一見新しい問題に見えることにも、惑わされる必要はない。私たち人間がこれまで思索してきた基本的な問題が、やはり根底にあるはずだから。
そして中間者である自覚を持ち、自分に反省の目を向けながら、勇気をもって自身の理性で考えよう。現実を見据えよう。その綻びに戸惑いながら、「現実とは何か」一緒に考えていこう。・・・・」P.234


一部抜粋しての記述です。ぜひ新書を読んでほしいし、先生が会の中で語られたように、この本は専門研究者や古代ギリシア研究という範疇にとどまらず、高校生たち専門を決める以前のひとたちにぜひ読んで貰いたい。

今回、この書籍が刊行された2015年末に、有志で会をもてたこと、また次の機会にむけて書き残しておきたい。


納富 信留
慶應義塾大学出版会
2012-07-19
















筑摩書房のこの新書はぜひ再販してほしい。この会に際して、未読の大学生に今私の本は貸出中。
NHKのプラトン、あるいはソフィストの問題は、最初に英語でケンブリッジから出版された専門研究書、またアリストテレス全集の新訳である『ソフィスト的論駁』もお薦めする。










納富先生からは、エンドクサについての論文抜き刷りも今年頂いた。あわせて読み返していきたい。



昨日新春号が届きましたが、写真は秋号の巻末に掲載されている紹介ページ。


納富先生は、引き続きギリシア哲学史を朝日カルチャーで担当されていますが、
3月26日は一回講義 トマス モア 『ユートピア』を扱います。

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)
トマス・モア
岩波書店
1957-10-07




ユートピア (中公文庫)
トマス モア
中央公論社
1993-04

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アリストテレス
岩波書店
2014-12-19



朝日カルチャー講座 納富信留先生によるアリストテレス最終 「アテナイ人の国制」受講。
新訳の全集を註の解説も含めて、当時の裁判員制度、抽選機、国制制度について資料をみながらの講義でとても理解しやすかった。「弁明」の講座のときも、法廷にあった水時計の仕組みなどについて、説明があったが、当時の制度記述を読むことで(あるいは記されたこと)はとても意味深い。

横浜では「国家」(ポリティア)の最終講義が21日にある。
また3月にはトマス・モアの単体講義がある!












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ブログネタ
バラを育てる に参加中!
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薔薇園芸blogでもあるのに更新できてませんでした。イングリッシュ・ローズ(ディビッド・オースチン)のパット・オースチンが秋は返り咲いていました。まだ小さい蕾もつきます。チャイナローズも赤い花を咲かせていますし、12月はまだバラの花が咲くのです。
(雪の女王 では5月のバラが永遠と幸福の象徴で、イギリスは初春がカナリーバードのバラが象徴、ダマスカスのローズとばらはシンボルでもあります。)

ワイルドイブも蕾がみっつくらいあります。

薔薇園芸が忙しいのは・・・・1月から2月の間です。

皆声jp 私はあまり利用してないのですが、一応リンクもとも集計してみました。

1 美弥るりか
2 音月桂
3 舞羽美海
4 霧矢大夢
5 龍真咲
  大空祐飛
  ダンスオブヴァンパイア
6 望海風斗
7 彩風咲奈
8 月城かなと
9 瀬奈じゅん

11月のみの結果です。

11月前半は大空さんの過去がえり作品めぐりをしていたのもあり、朝日カルチャーも興味がありました。。
美弥さん、昨日CSに出ていて、月組生の一押し下級生をチョイスしていて千海華蘭さんや貴澄さんなどなど選んでましたね。劇場近くにいったら、萌花ゆりあさんとともに咲花あかねさんもスチールチェックします。
千海華蘭さんは、霧矢さんのミスティ―ステーション(MS)の冒頭にも出ていて、聴きやすい声だなと思っていたのですが、ずっと!お名前をどう呼ぶのかわからずでして、1789の稽古場風景くらいからものすごく気になってみていたダンスが上手い方です。ドラゴンナイトでもコンテンポラリー的ダンスが良かった。
稽古場のマノンをみると、レヴューのほうでは美弥さんのすぐ後ろにいるようなので、視るの楽しみです。
 
といいますか美弥さんの真実シャルルのダンスは愉しみです、みやちゃん、るりかは相変わらず下級生思いだなあと思います、上級生からしてもらって嬉しいことは自分も伝えていきたいのかなといつも思います。 
敬省略で書いてしまいますが、パーソナルの殆どメイクしてないみや書生とみのりちゃんのあたり、ルシェとの写真良いですよね。
そして企画がうまい。これは昔、涼さんとも写真のテーマについて語っていたような。凪七えりかさんのセレクトの傘は買ってみたいです。この企画、月1でやってくれていいです!
花でも瀬戸さんと柚子香さんなどで観てみたい企画です。

相変わらずの実はダンスオブヴァンパイア、千秋楽ウィルスに感染しております。


他方、ここには記録してませんが29日は電磁気学の院生発表の企画運営をし、昨日はプラトン読書会(読者の会?)について、夏に私が主催したプラトンとルネサンス、についての会も出てくださった先輩研究者であるEさまたちと当日のことを会議しました。 新書、平凡社の全集の書簡集、全集のソフィスト、ゴルギアスを持ち歩く日々。




それから!恩師が西川会のあとずっと手作りでつくってくださった、リヴァティのパッチワークのツリーオーナメントをプレゼントして下さいました。家のどこにかけると一番美しいか、考え中です。

みなさまのおかげで生きております。


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西美から東京文化をのぞむ。
明日は今年2月から行くことを決めていたマリインスキーです。
昨日リハビリのあとに、ちょっと長時間冷えてしまい、あまり調子はよくないのですが、マチネ公演へ。
プログラムもちゃんと買ってきます。(前回会員カードを忘れたので、優待で買おうかと)

せわしなく画像がいろいろおいつきませんが、また追記します。 

月か雪のダンスオブヴァンパイアを夢想してしまいますが、みやちゃん、だいもんで観たいような。サラ役もマグダ役もアルフ役もことかかない感じですが、ヘルベルトは美しく踊れて演技もできる次なるルキーニ的な役として、、とか。
群舞が上手い組にやってほしい。
し、観たい!

3000枚売れたらDVD可能説がありますが、予約制でうけつけたら数は半分は軽くいくとおもいますが。。
どうでしょう。



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カリクレス ;真実がこうだと、あなたにもわかるでしょう。哲学はもうやめにして、もっと重要な仕事に向かうのなら、哲学というものは、ソクラテスさん、若い時分に適度に触れておく分には結構なものです。ですが必要以上に従事しつつけると、人間を堕落させてしまうものです。(「ゴルギアス」484C)

哲学者というと、普通は抽象的な概念や難解な論理を展開し、真理を考察していく論述であり、人物が正面に出てくることは稀です。哲学説は著者や個人と切り離して論じられる。(略)古代でも、アナクサゴラス、メリッソスやアリストテレスら、論文形式の哲学書は普通でした。ですが、プラトンさん、あなたの対話篇は、そういった著者と作品の区別、人物と内容との区別さえ受け付けないようにみえます。・・・・


ゴルギアスは言論で説得できることなのだよ、弁論術が最大の利益をもたらすと、こう宣伝します。
(略)

私たちも想像してみましょう...言葉をあやつることで相手の心理を自在にうごかし、信じさせてなんでも思い通りにさせられるとしたら(略)何気なく耳にする言葉や目に飛び込む文字や画像が、意識されることなくその人を支配する...。そんな魔法が弁論術なのです。
情報が氾濫する一方で、価値基準が崩れて自己確保できない時代、弁論術の問題は深刻です。
「言論は、人を動かし支配する力だ」というゴルギアスのメッセージは、マスメディアやネットワークメディアやパーソナルメディアの世界でいよいよ現実実を増しています。」(「プラトンとの哲学」 ゴルギアス P30)



======引用させて頂きました。


真理は存在する、なれど真実は一つではないかもしれない、真理をしることはできないかもしれないが、真実らしきことがらを吟味したり考察し、よりそれに近いものが浮かび上がることは「不可能ではない」
哲学者とはなにを示すか、真理を探究する、しようとするものの営みであり、それゆえの「中間者」であろうとすること。フィチーノは、それを「饗宴註解」で哲学者はソクラテスであり、(おそらく彼らの読者に理解しやすいように?)牧者であるともいっている(これが正しいたとえかはわからないが、雄弁家、最古ならば正しい、名誉あるものが正しいなどそうした観念にたいしてソクラテスを引いて説明する。時代はルネサンスであり、プラトン原典と読み比べるとよりわかる、と私には思うのだが。

「現代の社会で「哲学」と言うと、大学で教えたり研究論文を発表したりする限られた専門家の仕事のように思われています。しかし、ソクラテスやあなたが「哲学者」という言葉を使い始めたとき、人間だれでもそうあるべき生き方を意図していたと思います。・私たちはみな哲学者であり、いやそうある「べき」だという意味です。」

(「プラトンとの哲学」P31より





:::::::::

哲学がもし必要ない、自分には無関係と思う人が増えればふえるほど、ゴルギアスの弁論術は拡大し、人間性が失われた世の中、人間社会が知られていない、過去や他国と比較することもなく、人間性の喪失があたりまえにならないためにも。われわれはもっと、書かれたものに接し、それについて語るという基本的なことが必要なのではないかと思うのです。

ダイアリー :10月からずっと参加したいと思っていたギリシア語講座勉教会にいってくることができました。













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ブログネタ
今年に入って読んだ面白い本を3つ教えて! に参加中!

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Twitterでだいぶん話題になっておりましたので、改めてこちら。
ゴーメン ガーストの表紙連作新装版を手掛けておられますのは、画家の浅野信二さんです。
浅野信二さんと初めて直接お会いしたのが、古賀郁さんとともに片岡佐吉さんのお屋敷に招かれたときのことでした。玄関にあの!恋月姫さんの天草四郎がいらっしゃり、暮らすような天野可淡さんの作品を片岡邸でみられたことは、もっとその場にいた私が書き残さねばならないかもしれません。
人のためでないと、なぜか言論、作文はむかいあってかけない。
いま三田文学の原稿なおしをしていますが(ちょっとしたエッセイです)編集者とはそういうものなのかも、眠っている言語を呼び覚ますものなのかもしれません、コーディネーターではない(そういう側面は必須だが)編集と企画運営の末端の人間の最近の感慨です。
われわれは、可能態であるうちに出来ることを成すのみ!

11月のキーフレーズです 25日に更新できずすみません。
11月はですね...初旬のあと中旬から時間がとぶように過ぎています。
自分のことに関わっていられないくらい。

1 ダンスオブヴァンパイア 感想 2015
2 上口耕平 ヘルベルト
3 エカテリーナ コンダウーロワ
4 美弥るりか
  舞羽美海 サラ ダンスオブヴァンパイア
5 リッチー・エドワーズ
  浅野信二 作品 銀座
  藤沼花奈
  片岡佐吉
6 英国大使館ラグビーワールドカップイングランド大会 レセプション
  英国大使館ラグビーワールドカップロンドン大会
7 スターダンサーズバレエ 小林京奈
  黄金伝説展 感想
  上野水香 特別講習
8 仲又歩果 Kバレエ
  ザハロワ エトワール
  粕谷星華
  西川会歌舞伎座
9 西川扇左衛門
  ダンスオブヴァンパイア 舞羽美海
10 ばら スヴニール・ドクトール・ジャメン
   彩風咲奈
  

キーワードはまた月末に。
皆声の結果もまた月末に!


  今年に入って読んだ面白本


・プラトンとの哲学 納富信留
・イタリアンセオリー 岡田温司
・ロベルト エスポジト 近代政治の脱構築

5つなら・・・いや本はまた別の記事でちゃんと?書きます

・ソフィスト的論駁(アリストテレス全集)新訳
・カテゴリー論 命題論(アリストテレス)新訳
・ギリシア哲学セミナー論集
・イタリア学会誌・・・・とかもはいってきますと、ともかく

まだまだありますので別にします....

幻の城 (鈴木拡樹さんが舞台で演じた)の原作、おもしろいというので読もうかと思ったのですが、書店になかったのでまだ未読です。(遅)

ダイアリー;先週行けなかったギリシア語講座にやっといけました!!
ずっと10月は仕事もありいけなかったのですが、3講前から行きたかった・・・といいますか、とりあえず今回行けてよかった。だんだん思い出したいし、少しでも理解できるようになればと。感謝しかありません。
仕事場の花をいけかえました。自宅もいけかえました。写真を乗せるのはちょっと後になりそうです。
なぜか私の部屋は無線LANがとってもよわくて、あいぽん(婉曲)にしたらPCに画像を飛ばすのが、フェイスブック経由しかできないのです。メールとのかねあいか。そろそろいろいろと適合させていけたらと思います。
昨日忙しくて早朝にちょっと地図印刷しようとしたくらいしか(結局プリンタトラブルできない)PCに触れられていいなくてすみません。

(幕間)



5







「「正午、アテネの遺跡では、それほど大きくないオリーヴ樹の幹に、蝉がとまって短い鳴き声を発しています。日本でよく見かける種の蝉より。ひと周り小さいようです。光と土に囲まれ風が、木の幹を涼しく通り過ぎます。
 ムーサの女神たちが歌う声の快さに心を奪われて、寝食をわすれ、干からびて死ぬまで歌い続ける人たちが蝉になった。そういわれています。彼らには神々から、特別な役割が与えられました。学問や芸術、宇宙の秩序など、ムーサの女神たちそれぞれが統括する学芸について、報告をするという役割です。・・・・(中略)
本当の「音楽」(ムーシケー)つまり哲学に従事すし言葉をうむかどうか、セミたちは私たちを見張っているのです。・・・」

「プラトンとの哲学」(岩波新書)より


数日前に、夜22時をすぎてもないている蝉について書いた。
昨日ある研究会へ足をはこび、帰宅するころ23時近くでもはやり蝉は鳴いていた。

蝉たちが見張っている。
それはほんとうにそう感じていたので、「第七書簡」に関するこれ以下の記述をみたときに、なんともいいえない、いやもっと正直にいおう。理由がわからないが涙が出てきたのだった。

現代の蝉たちは、私には歌ではなく嘆きや生き急ぐあまりの悲鳴に聞こえる。
それがそう聞こえなかったのは、今年は京都本能寺境内で、住職から声をかけていただき、読経をきき、40分のあいだ遠くに聞こえる蝉の声に本来の夏の音を聞いたときであった。

まるで、時間を拘束され、発言も強制され、居場所がなく陽の光にあたる時間もなく、なにもわからないまま泣き続けて生成をめざし消滅する・・・何か時代的なリアルタイム性質を、感じ取ってしまったのだ。

帰りの電車にのったとき、あまりにも「唯名論」に傾いている志向に愕然としたのだった。
実、有、普遍、本質これらが、何を意味するか問われないままに、語られることの空しさ。とてもむなしく、知の横断性、そういったかつて私が学びを受けてきた世界観、知識の集積からの断絶を感じた。
感情的理由ではない涙が止まらなくなってしまった。

すべてではないが、私はなにを空虚に感じているのだろうか。・・・・それはここでは言及しない。
おそらく語る機会があるだろうから。

プラトンの言葉を考えつつ、ソフィスト的論駁を読み、先月読んだソフィストの内容を考えるとき。

私がかつて言葉によって力や発想の転換、認識のかけらをひろうことができたように、
なにかしらの言葉、書物、語られ考えつづけられることの、小註解の小さなもののひとつとして、


可能態であるうちになにかしらできればいいと思っている。









精神史における言語の創造力と多様性
納富 信留
慶應義塾大学言語文化研究所
2008-04



世界バレエフェスティバル期間中ですね。
私は一公演のみ行く予定です。

芸術表現についてのバレエについて、納富信留先生の言及が正鵠を射ていると私は思っている。


英国の大学にはカレッジ《学寮があり、多様な分野の人があつまり夕食をともにしながら話し合う機会が日常にあるという。こうしたことの違いが、基礎的な教育でも高等教育にも反映し、その差はあまりに大きな気になってしまう印象をもっている。


インターコンチネンタル バリ Intercontinetal Bal...

8月も半ば....

< 1789 - バスティーユの恋人たち - > (...

4

加藤 信朗
創文社
1997-07


「後期プラトン哲学の探求」と題して、新宿で8月から10月に合計5回の講座が行われた。
私は日程の都合上、荻原先生の「ピレボス」以降しか参加できなかったのだが、10月11日の加藤新朗先生の「法律(ノモイ)」を受講し、一連の「後期プラトン哲学の探求」講座は一応終わりとなった。
しかし、同時に、我々一般読者をはじめ、かつて研究しテキストを読んできた人々のとっても、探求はこれからであるととう思いがした。
「法律」は来るべき理想的共同体政治の際、時の為政者は人間であるから間違うことは多々あるが、それに先んじて法律を制定すべし、というプラトンの提言だったと思う。
私は「国家」に相応、いやそれ以上に「法律」は読まれてしかるべきであると思うプラトン著作で、それは「ピレボス」に対しても同様に思っている。
しかしながら今日では、法律を「解釈」という名のもとに放埓に解釈するうごきが多い。
これはさながら法による秩序に対して、法をもってしてもカオスのようで、私としては非常に居心地が悪いものを感じている。これは一体どういうことなのか。
政治がどの方向をめざしているのかわかりづらい、これは今回の主題にも挙げられたが、同感である。
我々は何を望んでいるのか。
「法律」のなかで残っている言葉は『戦勝でさえ最善のことではない」とうことで、私はそれに同意する。
世の中には、どこかしかの国とのちょっとした戦争状態を想定しているいるような無責任な言動がたまに眼につくが、彼らはその先のビジョンは語っていない、もしくはなにが目的なのだろうか。
はなはだ疑問である。

受講して、そのことのメッセイジ、プラトンを読んだあとに自らにかえってくる自問自答。
それを各自引き受けてなおかつ、次回の課題にすること、講座のなかで言葉による理解を得た時間だった。

加藤先生からは、今年7月の後期語録を纏められた冊子をいただくことができた。
心して、拝読したいと思う。
メランコリア(アルブレヒト・デュラー)に関しても然り。

納富先生からの「ある」「ない」の問題提起には眼が覚めた気持ちがした。
そうなのだ。
ない、とはなんのか。
日本的、禅的な「無」とは違う。
ない、とは非有とは違うであろう。
このあたりはさらに読まねばならないし、機会があれば耳を傾けなければならない。

アンケートを後日提出することになっているので、この1月以内には提出したが、4名の先生方の話にはそれぞれ、聞きたいことが多く、それは同時にこの先の自分の課題をみた気持ちだった。

鉄は熱いうちに叩けという気持ちで、昨日のことがらを綴っている次第だが、私たちは自分でもこの状況を引き受けて、Oui、Non といえるはずである。そしてその説明も。

11月に衆議院議員会館で、政府および官僚の方々に意見交換をする機会がある。
この機会に、論点を整理し、過去をかんがみ先を見据えたなかでの問題提起ができればと思っている。
あくまで代弁者として、そしてあり方を未来志向で語るという意味で、である。

後期プラトン哲学は、以前から惹かれる著作群で私は、「ピレボス」「法律」「テアイテトス」をフォーカスしていたのだが、ポリス的人間をとっぱらったところの人間論という視点を示された栗原先生の話ももっと聞いてみたい。
また、「ある」「ない」というソフィステスと、今一度線分の比喩、および上昇のモチーフについて(中庸に対してのプラトン特色)こうした話を納富先生からお聞きしたいという気持ちが募のる。それには私がもっと理解を深めている必要があるのだが・・・

第一線で活躍される先生がたの対話的セッションを目の当たりにして、ある意味で大変幸福でした。
数の問題やポピュリズムの問題もあるが、かきのこしておく価値のあるものは書き残しておく、という古代ローマの文学に倣い、肯定も否定もそれは後の問題でリアルタイムの記述を行いプラトン主義の特色のひとつ「同位の結合」「上位への転向」「下位への配慮」はぶれなくていいとおもうのです。それが「幸福」にも通じることだから


思ったのは、プラトンを研究するとき、多かれ少なかれ、「新プラトン主義」も同時に少し研究したほうが、プラトンにおいて、雑多な疑問を整理できるんではないか、ということです。
すくなくとも、私はそう思っています。

色々と不十分なことがあるとは思いますが、12時間以内の雑感および私が思うところの問題提起の一部であります。

先生がた、聴講され同じく空間をともにされた方々、そして後期プラトン哲学という企画を実現するに至った関係者の皆様に多謝。そしてさらにこの企画はつづけて欲しいと思っている研究者の一端からの声として記録しておきたいと思った次第です。



初期プラトン哲学
加藤 信朗
東京大学出版会
1988-01



キリスト教をめぐる近代日本の諸相―響鳴と反撥
加藤 信朗
カトリック淳心会 オリエンス宗教研究所
2009-04











ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)
ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)
著者:プラトン
販売元:講談社
(1998-02-10)
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ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))
著者:プラトン
販売元:中央公論新社
(2002-01)
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朝日カルチャー 講座より(思想)で最


慶應義塾大学教授 納富 信留

講座内容
プラトン『ソクラテスの弁明』は、西洋哲学史で最大の古典といわれます。一語一句にまでに込められた意味は、テキストをじっくりと読み解くことで初めて明らかになります。本講義では、最新の研究にもとづく新訳をもちいて、ソクラテス裁判にプラトンが見た「哲学」の真意を探っていきます。
 
 
※テキストとして、独自の翻訳(プリント)を配布しますが、既存の翻訳と比べて読むことをお勧めします。
『講談社学術文庫、あるいは中公クラシックスなどの『ソクラテスの弁明』。

日時10/24〜12/26
月曜
10:00-11:30
2011年10/24, 11/14, 11/28, 12/12, 12/26

講座 慶應義塾大学教授 納富 信留


講座内容


プラトン『ソクラテスの弁明』は、西洋哲学史で最大の古典といわれます。一語一句にまでに込められた意味は、テキストをじっくりと読み解くことで初めて明らかになります。本講義では、最新の研究にもとづく新訳をもちいて、ソクラテス裁判にプラトンが見た「哲学」の真意を探っていきます。
 

日時:10/24〜12/26月曜10:00-11:30 2011年

10/24, 11/14, 11/28, 12/12, 12/26

 
※テキストとして、独自の翻訳(プリント)を配布しますが、既存の翻訳と比べて読むことをお勧めします。
『講談社学術文庫、あるいは中公クラシックスなどの『ソクラテスの弁明』。

=======
http://www.asahiculture.com/LES/list.asp?JCODE=0001&CACODE=00&PJ=1&NECODE=201110&PCOCODE=02#02



朝日カルチャーの講座紹介文より。
私も受講予定です、加藤先生の講座は申し込んでいたのに前半2回は行けませんでした(諸事情と手続き上の問題です)中世思想の山内先生の講座、柄谷行人氏の対談(柄谷さんは今は日本に完全に帰ってきてるんでしょうか?)も秋はあります。講座新設については学友からの教えていただくことが大変多いです。



追記*

講座で用いるハンドアウトは来春出版される納富先生による新訳です。
途中受講でもお時間とプラトン・ソクラテス・フィロソフィアに関心がある方に受講をおすすめします。
もっというならば、時間を創って聴きにいくべき内容です。





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後日記入です。
学友有志の会(命名は暫定的ですがメンバーは有志の絆で結ばれています!)をカフェ・ラントマンにて行いました。集まること、言葉を交わすことに意義がある、シンポシオン的意義があると思うのです。
(私は研究もまとめないと・・・・・・なのですが・・・・・・・)

サーモンマリネ。ディルとオリーブが美味しい。

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バッフーンサラダ。(ベリーのソースとレモン)

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ウィナーシュニッツェル。(メインは予約時にチョイス、グーラッシュなどもできるようですがここはあえて)

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デザート+コーヒー。

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先日御輿がでていた表参道にはパレードが。

そして数日前には↓が デモが。

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TTPに意義ある会のデモのようです。
私はパルシステム利用者なので、掲載。いい意味で表参道はパブリック・ストリートだと思っています。


数日後、山手線内で60代後半(あくまで推測)のかたが、「暑いのに、デモなんてまったく意味がない」
と話してるのを聞いて・・・・

あまり運命論者的なことはいいたくはないけれど、
そういう人たちが作ってきた社会・世界の制度やシステムによって子世代や孫世代がその社会的つけを払わされるのだ、という気持ちになってしまいます。すべてをそう断じるほど単純でないにせよ・・・

私とても、悲観論者ではないのです。



悲観論者だったら、何も書くことも読むこともしないでしょう・・・・


すでに論文を終えた学友であい先輩はギリシア講座に通っていたり、新たな勉強を初めていて、私も力づけられました。ちゃんと形にし(できれば)、そして曖昧な形ではなく、自らをごまかすのではなく、取り組みたい。
と日夜思っています。・・・・

当日は、17:00から仕事でした。
当日お会いできたみなさん、朝日カルチャーの情報などもありがとうございます。









プラトンの対話篇『パイドン』はピタゴラス派の影響をもっとも受けた作品といわれている。ピタゴラスの定理で有名なため、数学者のカテゴリーに入れられて現代では語られる(少なくとも日本では)が、ピタゴラス派は理念実践のグループだった。

「ピタゴラス学徒は肉体を浄めるために医術を用い、魂を浄するためにはムーシケーを用いた」(パイドン訳注 p.179)

ムーシュケーとは何か。mousikeとはムーサの女神たち(歌、音楽、ダンス、詩、文芸などをつかさどる女神たち。9人いる。「饗宴」において適当な人数は三美神からミューズの数まで(3人から9人が共通の話題で過ごせるとしたのもこの数と意味からであろう)の技術という意味である。ピタゴラス派では大きな意味を持っていた。

このムーシュケーの技術がプラトンの「教育論」では論じられる。

「人間を教育する際、その気概的な要素のためには体育(gymnesuike)が、知的な要素のためにはムーシュケーが必要であり、これらの両者が適切に混合されたときに、最高度に教養のある、調和のとれた人間が生まれる」(「国家」)

そしてなおこう付け加えられる。
「もちろんムーシュケーの方がはるかに重要である。もしも、教育においてムーシュケーをないがしろにし、体育のみに励めば、そのような教育を受けた人はやがて知を愛する心を失い、粗暴な性格になり、金銭や欲望のみを追求することになるだろう。」(国家)

理数特化したり、体育特化したりする高等学校のカリキュラムに欠落しているものが、本来的なこの部分である。もちろん個人や家のなかでそれらを大切にすればいいが、私的時間の確保は、保護監督体質の強い、固有な時間の意味をあまり考えない進学校では保護者(親)もそれを求めない傾向にある。

・・・・・幼児早期教育(つまり脳や感覚が形成され経験が蓄積する時期)に公文的なことをさせるのは余り意味がない、それ自体を非難したいわけではないが、あまり公言されてもいない。幼児期にパソコンなどをさせる幼稚園もあるそうだが、それは人間ではなく機械化することには意味があるだろう。親や大人は自分にその技術がないことで焦るのかもしれない。その気持ちはわかる。が、すでに高度に機械化されある部分ではすでにコンピュータや人工知能のほうが人間の能力をはるかに凌駕しているのであって、機械的な人間が、機械の代わりもはたせないのではないか、ということである。欧米では子どもには電磁波・脳波に影響があるので子どもには携帯電話を使わせないという法整備がされているし、コミュニケーション能力にも悪影響が出る、つまり心的なコミュニケーションではなく、反応的なものになる。しかし日本ではほとんど問題にされず、問題提起をした教育的配慮のある人たち(専門研究者)へも、市場単一思考と価値観「売れることのみ・自社と自社のカテゴリーの利益のためには他者の健康や利用者への長期的な影響を黙殺する」という理論が働いている。大学や教育の内部にまで、コメルス(商業主義)が入り込んでくるのは見えにくいが、近年の大きな問題となっている。それが親の「需要」によって支えられいると説明されるが、教育は需要と供給の原理とは異なるものなのに、である。未だに多くの高校が、週刊誌のランキングを気にしている。気にしすぎていていると感じるくらいである。

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)パイドン―魂の不死について (岩波文庫)
著者:プラトン
販売元:岩波書店
発売日:1998-02
おすすめ度:4.5
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子ども観というのは人間観に拠っている。
その問いがないままに語られる教育は欠如している。もちろん、近代現代後期では、自由民と奴隷という身分固定型のギリシア的価値観をそのまま当てはめるわけにはいかないが、教育のコアには、大人・親の人間観への問題意識と志向は不可欠である。どこか、そうしたものが、ほとんどの日本の学校機関からは欠落している。組織の一部になる人、顔のない人、特性のない人、人の感情や配慮を理解できない人はおそらく市場理論においても、機械の役割以下になる。・・・マニュアル化され、同調意識だけの協調がすでに意味のないものになっているように。それはもはや「売り買い」の選択肢から外れていくものになる。

公立中の極端な体育指向(欲望や探究心をもつよりも、その体力と気力と個人の時間をそぎ落とすことが目的のような)と、公立高校の「文武両道」志向はともに欠落している。日本の文化の衰退、継承は以前から危惧されているが、ますますそうなるだろう。個人の確立が成り立たなければ、社会も確立しない。全体性という、個人の生活を丸ごと喪失させる原理が、感情論と滅私的価値観によって復活してるくのも、大抵は、そういう時代であり、金銭と暴力の支配力が有力な時代である。

ところで、子ども手当てが、市町村行政区分で政府が合意したことは、教育に関しての無関心さがよく顕わせている。こうした予算を無駄とみなすのは、ではなにを利益とみなすのか。そのまま、その問いはでてくる。歴史的に、長期的な豊かさを持続できたのは、その国の教育制度と理念と実践が大きくかかわっている。なぜなら「同じように教育された経験をもつ人によって、それは血や地縁を超えて受け継がれるから」である。パリ・オペラ座バレエ学校のクロード・ベッシー元校長は「卒業生すべてが子供たち」といっている。教育にかかわるものが自らを権威、教権に属すると思えば、すでにそれは、教育ではない。守護者、誘引者として、方向性をあたえ、必要なものを示すこと(実践によって)で、受容されるのである。

ある一定の領域までは、説明書のような教え方が通じる。しかしその先の考えることや問題解決能力、創造性、価値を生み出したり、判断するような能力は、そこにいたるまでのその人の経験に基づいていると私は考えている。だから、規範となるようなものを認識・認知しておく必要がある。しかし、日本ではそれは衰退している。そのことはおそらく、今後も公には報じられないだろう。格差といわれるが、階層は実は以前から移動していないのが実情である。しかし、もっとも活力ある国や共同体では、階層移動が個人のレベル・世代で可能な法制度があることが特徴である。

比較ではなく、調和の価値観をもたなければ、多様性と自由が基調となる世界とは相容れない。

「ムーシュケーには、音楽、詩歌、舞踏などの要素がある」
ものごとの本質(ousia このプログのアドレスでもある)は、実体でもあり、可能性が現実になるために必要なものである。論理と倫理が欠落した世界では、そのどちらでもない、他者依存的な「癒し」「ヒーリング」などが流行する。そういったものでは、本質的には「癒されない」ということも、おそらくは商業化と広告が一体化したマスメディアでは公言されることも吟味されることはないだろう。

この時期、多くの学校パンフレットや説明に接するが、この問題は難しい。個人と家庭(家庭=母親ではない。父不在が、成人したときの問題解決能力や、話あいによって問題を解決するということをしらないまま、子供が親になるという危機がある。ちなみに私自身がそういった経験のもとにあえてこうしたことにこだわらざるを得ない理由でもあるのだが、私は自分がした経験を他人にはさせたくはない。)が、保護監督と量的な勉強と自立のための協力をすべて他人まかせにすれば、学校は教育の場ではなくなり、本来性から離れていく。しかし、各人の責任にのみに寄れば、公や国家や自治体の制度や法自体が不要なのであり、時代錯誤的・逆行である。・・・・・

多様さを保つためには統一が必要であり、統一を保つためには多様さと個別の力が不可欠なのだが....

よりシステムの力に抵抗を持たない存在・不合理な理由で排除されたり、その人が排除されているという感覚を生み出さないための、法・行政法が必要だと感じるのだが、それを制度化する人たちは、大人たちの組織に都合がいいシステムに「合意」させることで、つねに必死な印象がぬぐえない。

多は一の方向性に向か、対話の中でその方向を性を見つけ出し、実践の中でよりよいものへと向かわねばならないのだが・・・

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バレエ学校の卒業時には、バカロレアも合格しなくてはならないオペラ座バレエ学校は、人間の調和と自立自律を考えた学校としても大変興味深い。この映像の中でも、それはつねにルフェーブルやイレールによって語られ、実践されている。そして彼らすら危機を感じているのがわかる。
世界最高の水準、といわれている彼らだからこそ感じるのかもしれない。

ダンサーはレーシングカーであり、レーサー、強靭な肉体と精神、その行使、終わりのない表現と技術への探求、・・・ベジャールが名言をとルフェーブルがいう。「修道女でボクサー」のこの相反する類似し性質に、さらに上述したムシュケーが必要になる。競走馬であり騎手でなければならない、自らの肉体と精神をコントロールし、創造を生まなくてはならない
それは、過去の経験(教師たち)からの継承から大部分が生まれる。
そして「修道女でありボクサー」である芸術に肉体と時間を支える人たちをどう社会が支えるのか、これは同時に重要なテーマである。特に日本ではそうだろう。


イタリア・ルネサンス再考 花の都とアルベルティ (講談社学術文庫)
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著者:池上 俊一
販売元:講談社
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原典 イタリア・ルネサンス人文主義
原典 イタリア・ルネサンス人文主義
著者:池上 俊一
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アルベルティの家族論については、池上俊一氏の本に詳細がでているが男性にこそ読んでもらいたいものである。


饗宴/パイドン (西洋古典叢書)饗宴/パイドン (西洋古典叢書)
著者:プラトン
販売元:京都大学学術出版会
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