新ギリシア哲学史(12月18日)ソクラテス派:クセノフォン、イソクラテスの講座の回の前に、廣川洋一先生著のイソクラテスについて「フィロソフィアとしての弁論・修辞学」の項を読みかえしていた。その後、納富先生の講座を受けたあとにもとったノートとイソクラテスのカイロスについて考えていたことのメモ。


イソクラテスが修辞学校を興していたことは廣川先生の著作に詳しい。
プラトンとイソクラテスはそれぞれにソクラテスの弟子であったが、哲学(フィロソフィア)の定義をしたプラトンとは異なり、修辞学、弁論を重視した教育を行っていた。
プラトンのアカデメイアについてはここでは立ち入らず、イソクラテスについてまとめてみたい。

イソクラテスは最晩年の論説「パンアテナイア祭演説」で「いかなる人をもって「教養ある人」(原文は傍点)と呼ぶべきでであろうか」と問い、それについて次のように答えている。(イソクラテスの修辞学校P.114)

「まず第一に日々に出会う物事を立派に処理し、物事の好機(カイロス)をとらえ、そして多くのp場合を有益は策を得ることのできるドクサ(健全なる判断)を持つ人びとがそれである。」

プラトンはドクサを臆見として吟味するべきもの、つまり知識の前にはドクサから正しい認識によって吟味しようとした。イソクラテスはドクサをそのようには用いていない。

好機を得ること、即ち時宜をえることは、プラトンの「ピレボス」においても重視される。
プラトンは、時宜を得ることには知と思慮を重視したのだが、イソクラテスの好機(カイロス)もこの点では同様のことを言っている。ただし、ドクサに重きをおいた場合、未知の事柄、あるいは日常的な事柄を超えたこと、場と時間の隔たりを考慮したり判断の条件にする場合には、ドクサが「よい思慮」であるととらえることでは不十分になるのではないか。
つまり、真実というのは事実に関してであれ、自然科学であれドクサの内側にだけ止まれば正しい判断ができるとは限らないのである。

おそらく知の優越と思慮についてプラトンの「ピレボス」は日常感覚での知と判断条件に、分割法を用いることを言及している。
他方、好機(カイロス)の提示自体はイソクラテスの主張をある程度参照したのではないか、と思った。

イソクラテスの言論の術における「思慮」については「アンティドシス」に言及されているが、思慮についてのプラトン対話篇での比較をするとよりこの立場の違いがわかるように思われる。

納富先生が1、2巻を監修編著されている世界哲学史(ちくま新書 全8巻)も2巻まで刊行された。

パルメニデスから自然哲学者たちの応答、ソクラテスとソクラテス派(ソクラテス文学)、プラトンとアカデメイア派、アリストテレス...と続いているが、アリストテレスに関してもプラトンの批判的継承について再考しながら読み返している。


以下は講座での備忘録

クセノフォンはアテナイのエルキア区出身で、父親はグリュロス、プラトンと同世代である。
ソクラテス裁判の最後には立ちあえていない。
息子たちは(イソクラテスの息子たちは彼の父の名であるグリュロスと同名である。362年のマンティネイアの戦いで戦死し、アリストテレスはイソクラテスの息子たちに対して「グリュロス」を執筆していることからアリストテレスとイソクラテスの息子たちは何らかの交友関係があったのではと推測されている。)
*14著作はすべて現存。

ソクラテスとの出会いのエピソード
:アテナイの街角でソクラテスと出会い、「どこにいけば、立派な優れた人物になれるか」と尋ねられて弟子となった、といわれている。

(この逸話を聞いた時に、私以外の人でもある一説を思いうかべるのではないだろうか。

マタイ第4章18−22節 
 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」

聖アンデレの逸話であるが、やや類似しないだろうか。
これは私見なのだが、福音書記者たちは明らかにソクラテス文学を読んでいる。そしてその一部を取り入れており、おそらく3世紀から6世紀にはプラトンの哲学および新プラトニズムの影響がかかわっている。
「私についてきなさい」というイエス、「アゴラへいけばよい」というソクラテス文学の類似性は他にもあるのだが(私見ばかりだがキリスト教における悪い精霊というのは、良い悪いの区別をしなかった古代のソクラテス(が著作中で用いているダイモン)であり、トリニティで用いられる聖霊とは、プラトニズム的な美と善へと導くエーロスの上昇を指していると思われる。(この考察はこれ以上は文字にはしないが、新約の福音書記者たちは、突然何かを書き始めたわけではない、ということだ。それに先行する書物の読者でなければ執筆しない。その上で、新約での福音書(文学としても秀逸である)はおそらくソクラテス文学を一部取り入れている(と思われる。これは私見であるが)
おそらく、不死にあやかるというギリシア哲学の一部が、復活というシンボリックな出来事に通じている。しかし何が類似していて、何が違うのかそれを我々読者は考えなくてはならない。

(DLがルネサンス期に紹介されて後、ヴァザーリが芸術家列伝を書き著したように。しかしながら本邦ではヴァザーリの芸術家列伝は新書化されたにもかかわらず、DL(岩波文庫 3巻本)は今現在絶版なのである。(・・・これは読書ばなれとかそういうレベルの危機で済む話ではない)

イソクラテスの好機について読んだとき、多くの部分がプラトンの「ピレボス」で言及されていることと「類似」していると感じた。しかしながら、もしプラトンがイソクラテスの著作を読んだとして(読んでいると思うほうがいいだろう)不十分であると思われた部分が思慮、分割法、知識、適度さ、時宜を得ること・・・・など加わったのではないか、という思われた。

























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