ギリシア哲学史(22)講座へ出席した時の覚え書きです。9月講座、2019夏期の最後がプラトンの哲学と思想で、秋期はアンティステネス、アリスティッポス、イソクラテス、つまりソクラテスの弟子たちの思想や歴史、背景についてです。ご存じのようにソクラテス自身はなにも書き物はしておらず、7人の弟子たちがそれぞれ学派を作った。今日プラトン、そしてアリストテレスが有名だったり、プラトンの対話篇が残っているのはプラトンのアカデメイア派が有名になったからであり、だがこの7人の弟子たちはそれぞれ違うことを主張した。

前回のプラトン思想と哲学では、スペウシッポスの一と不定の2、アリストテレスを通じたプラトンのイデア論説明が果たして対話篇およびプラトンの哲学と合致しているのかどうか(してない)など納富先生が1時間半でとても重要なことをかなりわかりやすく説明されたと思う。

それをうけての秋講座の第一回目であるので、プラトンとの比較もしやすい。
とても重要な回だったと思う。
「日本全国大学の授業を含めてアンティステネスを集中してとりあげるということは殆ど今日くらいだと思います」という先生のお話はリアルだと思います。そしてソクラテス-プラトンを上でもとても重要なこと含まれている。

上記の写真は、先生から写真を撮らせてもらったアンティステネスの最新の研究本です。(英語)

因みに、昨年2018年10月17日は、ギリシア哲学史(10)パルメニデス:自然学への挑戦と応答 の回でした。1年前はエレアのゼノン、そしてパルメニデス、そして今年の夏はプラトン、そしてアンティステネスまで進んだことになります。

いつものように、DLや断片集を用いながらも最新の研究や議論の結果が講座では盛り込まれており、
今回、私が個人的にも興味深かったところをメモしておきたい。

プラトンのアカデメイアが創立される前にはアンティステネスの学園キュモサルデスがアテナイの城壁の外にあったこと。これはイリッソス川を渡ったところにあり、これに対して後に北西側にプラトンはアカデメイアを作ることになる。そしてまたアリストテレスはリュケイオンを作った。
アンティステネスはプラトンにとってソクラテスの弟子のなかで兄弟子にあたる。
プラトンがアカデメイアを創立するときに、アンティステネスのキュモサルデスを意識あるいはモデルにしたこと、少なくとも前例としてこのギムナジオンがあったことは興味深い。
キュモサルデスはヘラクレスを守護神としていた。ギリシアには神々が多いが、神×神の神々は不死である。他方、神×人間は死すべきものすなわち半神であるが不死ではなく死する。例外的な存在がヘラクレスであり、これはアンティステネスの出自と関わる。アンティステネスの母はトラキア人であった。前451年ペリクレスが制定したアテナイの市民権を定める法において、アンティステネスは(ノトス)として扱われてしまい、これはこの哲学者のアイデンティティを揺るがし、自身の哲学と密接にかかわっている、という説明だったが私もかなり同意する。同時に、フィレンツェにおけるレオナルド・ダ・ヴィンチの身の上もすこし思い出した。(彼もまた市民扱いされなかった、ミラノ→フランスにいくのもそういう理由である)

こうした詳細を追いながら、アンティステネスを扱った回となった。

哲学史上ではキュニコス派として知られる。そしてのちの二つの哲学潮流の元祖と位置付けられている。(ストア派と犬儒学派)しかし、これは後世からの後付け部分というかそれぞれがルーツとしてアンティステネスをおいている可能性もあるので、この講座ではより詳細に検討された。

アンティスネスはプラトンの著作集で一度しか名前がでてこない。
パイドンのソクラテス刑死の場面に誰が弟子たちでいたのか名前があげられるがそこ一か所だけである。また名前をださずに暗にアンスティテネスを指していると思われる個所もある。
また記録上、アニュトスとメレトス(ソクラテスを告発した人物)にアンティステネスが復讐したという逸話も残っている。
弁論家として紹介されていることも多いがこれは、レオンティノのゴルギアスに以前師事していたことがあるからと言われており、現存している断片もアキレウスの武具をテーマとして疑似弁論作品である。
(ホメロスに関するものから倫理学、自然、弁論術まで64作品目録には作品名はある。多作だがのこってはおらず)

納富先生はソクラテスとソフィストのハイブリッドがアンティステネスと紹介していた。

ソクラテス派、すなわち各弟子たちは反発したが、プラトンとアンティステネスは対立した。

(同じレベルでのみ争いが生じる、ということだろうか....)

倫理学の面の違い

倫理学は善とは何かに応答するが

アリスティッポスは快楽、プラトンは知、アンティステネスは労苦を善とした。
(アンティステネスの中では、ヘラクレス、キュロス王、ソクラテスが労苦のモデルとして考えられたようだ)

ソクラテス派は同じソクラテスを師あるいは哲学のモデルとしながらも、正反対・まったく違う主張をしているのだ。

興味深いエピソードとしてアンティステネスは、「立派に行為しながら不評判をえることはよいことだ」と言っていた。どういうことか、これはソクラテスのことである。・・・


また、徳〔アレテー)を教えられるか否か?
ということに対して、
教えられるとしたのはアンティステネスである。
対してプラトンは「メノン」で触れるように、アレテーは想起されるものとして生来備わっている、魂がそれを忘れているだけであるとする。


この話を聞いていて、私はフィレンツェルネサンスのフィチーノ思想ではアレテーを教えられるとしていないのに(助言はする)、書簡を交わしていたとされるエラスムスではプラトンがかなり教育と結びついてしまっているということを思い出していた。
プラトンは、教えられるものではない、とするのにたいして、教えられるものである、教育はプラトン哲学的なのだ!という教育学(大学の教科書にもまだみられる:型にはめる教育の例としてプラトンのモデル鋳造型として短く暗記させられているのは不幸なことだ・・・)に結びついてしまっているのはミスリードだと感じた。むしろ受容の課程で、アンティステネスの主張立場に近い受け取り方をされつつ、ヨーロッパ(あるいは日本)で広まっているのではないだろうか・・・?
後からノートやレジュメを見ながらそう感じたのでメモしておく。

またフィチーノもカレッジの別荘をアカデミア・プラトニカとして城壁の外に作っているが(コジモから与えられた)がこちらはギムナジウム要素はなく、プラトンのアカデメイアとキケローの郊外の別荘という位置づけのもと考案されたものなのだと思った。
いずれにせよ、モデルとしての3つのギムナジオンは、位置関係を含めて大変興味深いものがあった。





















9月の講座のあとに新刊情報を得て、10月16日の時に納富先生にお聞きした。その後ようやく書店で購入しました。年表、関連人物の一覧、地図など冒頭の資料も豊富でした。




大学の教科書としても使えるシリーズ



新ギリシア哲学史に参加しつつ「パイドン」を読むと註をかなり理解できるようになっていると個人的思います。こちらも読んでます。





ソフィストとは誰か?も読み直しています。



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ギリシア哲学者列伝〈中〉 (岩波文庫)
ディオゲネス・ラエルティオス
岩波書店
1989-09-18



DLの定番中の定番の文庫版だが、なんと現在絶版とのこと。
講座の感想を書いているときに、ラテン語学習会のMさんが関心をもってくださり、自分も復刊されるのを望んでいるので、何らかの形で要望をだしてみたいとおっしゃってくださいました。
ぜひ復刊して下さい。

ギリシア哲学者列伝〈下〉 (岩波文庫)
ディオゲネス ラエルティオス
岩波書店
1994-07-18



ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)
ディオゲネス・ラエルティオス
岩波書店
1984-10-16








プラトン 理想国の現在
納富 信留
慶應義塾大学出版会
2012-07-19


精神史における言語の創造力と多様性
納富 信留
慶應義塾大学言語文化研究所
2008-04-01










同じ講座の参加者のHさんから第七書簡をめぐる納富先生の論文(昨年2018年)についてお聞きして、こちらも読んでいます。(国立国会図書館)






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