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<ミケランジェロと理想の身体展>では古代からルネサンス期(ここではフィレンツェ・ルネサンスを指す)の青年像、子どもの図像をテーマにした彫刻、フレスコ、ブロンズ像も多く展示されている。
前回につづきフレスコ画。ナポリのフレスコは古代ローマ期のものだが、古代古典期の再生をめざしたフィレンツェルネサンスらしいフレスコ画。アンドレア・デル・カスタ―ニョによる。

図録から少々引用
「この子どもは他のプットーたちとともに、アンドレア・デル・カスタ―ニョによってフィレンツェ近郊にあるカルドゥッチ家別荘のロッジアに描かれた一連のフレスコ画に属していた。(1448-49)」(図録p.34-35)

ガーラント花綱は地方によってオレンジやレモンであることも多いがこのプットーは月桂樹をたずさえている。
より古代憧憬と再生を意識した意匠の思われる。子どもの図像がイエスやプットー、エーロス、クピド、洗礼者ヨハネ等の姿を借りて描かれることはルネサンスの特色ではないだろうか。捨て子養育院がプロトルネサンスにはフィレンツェにあったこと。子どもの発見はフランスでは教育学では子ども特有の性質を見出すのはもっと先のことだ。(ルソー、エミールは教育学で必ず読み批判と時代的な観点から問われることだろう)

子どもはひょっとすると変容するもの、成長するもの、自らを乗り越えていくもの、そういったものとして描かれていたのかもしれない。それは権威主義や生まれたものはそのまま自然であるということの拮抗のあいだにある。アリストテレス的な自然観、プラトンから新プラトン主義にあらわれる変容(メタモルフォーゼ)や上昇、何かに「成る」ことの可能性。アリストテレスもまた個物にある潜勢力、可能態を論じている。私にはどうしてもこの連関は無視できず、二項対立としてのプラトン、アリストテレスというまだわが国では主流の教科書的な解釈・説明では十分ではないと思うのだ。まだ力を持たぬ(ようにみえる)子どもの図像はおそらく、ルネサンスを特徴づける顕れであり、当時のひとびとのまなざしを考えるヒントになるように考えている。

文芸復興、ルネサンス、というと絵画や芸術文系といった先入観が強いが実際には科学と芸術と言語、哲学が接近した時代であり相互に影響を与えていた。アメリカやイギリスでは理系文系といった垣根があまりなく、諸科学と芸術は美と秩序として教養として理解されていると思う。

フレスコ画もまた顔料の科学変化を利用した壁画なのであるから。
今回は展覧会会期中なので、このフレスコ画だけに言及した。




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ダイアリー:イギリスの紅茶、オーガニックアールグレイティのお土産をMさんからいただきました。

下のトレイはイタリアのステンレストレイです。ステンレスで普段づかい用ですが細かなレリーフのラウンドトレイで気に入ってます。家カフェように丸盆もほしい!






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