以前にもアガンベンにおける「死政治」「生政治」について、アガンベンについて備忘録を書いてきた。6月末に新著が出たので読んでいる次第。読書メモ。


「・・・本計画の出発点となる「ホモ・サケル」気把鶺されたのは、生政治機械が機械が古代よりこのかた生み出し得てきて現実もますます量産しつづけている「剥き出しの生」−ビオス(政治的な生)によるゾーエー(自然の生)の包摂的排除をーをめぐる問題であり、さらには近代の政治的パラダイムとしての「収容所」というテーゼだが、これらを受けて次に上梓されるのが「アウシュヴィッツの残りもの」であったというのは、ある意味で必然の成り行きだろう。

中略

(収容所からの)生還者プリーモ・レーヴィによれば「ゴルゴンを見たもの」−であった。
生政治(ビオポリティカ)は必然的に死政治(タナトポリティカ)へと裏返る、これはアガンベン特有のテーゼでもある。」(15 ホモ・サケル計画とは何か P.14-15


まず思い起こさねばならないのは近代に生まれたものとはなにかを思い起こすことだろう。
例えば英国の公立義務教育は刑務所・監獄の維持費と合わせて考えられ、それならば(パブリックスクールに通わない 産業革命以降の労働者階級 つまり雇用される人々の貧困およびその子弟の教育をし、産業に組み込むほうが良いと判断されたことが挙げられる。(ディケンズのオリバーの時代背景を考えてみるとよい)
無論今日にはあてはまるわけではない。(付言するとドイツ・プロイセン型を選んだ日本における公教育は学校制が始まる明治期以降、役所・政府によって行われたため、日本ではパブリックの意味が本来のイギリス・ヨーロッパ型の意味を成さない)

戦争時の徴兵制、国民を兵士にして前線投入するといういわゆる今日的な「戦争」も近代国家以降である。
(中世や前近代的な戦争物語や逸話にことさらファンタジーな要素を想定して、近代以降の戦争(現在も)にロマンを投影する向きは日本に限らずみられるが、特に日本の場合は近現代史や政治経済の教育が十分とはいえず、この権威主義と迎合したロマン主義(さらに参照されるのが戦国時代であったりもする!)は色濃いと思われる。

国民国家の形成というのは近代以降にみられたのであり、ここで当然のながら「平等となった国民」は生きる権利がある。そしてそれを「国・あるいは公」に求める。当然そうなのだが、他方、その国民から為政者とされる側、あるいは公の役割を「誰もが生きること 生きるために必要なこと」を求める。その制度は行政サービスとしてもたらされてきたが(実は地方時自体毎にばらつきがある)同時に立ち現れてくるのが「我々が生きていられないかもしれないのは〇〇のせいである」という感情だ。それは自然な感情だとは思うのだが、経済が停滞し労働時間と賃金のバランスが著しく崩れたときに、「自分よりも楽をしているのに公的に救われている層がいる」という攻撃感情が生まれる。もう2年くらいこのような論調は生まれており、例えば最初は生活保護者に対して、障碍者に対して、・・・というふうに。私が中高生の頃は社会科の授業の時に、国が定める「最低限度の文化的生活」とは何か、はたしてそれは何なのか、最低限度とは(具体的な物質の例も教科書や資料集にはあり、先生とクラスの生徒で話し合ったりした記憶もある。当然生活保護を攻撃するような論調はなかった。(世間にも)

「自分が生きられないのは他人のせいである 国はそれを絶対に保証すべき」という感情と意見は、裏返っていくと全体性と他者性(他のことはしったことではないという感情。実際のところ、具体的な攻撃というよりは、外国人差別であれ、性別ジェンダー差別であれ、生活保護者であれ特定の個人(顔がみえる/レヴィナス)というよりは漠然としたマイナス感情である。

なぜ「アウシュヴィッツの残りもの」に繋がっていくかといえば、これも収容所の中だけでなく、特定の排除すべきと考えられた人々、いなくなればその人らにとって気分的に晴れる、と思われたもの(市民ですら・・・)を排除していったのだ。ファシズムおよび全体性、選民意識、他の民族や国よりも優れているという出自や血統主義のようなものが結びついたときに、国民国家は「死政治」に向かっていく・・・・

近代的国民国家とは何なのかということは別に論じる必要があるが、アガンベンがいう「ビオポリティカ」「タナトポリティカ」は無意識に「普通の」「一見善良な」ひとびとに浸透してしまい、表裏一体のものとしてすでに現代の日本(とりわけこの4年ほど)に横たわっている。

SNSでの社会問題の意見はそれが論じられないよりは、話題にならないよりはずっといい。
しかし、その程度問題や、上記の裏返っていく世論と排除指向は、人々の不安(私とて不安を感じないわけではない)の強さとともに濃くなっているように思われるのだ。

こうした話題をときおり「つぶやく」わけだが、少ない文字数では指摘できない。

今回6月末に発行された本書を読んでいるうちに、また時勢に対する思いもあり、読書メモとした。

マイケル・ハート、アントニオ・ネグリ「帝国」もなのだが、日々伝わるニュースと変化もまたすでに指摘されてきた問題と照らし合わせながら考えなくてはならない。


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