On Tyranny: Twenty Lessons from the Twentieth Century









プロローグより:

”「歴史は繰り返す」と言われますが、そんなことはありません。けれど教訓を与えてくれるのは確かです。

ティモシー・スナイダー「暴政」(OnTyranny)でのプロローグの書き出しはこうである。


アメリカの建国のときには、熟慮しアリストテレスは不平等が不安定をもたらすと警告し、プラトンは僭主としての座につくためにデマゴークが言論の自由を悪用すると考えました。法に則って民主的な共和国をうちたて、チェックアンドバランスの仕組みを構成するのに際して、建国の父たちは古代の哲学者の言葉を借りて僭主制(ティラニー)と呼ぶもの、近代風に暴政や専制とよぶほうがよいのでしょうが、それを防ごうとしました・・・・

「今は失われた美しい文言だ」と独立宣言書の前でつぶやくニコラス・ケイジの場面がちょっとフラッシュバックしましたがすくなくともそうだった。そしてもうたくさんだ、という人、あらたに建国しなおさねねばならないという意識のもと、私が学生のときまでは(つまり1990年代くらい)はそれが主流であったはず、と記憶している。

民主主義、独裁、様々なことがそうであるように、なぜかわが国では2つに一つ、であり民主主義と資本主義と共産主義と社会主義と・・・これらが区別のないままに、言葉が流されており(しかも間違いであっても彼らはきがつかない。主観からのみ言葉を発するからだ)あまつさえそれに「世論」「支持率」がのっている。まさに空気そのものだ

「日本人はますます自分の頭で考えなくなった」と警告されたのは10年ちかく前からであり、それ以前2000年ほどからファシズム迎合の機運はあった。

新聞購読とテレビ視聴について調査をしたのもすでに7年ほど前だと思うが、そのころに比較してもこの数年のたとえTVニュースだけで情報を得ているという人向けでも地上波TVでおおよそのニュースを知ることは困難になった。重要、優先されるべき情報でさえも。

・・・・

その後、新聞購読数が減り、スマートフォンでのニュースではニュース一覧も困難になる。
流れてきた画面にあらわれる、タイトルは内容を要約しているとは限らない。
事実のニュースをあつかいつつ、(スポンサー企業への’こころづくし’か)肝心の内容とはずれたタイトルも散見する。というよりもよくみかける。

ティモシー・スナイダーのハンドブックはアメリカの一般人むけの本だ。
しかしながら翻訳された本書をいかほどの人が読んだだろうか。

「自分の言葉を大切にしよう」
「自分で調べよ」
「職業倫理を忘れるな」


・・・これらについても自分なりに読書所感としてかいておくつもりで12月からblogもかけずにいた。
大晦日も正月もずっとひっかかっていた。

あまり体調がよろしくないし、あたりまえすぎることでもあるのだが、3回かにわけて覚書をかいていければと思う。



On Tyranny: Twenty Lessons from the Twentieth Century [ペーパーバック]
Timothy Snyder
Tim Duggan Books
2017-02-28





暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン [ ティモシー・スナイダー ]
暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン [ ティモシー・スナイダー ]プロローグ
※ もしかすれば、否もしかしなくてもプラトンやアリストテレスの文言として建国の理とされたのが「レプブリカ」というタイトルになったのかもしれないし、日本ではより硬直的かもしれない(「国家」)とされたのかもしれない。プラトンシンポジウムのときの論題を思い出す。

しかしながら、これらを踏まえながら、確認しなくてはならない時期にあると思っている。
プラトンやはるか古代の人々が危惧したデマゴーグや表層の熱狂やのちに取返しのつかないことがらを選択した多数の人・・・・

私たちはいますくなくとも生きているが、過去の人もまぎれもなく生きていたのだ。・・・・