【送料無料】 ピレボス 西洋古典叢書 / プラトン 【全集・双書】
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加藤先生のピレボス講座に出席しました。
加藤先生がピレボス篇を扱うのはこれまでもあったということで(残念ながら私が聴講しはじめたのはパイドン篇のあたりからなので、この講座でピレボスを加藤先生と受講者のみなさんと学ぶのはこれが初めてになる。
私にとってピレボスは、プラトニズム、とりわけフィチーノのピレボス(およびフィレンツェ・ルネサンスにおける注視というできごともあり、饗宴(シンポシオン)よりも先に、そしてポリテイアの線分の比喩と同じ時期から読んできた対話篇。

初回をお休みしてしまったのだが、資料を用意していただいてそれを熟読した。
はじめに、とある加藤先生の言葉を少し引用したい。

・・・・「いま我が国だけでなく、全地球世界の各地に日々起こる「悲しい出来事」の数数をどう受け取ったらよいでしょうか。EU分裂、アメリカ as number one を唱えるトランプ政権の成立、・・・・その他世界各地で生起するテロ事件のかずかず、原人類はどこへ向かっているのでしょうか。(中略)

一大台風が全国を襲っている最中、この国で行われた「衆院選挙」において、日本のひとびとひとりひとりは、全世界におけるこの「危機の現状」の「全体」が「何であるか」「どこへ向かっているいるか」をどこまで意識していたのでしょうか。(中略)真珠湾攻撃にはじまり、広島長崎の原爆体験で終わったあの「第二次世界大戦」が全人類にとって持っている「悲劇の意味」を日本の人々は「何であると考えているのでしょうか」(略)
このまま進めば、人類の悲惨な結末を予期せざるを得なくなるのではないでしょうか。あの「悲惨な戦争」を経験した日本の人々は「平和な世界の」「到来」を創造するために、「何を」しなければならないかを真面目に考えるべき「使命」を与えられているのです。

『ピレボス』篇というプラトン最後の著作の意義を、これから皆さまとともに真面目に学びたいと願います。


ここから講義のレジュメが以下につづいていく。

第一講義を欠席してしまったので、このレジュメの文章を私は帰途の電車で読んだ。
そして、10月の(急に決定した解散による衆議院選挙)から月末に至り11月に入ってトランプ大統領が来日(これは米軍基地をへて訪日したものだった。)しほぼ何も報じない日本の地上波とそれに対する人びとのリアクションに辟易してしまい、ほぼBBC、CNNなど国外メディアを通じなくてはなにもわからないほど、事実は報道されなかったことにも、正直ひどいアパシーに陥っていた。

ピレボスの講義録にはこのblogでは直接内容を書くことは避けたいが(受講がおわり、私のこれからの探究や問題点、課題を明確にできたときにはまた書きとめたいと思う。加藤先生のこの冒頭の問いかけ、私たちに対しての言葉は、アパシーや何を考えても無力なのではないか、それを話しあう人も場も日常生活上で欠落してしまっている、分断されて話す場が多くはない...という心情に、やはり問い続けなければ、問題点を諦観から放置してしてはいけないのだと感じた。

これから少しいくつかの原稿もつくるのだが、個人的に力を得た「はじめに」の言葉だった。
ほぼ共有できる人も、祖母が92歳で昨年他界し(祖父は大正10年生まれゆえに:硫黄島での軍事訓練や攻撃前のことを肺病になって帰ってくるまでの経験を私はずっと聞いている)さもあの対戦自体が美化されて語られてしまう今日。相対主義がまかり通りすぎ、詭弁があふれ、何がいいのかわからないという人の声が漏れ聞こえてくるなか、ティモシー・スナイダー(彼は同じ世代だと思う)の著作を読んだときに、コンパクトでありながら「今」そして「過去」から我々読者を考えるきっかけを与えてくれた本、言葉に加えて、この加藤先生のレジュメの冒頭には、私に気概を与えてくれた。
新宿にて。







ピレボス (西洋古典叢書)




このところの目下私の課題はこの対話篇をめぐる問題なのだが、加藤先生によると20世紀の哲学ではほぼピレボスは熟慮されずにしまっている。(国際シンポジウムではテーマになったという旨も紹介もしていただいた。また1994年にはアメリカ フィラデルフィアにてペンシルヴァニア大でも共同ゼミナールがあったということである。納富先生はケンブリッジに留学中で、いぜん夏の講座でもお話しを聞いた栗原先生(アメリカ留学中当時・・・栗原先生の著作の感想記事もかつてこのblogに書いた)、そして荻原先生(最初にピレボスの講座をうけたのは荻原先生だった。しかも荻原先生はあとからお話ししたところ私と同じ市内に住んでいたとので驚いた...)
そのような専攻研究があるのだが、ピレボスに焦点をあてている哲学として、マルシリオ・フィチーノとヘーゲルを特にあげていたのは、今それに取り組んでいる私としてはその点でも興味深かった。

一人で読書するのも、それはそれでよい。
だが、先輩方と先生方とともにテキストを読んだり、見解を聞けたりまたこちらが質問できたりそうした対話的な空間がおそらく哲学や学ぶことの原典であり、一つのテーマから他の解釈や文献をしることもとても貴重だと思う。学生の人には特に...。


(ヘーゲルは歴史哲学で学んだだけにとどまっている分、遠い将来で何か読むかもしれない)


ギリシア哲学史
加藤 信朗
東京大学出版会
1996-02