Manics - From Despair To Where (1993 Raw Soup/Pop Gold)  

http://www.sonymusic.co.jp/artist/ManicStreetPreachers/info/488559
”前作のスタジオ・アルバム『フューチャロロジー<未来派宣言>』以来、4年振りとなる新作に関して、「『レジスタンス・イズ・フュートル』の主なテーマは記憶と喪失。忘れられた歴史、混沌とした現実、隠れ場やインスピレーションとしての芸術なんだ。ひたすらメロディックで、『ジェネレーション・テロリスト』の天真爛漫なエネルギーと『エヴリシング・マスト・ゴー』のオーケストラによる音の広がりの両方を色んな意味で彷彿とさせる。”

日本での歴史修正(この行動に修正という言葉はあっていない。改ざんであろう)主義は国内よりも国外で懸念されているがそれと関わりがあるだろうか。

Holy Bibleの曲中で、ル・ペンが既に1993年頃歌われていたのであり、ナショナリズムや歴史から目を背けた逆行はついに目に見える形で(ポピュリズムがインターネットを介して表面化した)現れたように見える。他方、歴史、一定の方向の正しさ、過去の克服目標にしてきた国ではそれらは一応食い止めれている。同時に多くの警告が発せられていてそれは日常の小さなことを積み重ねた結果の態度からも引き起こされる憎悪や諦観にも関連づけられている。

正直なところ、Gold against the Soul でリッチーが書いた詩のように、「自分にハガキを送る人は気分がよくなることを願っている。しかしそんなことで何も解決しない」という気分にとても近い日常なのだが、その意味でも何を彼らが伝えるのかは注目している。

いつも思うのだが、喉元を過ぎ去って忘れるというのが日本人の中にはあり、事の当事者や被害者になってもそれを認識できず、省正されない。事実としての被害には反応するが、ことの因果関係にはあまり意識が働かず、・・・つまり本当の意味で近代化できていないのではないかというのが90年代後半からずっとある懸念なのだが、最近になりますますそれが助長されているように感じる。
大正時代教育を受けた人や戦争経験者は90歳代になり、軍事ロマンチシズムがアナクロニズムとして復活してしまっており、それを認識しつつも指摘する人は少ない。このエゴイズムの肥大化が多くの人に巻かれて追従しがちな体質と、古いもの、権威には従うという封建的な考え(あるいは何も考えていない)とあいまって、拡大している(あるいはそのように見えてしまう)。

P.C.Pで歌われた行政と一般正義の不履行、機能不全状態も拡大しているようにみえる...


時間認識、場所認識、自己認識、他者との関係、そういったものを繋ぎとめ積み重ねたものからよりましなものへ繋げていくための行いに対して、違う力が働き破壊されるとき。それらの背景には、大きくわけた二つの集団のうち他方を無視して他の立場をまったく省みないという姿勢があり、それが多や数や激昂によって破壊される。こうしたことを繰り返さないために何が必要なのだろうか。中間で何かを発することの意味を考えている。

知も価値も他者との間で共有されなければ意味を持たず、生命を失うのではないか。




 

Manic Street Preachers - P.C.P. (lyrics)   




Manic Street Preachers - Archives of Pain  


WEBの記事をみていると4人時代のManicsをリアルタイムで聴いていたリスナー、ファンはもう少ないという。
私は1992年初来日川崎クラブチッタに行っている。(おそらく多くのファンは私たちよりも5-7歳年上という感じだった。私がManicsを聴き始めたのはEP StayBeautiful発売時。リッチーが歌詞にしている17歳にもなっていないし14くらいだったと思う。)




You Stole The Sun From My Heart
Live from Cardiff Millennium Stadium '99




<UK Tour Dates>
23 April NEWCASTLE, Metro Radio Arena
25 April GLASGOW, The SSE Hydro Arena
27 April BIRMINGHAM, Arena
28 April MANCHESTER, Arena
1 May LLANDUDNO, Venue Cymru Arena
2 May LEEDS, First Direct Arena
4 May LONDON, The SSE Arena Wembley
5 May CARDIFF, Motorpoint Arena