サテュロス

古代性・原始性とモダニズムについて

以前から古代ギリシアについて興味がつきないのでサテュロスを観にいくことは非常に興味が深い−−−ギリシアの彫像はほとんどがローマ時代の復刻でそれでもインスピレーションを貰うのだけれども。ギリシアといってもギリシア神話よりもずっと前、古典以前のギリシアです。アテネ・スパルタのような軍国国家以前の事。
女系社会で豊穣なカオス溢れる世界。そんな大地信仰に似た神秘的で野生的なものがサテュロス像にはありました。畏怖する自然、自然=神の。

ニジンスキーの本を読んでいて衝撃だったのは、彼が「モダニズムは古代性と結びつくことによって表現可能だ」と言っていたことです。
たぶんニジンスキーは我々よりも100年先が見えていた。
そしてその身体感覚は深くイデアをとらえていてそれを神懸かり的に表現することができた。20世紀初頭、彼に関わったり、舞踏からインスピレーションを得たアーティストは山ほどいる。
(コクトー、ルドン、ドビュッシー、ストラヴィンスキー・・・)

100年間で得たものは何だろう。あまりにも脆弱であまりにもそれは使い捨てられた。
そして100年でおそらく2000年分の叡智と本当の豊かさを失った。畏怖や美も風化した。
しかし、人間は誰も100年前の生活には戻ることはできない。
からからに乾いて、存在を限りなく軽くしていく。

キューバの映像を見たのはブエナ・ビスタとホセ・マヌエル・カレーニョが里帰りしてバナナの街中でふと踊り出したり、熱狂的な声援を送る観客や、バハナ湾からの夕陽に照らされたバハマの街並みを観ただけなのだが・・・ここには何か失われた答えの、方向と可能性のひとつがあるのではないかという錯覚を覚えてしまう。