皆大好きなベートーヴェン 交響曲7番 フルトヴェングラー Furtwangler
(お探しの章は31:55あたりから)

どうもこのところ、隠しきれないくらいに再度視聴していますが、皆さまは銀河英雄伝説をどのくらい読んでいるのでしょうか。この作品、私は小学生6年終わりから中学生1年あたりで知りました。ちょうど、教科書取り扱い指定書店がいまでいうオタクな感じの店でして、(注:アニメイトなんてあるのかないのか?宮崎勤事件もあり、漫画やアニメーション全般が、漫画を読んでいたら殺人犯になる、くらいの論調でした。今、キャラもえなんて風潮とまったく逆です。世間全体が日本の漫画やアニメなんてまったく文化なんて思ってなかったですよ? 
※よって未だよくわかりません
子どものころには、これに比較したら「火の鳥」はいい作品だから国語でも読もう、ビートルズの曲を音楽の教科書に載せよう、という具合に常に、今はやっているものよりはマシだしクオリティも高いのだから、格上げしよう、そういった例はいくらでもあり、作品から教育消費されてもきました。

ですからあまり真面目に読まないでもらいたいのがこのエッセイです。
でも書いている本人はけっこう真面目です(どっちだ)
つまり、真面目に何かをいって啓蒙したいわけでも、影響を与えたいわけでもなく、タイトルも単なる命題です。


DVDどころかBlu-rayになって、もはやラインハルトもびっくりの時の経過でしょうが、再読するたびに面白みもあるのがこの作品の凄いところ(自分の未踏の分野の鏡というか)です。
私見では4期のカイザーはすっかり、丸くなり、お子もお生まれ、ヒルダさんは明晰でやや神がかっており、病臥される様が自分の体調やバイオリズムに心地よいのか、家族の不評と不満もありつつ、後半中心と前半のいままで、それほど注意してみてこなかったところをみてみようという心境。(前者:ヤンとルッツが死ぬところは落ち込むからみたくない。そのそも、銀英読者でも視聴者でもなく音楽に反応するだけ。歴史は変化しない、覚えるものだ、と思っている方はあまりこの作品には興味がないのかも...)




<NO2は不要。組織は本当にNO2がいないほうが堅固な統一組織なのか>

物語2巻でキルヒアイスは亡くなりますが、物語的には絶対に必要なのがキルヒアイスの死なのでしょう。もっともキルヒアイスもラインハルトと幼年学校に行く10歳には、騎士的な忠誠と思慕をこの姉弟に捧げており、私人としてのキルヒアイスはこの時に半分死んだも同じようにも思います。

さてオーベルシュタインこと後の軍務尚書が持ち出すのが「NO2不要論」ですが、それが正しいのか。

ながい名前が魅力のこの作品ですが、長いので(え..)以下オベと表記。
キルヒアイスとラインハルトの溝が深まっていくのに対して、オベはラインハルトの側に入り込んできます。

最初の持論:劣悪遺伝子法によって、ルドルフの治世では排除されてきた。よってこの政体を替えたいと思っている(「私は憎んでいるのです」の言)(オベ)

最初の持論:1)大貴族の支配は間違っている。 2)借金の方に姉を後宮に収めた、父を親とは思わず家的な思慕からは決裂する。「姉上をとりもどすんだ」
3)ルドルフの治世や現王朝(ローエングラム王朝でいうところの旧王朝)のやり方は間違っている、それを是正したい。(が、誰のものでもなかった時代にしようという変革願望ではない。制度を改め、しかしそれを手中にするのは自らしか認めない。(ラインハルト)

最初の持論:貴族でも貧乏な下級貴族の存在を知るキルヒアイス 2)アンネローゼに対する思慕・憧憬
3)アンネローゼに頼まれ、ラインハルトの能力を認めてこの人ならやるかもしれない(1号)と支持・支援・忠誠
4)ラインハルトを頼まれるからには、ラインハルトを超えていかなければならないため能力がある意味ラインハルト以上(例:カストロフ動乱における、ベルゲングリューンとビューローの会話 「ローエングラム公ならばどうされたでしょうか」 例2:外伝におけるシェーンコップとの白兵戦 (シェーンコップが自分とラインハルトよりも力量が上だと解り、危険すぎる敵と言っている。シェーンコップは名を聞いたがお互い名乗らないので、本人たちは知らないまま。これは読者だけが知ること) 
5)ラインハルトのやり方ならば、民衆が苦しむ政治や一般兵が死傷する軍事は減るだろうという信頼

これに、ロイエンタールとミッターマイヤーが加わっているんですが、この場では省略。

オーベルシュタインは目的の達成のために一番有益なのはラインハルトであり、自らは影といって憚らず、そのカリスマ性も認めている。
ラインハルトは基本的に初期は認証欲求が強い。認めて貴下に加えろ、そうでないと覇業は成就しないというオーベルシュタインを受け入れる。これはやや取引のような認め方。 自分の純粋さを恥じることはないのに、若い公にはわからぬか、と言われて了解してしまう。


決裂その1:ビッテンフェルトがヤンに敗れた時にさり気なく「自決」を求めている。それを慰める諸提督。(これは厳しい、と誰もが思った、という表記あり。)その様子に、とりなしに入るキルヒアイス。
キルヒアイスは、味方に敵をつくなさいますなと諫める。このあたりからややそうした助言を聞かなくなっているラインハルト。

決裂その2:そのとりなす様子を見て、オーベルシュタインははっきりと「NO,2は不要です」と言い、それを指摘されたラインハルトは、彼はナンバー2ではない。私自身も同様だという。(これは物語の最初から知っていればその通りで、最初に書いたように、私人としてのキルヒアイスは半分ラインハルト、もう半分はアンネローゼに捧げており、その中間で自分ができることを二人のためになそうというアイデンティティになっているので、比喩ではないのだが、オベはそれを理解できない。

「キルヒを粛清しろとか申しているのではない、他と同列に扱え」と進言するが、これは正しいように見えて間違っている。
アレクサンドロスとヘファイスティオンのように、どこまでが自己でどこまでが自己でないか、共同で生死を負っているような状態でここまで来たのであって、同列とかそういう次元ではない。だが、反駁できないラインハルトは受け入れる。

決裂その3:惑星ヴェスターラントの熱核攻撃を容認したかどうか。決定的な正義論の対立。

オベ「長らく内乱でさらに多くの人命が亡くなるよりも、攻撃して支配権のなさを帝国全土に知らしめるべし。そのほうが有益である」

キルヒアイス「そうしたやり方を容認するのは、大貴族の支配よりも傲慢ではないのか。」

ラインハルトは明確には中止を示していない。結果、オべはフェルナーに強行偵察艇を先行させて「敵の攻撃がはやまった」と伝える(オベ論の強行)

外伝では、戦勝によって自軍の兵士の戦死が少なかったことを喜ぶが、それは比較の問題に過ぎないことを知るキルヒアイスは、喜べない。軍部は40万人の戦死者が少なすぎると考え、さらに侵攻する計画になったことを非難していた。それに同調するラインハルト。そうして目的を確認してきた足場であるのに、200万人の住民を核攻撃で殺してそれを道具にしてしまったことへの深いトラウマ。

ラインハルト「お前は俺のなんだ」
キルヒ   「私はあなたの忠実な部下です、ローエングラム公」

なんてことでしょう、友達が一人しかいなかったのに、しかもお互いに半身を支え合ってきたのに、もはや一人でもなくなってしまった。 半分ずつになれば立っていられないのにです。


姉「ラインハルトがあなたの言う事をきかなくなったら、弟はもう終わりです」

そんな状況は、アンネローゼの精神的なものも終わる、そのくらい憂いて忠告してきたのに。

ラインハルト 「姉上はキルヒアイスを愛しておられましたか」

これはもうロマンス語圏と北方神話の王道の話で、詩的な表記だと思いますね...
こういうところが上手いと思います。小説として。

キルヒアイスがラインハルトの半身も同様、それはロイエンタールとミッタ―マイヤーも知っており、そこに割って入り、だれにでも平等に扱うべしという進言に苦言を呈しているシーンは頻繁に観られます。

なんとなく双璧は初めから双璧としているように見えますが、そうでもなく、キルヒアイスの死後に「双璧」といわれるようになったというのは後世の評価。多分それ以上のものだったと思いますけれども。
ラインハルトの力量を認めて支持支援しようと決めるのはキルヒアイスの次には実はロイエンタールです。そろそろ長いので以下ロイエ、ミッタ―と書きます(・・・)が、ラインハルトとロイエンタールの会話というのは実はあまりミッタ―マイヤーは聞いていないことも多く、ロイエンタールも語らない。(これを語っていたら、あれほど自分の中で問題が肥大化しなかったのではないかと・・・)



ポニーキャニオン
2014-08-29


ジャケ買いしそうな感じのパッケージ....。

双璧はキルヒアイスがいたから、うまくいっていたそれを変える必要はない論の立場。

実際のところ、強固な支配体制というのはナンバー2不要なのでしょうか。違うのでは。
むしろ、NO.2の力を持つ者が複数いて、横の連体と情報共有、権力分散しているほうが、第一位者は揺るがないのではないでしょうか。バーミリオン会戦時に、ヤンはローエングラム公を倒せばそれで終わる、と指摘しているし(ヤン自体が歴史好きだから、できればラインハルトがどんな治世をするのかみて観たい好奇心や人物に寄せる関心が高く、自分の手でできるところでも、この世から消し去ることが決断できないのですが。このあたりはまあよく書かれてますよね。飽きないのもそこでしょう。)
中世シチリアーノルマン時代も、権力は分割されていました。
長い治世という観点でいうと、西洋からみて興味深いのは、日本の江戸時代と、オスマントルコ時代、ビザンツ時代だと言われています。なぜこんなに長い間支配できたのか。
強固な官僚制と、NO1.に続き、それに準する役職か代理するものがいることが特徴なようで、是非はともかく、オベがいうほど「強固な体制」に必ずしも必要なものではない。「強固な支配」は内側にのみ働くのであって、対外的には、それは脆弱かつ情報が行き届かない事態になります。
それに、なんとなく、オベ自身がNO2であるようになっていきます。こうなるともう、諸提督たちとも情報が共有されず、オベの考えはオベが喋らないので、秘書官?だったフェルナー(最終的には官房長!)の独り言でしか読者でさえわかりません。または、ラインハルト側からはヒルダが危惧を抱いて心配性の極みです。

実際同盟を支配下に置いたあとの内政はほぼ大失敗しており、内政問題が山積みになり、テロははびこり・・・
これもラインハルト一人が皇帝であるから、宗教的暴力支配者が、目的を達成してばかりに・・・
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19283307

ラグプール刑務所のあたり、オベの真意がよくわかっていません
1. 政治犯(かつての旧同盟公職権力者が収監されれている)を人質にして交渉、その直前にラグプール刑務所の暴発が(内部から)起こります。これを織り込み済みで、ビッテンフェルト指揮下の陸戦員を鎮圧(火に油;)へと仕向けたのか、その責をとってビッテンフェルトも失脚させるつもりだったのか。
また2としては当然のごとく、この騒ぎを鎮火するラインハルトへの支持拡大という側面もないわけではない。
しかし犠牲が大きすぎる、ハイネセンは火の海です。
どうも、オベは一石二鳥以上とかれが思うことにはGOサインを出すようです。
ヤンがいなくなって後は、よりシビリアンコントロールの時代になるのが必至で、ビッテンフェルトらをこのタイミングで粛清に準じるところまで影響をなくしたいのかもしれない。
(どうでもいいですが、ラグプール刑務所のシーンは、どこどなく、新テニスの王子様のステップ2のあたりに似ています・・・同じ制作関係者なんでしょうか;
        
       
オーベルシュタインの言うことは正しい、というのも、フェルナーの独白説明台詞で、「おそらく正しい」という表現なのであって、そこで読者がオベは正しい、有能、というレッテルはりをするものどうなのか。
フェルナーの暴発はなんだか久々に読んだり見直したりすると、かなり独善的で、官房長になるころを観ると、なんとまあおとなしくなったなと思うのですが、目的のためにはとにかく行動!のフェルナー(脳)で「おそらく正しい」と言ってる表現なのではないかと。いや、フェルナー好きなので、観察してしまいますが。

「完全な正論だ」も同様で、だからといって正しいわけではない。
正統さ、正当さ、正論はあるのですが、より正論であるととどめるにしかできないのが人間の力なのでは...

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19283227

果たしてそうかな、と議論してくれるのが、この作品のほかの提督たちなわけでそれも魅力です。

対話劇であるから、やはりアニメ版は観る度に面白さがあります。
いろいろありますが、基本は人間、その制度、思惑、対話、・・・そういったものの不完全さがきわめてマッチしたパズルのようだと思う。


新シリーズ化されるとまた違う面があるのでしょうが、この作品が支持されているのは、アニメファンとか、漫画ファンとかそういったカテゴリーに留まらない人たちが魅力を感じるところなのだと思います。


・・・・他にもありますが、とりあえずここまで。
最近はどうも、有益か無益か、有能か無能か、オールorナッシング論法をとる方が多くなっているなあと思ったので、私としては、真実は常に中間にある慎重論をとりたくなるのです。
ヤンの台詞で好きなのは「表現は正確にすること」ですが、これはけっこう・・・重要なことだと思うのですよね。

ヤンと同盟サイドについてはまた違う時に・・・これも今読み返すと、中高生の時とは違う感じになってきます。

とりあえず、カイザーのご逝去された25歳よりも上になり、シェーンコップよりも年をとり・・・病床に伏せるカイザーにシンパシーを感じるという時点の感想。

それに、バーミリオン会戦あたりのヤンの大変さはもう見てられませんね・・・一段落したら、ブランデーぐらい飲ませて休ませてあげて下さい。(切実)不眠シンパシーが痛々しい・・・




<「正論」は正しいのか、良い選択を生む善作の判断によるものか>

<旧帝国には法があるが新王朝には法がそのまま?1 ローエンクラム公の法意識>
ヴェスターラントの件で暗殺未遂が起きるときになって、ラインハルトがケスラーに問いますが、それまでは何にも考えていなかったのでしょうか。・・・
今観ると、ブラウンシュヴァイクがアンスバッハに提案したことは、それなりに的をえていたように聞こえます、形式は馬鹿馬鹿しいものですが、この下りがないと、ラインハルトは「簒奪者」も同然な部分はあります。
幸い、ランズベルク伯たちが凡庸なロマン主義に走っているだけ、かつエルウィンヨーゼフも救心力があるわけでないのですが、リヒテンラーデを失脚させるあたりの下り(オベ論実行)はかなりファッショですからね・・・


<ユリ「まずは憲法をお造りください、そして議会を制定することです。 自由共和制側が立憲君主制を共和政の足掛かりにしようとしているのだろうか。立憲君主制はすでに試された制度である。・・・そこに何が足りないのか>

<民主主義=衆愚政治でもない、選挙のやり方によっては衆愚政治は広がり、ポピュリズムがファシズムと生み、国粋主義がファシズムを生み、衆愚政治をただすためにクーデターを起こすというところまでも、我が国は学んでいる。すでに!今検討されるべきは、「選挙のやり方」方法、一票格差などの問題で、民主主義や政治家に落胆している段階はすでに過ぎたように思うのだが。選挙区制制度すら議論があまり進まないあげくに、20年、30年先の我が国の輪郭を描くような決定に、誰かがなんとかしてくれる、とは思っていられないのだが、まだ間に合う。本当はもうだめだろ、と思うのだが、それは、私の立場からは云えない。せめて娘たちの世代が就業するまでは、よりまともな方向へと、向かっていってほしいものである。



2017-01-21-18-27-49


似ているといわれるコルネリアス・ルッツとアウグスト・ザムエル-ワーレン。(とキルヒ)
OPでも連続して現れるので、これは気の毒に・・・誰か解りやすい人物(メックリンガーとか)挟めよ、とか不届きなことを思ってしまいますが、私の中ではこの二人は似てると思っても見分けがつかないということはなかったですねえ。


とにかく、執り成し役というのは重要で、それはキリスト教でも、三位一体論をとっていたり、仲介者存在がより上を作る非固定的な要素なのではと思います。ただの一神教の強い神だと、これが・・・これに抗う方法が、タブーを破るというまさにマイナス力を発揮させる力になってしまうのでは。
カストロフ動乱の時の、キルヒアイスの菩薩度が凄く、ビューロー、ベルゲングリューンが脇侍かつ月光・日光に見える不思議・・・







同じく皆大好きな(以下省略) ローゼンリッターの時は、チャイコフスキー 「白鳥の湖」 スペインの踊り
この選曲は神がかってますね。2期から3期...サントリーがスポンサーだったのも分かります。
マリインスキーバレエ、オデット/オディールはロパートキナですね。

このくらい飽きないで興味が続く新作になるといいですけれども。



こちらはオシーポワ.スペインの踊りでポアントです。Brava!

(このあたりは趣味的に行ったり来たりですね...際限がない。)


対話劇が好きなので、艦隊戦以外の場面も好きなのですよね....



ジャケ買いしたら良いことあったという実例。


堀川亮
徳間書店
2004-07-23


ウルヴァシ―事件までの道のりがまた...
ちょっと露払い的な事件にも思えるし落日の始まりといいますか...    
    
    
もし、既知であるからという理由や適性を考えてヴァーラトの和約で、Mr.レンネン(富山声)でなく、ミュラーだったら。・・・・多分、2週間もたたないうちに、ヤン艦隊的な二人称とかに染まっていそうです。キルヒアイスがいなくなったあとでミュラーは執り成し役が増えた。・・・
メルカッツですら、「閉じ込められたふり」とか言い出すくらいなので、すっと水に馴染みそうですけれども。
ハイネセンから帰ってきら、「卿ら」ではなくて「おまえさん」とか言ってしまうナイトハルト・ミュラー。・・・
オルタンス家に招かれてユリアンと一緒に姉妹とあそんであげそう、すっかり懐柔されて平和な感じがします。

「永遠ならざる平和のために」(シェーンコップ)は「永遠平和のために」(カント)への著者(田中御大)の返歌みたいに感じるときがあります。
    
    
     ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村