物語近代哲学史〈2〉デカルトからカントまで
ルチャーノ・デ クレシェンツォ
而立書房
2005-07



「ジャン・バッティスト・ル・ロン、通常ダランベールは1717年にパリで生まれた。
別の侯爵と結婚していた夫人と騎士との私生児だった彼は、パリのサン=ジャン=ル・ロン教会入口の前庭に母親から捨てられたのだった。
この教会の名が彼を拾った司祭たちにより名字としてつけられたのである。ガラス職人の妻に育てられたのが、次の時期には父親が彼を再発見することに成功したのであり、この日以来、彼の面倒を見たのだった。
彼が通学できるようにしてやり、また生きるのに必要なものを得させてやったのである。
実はダランベールは哲学者というよりも、科学者だった。
(数学のダランベールの方程式は有名である)(中略)
こうしているうちに、彼はアカデミー・フランセーズ会員に任じられた。もっと情報を補足していうと、彼は『百科全書』への序文(1751年)を執筆したのだった」
(近代哲学史物語 第18章 ダランベール P.127)

近代史を繙くとこうしたかならずしもオイコス(家)とは関わりなく、自らの教育環境をだれか才能を見出した人がおり、教育をうけて仕事をしていることに出会うだろう。
果たしてこうしたことが現代可能になっているだろうか、私は血族主義にはあまり関心がない。
本来公教育とはそれを可能とするよぅに考えられた部分と、そうではない(税金バランスのためと支配者による被支配者の育成 再生産)のいずれかになっており、教育史や教育学の基礎をやらずに教育に関わっている人も多分にみられ、しかも教化、養育、教育(ある種のテロス的洗脳)を区別せずにしている場合も多々見受けられる。
ルネサンスから古代へ、ルネサンス期から近代へ、このことを考えることが多い。








物語 近代哲学史―クサヌスからガリレイまで
ルチャーノ デ・クレシェンツォ
而立書房
2004-02