12月23日(祝・火)午後13時より18時まで、納富信留先生の新書『プラトンとの哲学』を読んだ読者からの質疑応答、感想を踏まえて議論する会を慶應義塾三田キャンパス会議室にて行いました。
まず、場所と年末の忙しい時間の中で、時間と場所と機会を提供してくださった先生に感謝の言葉を述べ書き残しておきたいと思う。
納富先生のもとで哲学、哲学史、また私のようにプラトン受容とプラトン哲学、プラトニズムについて研究した卒業生(饗宴、国家、パイドロス、ピレボス、メノン等)、古典語を学び古典文学を学んだ慶應卒業生、現役の他大学の学生、西洋史の専門、放送大学で数学物理とギリシア語クラスを教えているK先生、工学部の学生など、いわゆる「理系、文系」にカテゴライズされず、学んだ人あるいは学びつづけている人たちで会議を行えました。ご参加されたみなさまにとって、著作を通じて対話できたこと、直接先生から執筆動機をうかがえたことなど、本当に貴重な機会だった。


13時から序章 プラトンとの対話 (アカデメイアの木陰で....)より 
      第1章 生の逆転『ゴルギアス』 P21より
      第2章 魂の配慮 『ソクラテスの弁明』P.45より まで
      第3章 言葉の中での探究 『パイドン』P71より
      

15時から 
       間奏曲 第七書簡 P.101より
       第4章 『饗宴』P.121より
       第5章 理想の変容『ポリティア』P.145より

16時50分より 第6章 宇宙の想像力『ティマイオス』P.175より
          第7章 哲学者とその影 『ソフィスト』p.197より
          終章  プラトンは何を語りかけるか

3部に区切っての会となった。それぞれ間に約5分から10分の休憩を挟み、18時の会議室が閉まる直前まで議論や対話、感想を語り、先生がコメントや解説を加えられた。
私は納富先生から、哲学者、すなわちフィロソフィアは知を愛するものであり、かつ中間者であることを論文を作成するなかでとてもよく覚えており、その後の文献の分析、どのようにわれわれが書かれたものと向き合うべきかを得ることができたと思っている。またプラトン主義はつねに数学あるいは真実を追求する知的活動とつねに同時に起こっていることも重要であろう。
今回はじめて納富先生と話されたり先生がお話される言葉を聞いた方は、おそらく、この『プラトンとの哲学』はもちろん、他の著作、書かれたものを開いて読み始めたときに、理解できる事柄が増えるという体験をされるのではないかと思う。言葉は、書かれたものと話されるものがあるが、音声として、その場と時間を共有できる言葉は生きた言語であると私は思っている。すなわち、パロールされる言語、また対話者とのあいだにかわされる言葉が言論として活きているものである。書かれた言葉は、ロゴスとして意味をもち、時間と場所を共有しない読者にも語る力をもっているが、それだけでは充分ではない。

この会はもともとの発端は、『プラトンとの哲学』が夏に刊行された後、朝日カルチャーセンター新宿にてプラトン『法律篇』の総括回があり、その講座ののちに受講者から発案され、先生が承諾してくださり、具体的な日時や場所を決めるために私と先輩のプラトン研究をされている方とで話しあい、実現した。10月中旬ほどから11月の間に日時が決まった。今回出席できない方もいたので、これを機にまたある章について、例えば、ポリティア、ティマイオス、パイドン、ソフィストといった風にあるテーマに絞った会でも良いと先生からお言葉をいただけたのがとても嬉しかった。私もそうなのだが、これを機にあらたに原著や先生の著作を読む機会となるのではないかと思う。

納富先生からは、自己の変容という言葉を聴き、やはり自分の中で言語を通じて変化をもたららすものが、プラトンの思想ではないかという言葉を聴き、また昨年は井筒俊彦全集が発行された(慶應義塾大学出版)ので、イスラームにおけるプラトン主義の思想についてもコメントをいただいた。井筒俊彦全集は、今後さらに解読されるべき課題だと思っている。また、多言語の重要性とともに、日本語で考え、書き、読解し、それをまた語り書き残し対話し思考する、判断し行動するということにつなぎ合わせねばならないだろう。

最後に、これから読まれる方、次回参加される方のために、プラトンは何を語りかけるのか、終章より引用したい。

「現実と理想のはざまにあう人間とは、いったい何でしょう。「ある」と「ない」の中間にいる人間、「知を愛し求める存在」としての人間です。(略)私たちの生は、無知やごまかしにまみれています。なによりも、私たちは有限な、死すべき存在です。ですが、真理に目を向け、それを実現する理性、魂の本来のあり方という希望も私たちの内にあります。人間の悲惨を見据える悲観主義と、可能性を限りなく信じる楽観主義、その間で私たちは生きていくのです。
 プラトンは現代を生きる私たちに、何を語るでしょうか。人生や心のあり方、対人関係、社会問題、国際紛争やテロ、地球環境問題....私たちが直面している問題は多岐にわたり、古代ギリシアでは想像もされなかった困難も出現しています。問題は多くきわめて複雑で、とてつもなく難しい...

(中略)
では、一緒に、始めから考えていこう。
「問題だ」と思っていることの中には、実はたいしたことがないものだったり、別の問題だったりするもののあるはずだ。何が本当に大切で、何が無視してよいものなのか
それを見極めねばならない。一見新しい問題に見えることにも、惑わされる必要はない。私たち人間がこれまで思索してきた基本的な問題が、やはり根底にあるはずだから。
そして中間者である自覚を持ち、自分に反省の目を向けながら、勇気をもって自身の理性で考えよう。現実を見据えよう。その綻びに戸惑いながら、「現実とは何か」一緒に考えていこう。・・・・」P.234


一部抜粋しての記述です。ぜひ新書を読んでほしいし、先生が会の中で語られたように、この本は専門研究者や古代ギリシア研究という範疇にとどまらず、高校生たち専門を決める以前のひとたちにぜひ読んで貰いたい。

今回、この書籍が刊行された2015年末に、有志で会をもてたこと、また次の機会にむけて書き残しておきたい。


納富 信留
慶應義塾大学出版会
2012-07-19
















筑摩書房のこの新書はぜひ再販してほしい。この会に際して、未読の大学生に今私の本は貸出中。
NHKのプラトン、あるいはソフィストの問題は、最初に英語でケンブリッジから出版された専門研究書、またアリストテレス全集の新訳である『ソフィスト的論駁』もお薦めする。










納富先生からは、エンドクサについての論文抜き刷りも今年頂いた。あわせて読み返していきたい。



昨日新春号が届きましたが、写真は秋号の巻末に掲載されている紹介ページ。


納富先生は、引き続きギリシア哲学史を朝日カルチャーで担当されていますが、
3月26日は一回講義 トマス モア 『ユートピア』を扱います。

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)
トマス・モア
岩波書店
1957-10-07




ユートピア (中公文庫)
トマス モア
中央公論社
1993-04