ウンベルト エーコ
東京創元社
1990-02


2015-11-06-14-03-23

菊の名前は確かサフィーナ。ユーカリと色が調和します。選らんでよかった。







あまり自分の専門で学んでいること(西洋思想史)についてのポストがないのですが、それなりによんだり、会で得た内容をさらに反芻したり、調べたりしています。途中のことなのであまり記事という形にはしませんが。

栗原先生からお送りいただいた ギリシア哲学セミナー 論集では、やはりあらためて「アリストテレスはプラトンを正しく理解していたのか」という問いは無視できないと思われた。
また「夜明け前の会議」についての指摘も実に考えさせられた。
(9月26日 プラトン 「法律」(ノモイ)総括会 新宿朝日カルチャー教室)

我々の日常感性は、後から書かれたものやあとから立派に整えられたものが現れたら、それ以前の読まれ方やテキストは忘れられることが多い。例えば、西洋哲学史も古くからやってきて、プラトン→アリストテレス というように学習者は感じることだろうが、専門レベルになればこれは別別に読みなおかつ、それぞれの関係も考えねばならない。
ポパーの誤読も近年では、ようやくプラトンの正統な読み方からはずれているというように捉えらるようになった。しかし、それでは何が問題だったのか。
そこはまだ考えなければならない問いではないあろうか。
近代ー現代とて、いやいまだから考えねばならない、あるいは認識程度はされるべきであろう政体についてなどトピックはつきないのではないだろうか。

詩人追放論と詩学について、このところ考えていた。
詩人追放論がどのような文脈で書かれたかを知らねばならないだろうし、アリストテレスの詩学 書かれたもの全般 制作物のための学問では認識の問題にまで増えて分析されている。

物語を通じて人間は時間を知り、人間のミメーシスを通じて人間本性の完成を知る。
このことと、ポール・リクールについてはまだあまり読めてないので、ぜひ読みたいところ。





やはり図書館に半日いる時間は必要ですね...どこかに時間をつくっていってきたい。





ポール・リクール
新教出版社
2008-11


ポール リクール
新曜社
2004-09