2015-03-10-14-26-07



3月10日 学習院女子大学において行われたジャンニ・パガニーニ教授の講演会の動画が公開されたのでLINKさせて頂きます。
当日参加したかったけれども行けなかったというお声も聴いたので、簡単な覚書とともに。

なお、ジャン・ボダンについては、法学部政治学科科目/文学部哲学思想史 の科目「政治思想論」で学んだことがあるものの、懐疑主義、地下文書などについてはまだまだ不勉強な状態です。
そのことも含めての覚書です。

当日はイタリアからいらしたパガニーニ先生が2時間ほどフランス語で講演。レジュメと講演の原稿が参加者に配れたので、講演とともに資料とフランス語本文を追いながら私なりに考えていた。
その後40分以上の質疑応答。英語、日本語、フランス語、英語での質問が飛び交い、素晴らしい講演会だった。(筑波大大学院人文社会学科+ルネサンス研究会)

さて、ジャン・ボダンの『七賢人の対話』について、恥ずかしながら私は今回初めてこの内容を知ったくらいなのだが、資料に概要が書かれているので引用したい。



”『七賢人の対話』では、宗教的立場を異にする七名の賢人が、ヴェネツィアの邸宅で「崇高なることがらの隠された秘密」、つまり形而上学・神学の奥義について対話を交し合う。作中に登場する「七賢人」とは、コロナエウス(邸宅の主人でどこから来たかは不明)、トラルパ(自然宗教論者でスペイン人)、サロモン(年老いたユダヤ教徒でどこから来たかは不明)、、オクタウィウス(イスラム教徒に改宗したフィレンツェ人)、クルティウス(カルヴァン派フランス人)、フレデリクス(ルター派にドイツ人)、セナムス(全宗教支持者にして懐疑主義のシエナ人)である。
 この著作にはもう一人、「私」と呼ばれる人物がいる。この「私」は宗教戦争に引き裂かれた祖国から亡命し、コロナエウスの邸宅に朗読者として保護されながら、「私」の祖国の親友に宛て、七賢人の対話を手紙で報告している。(資料より / 清末尊大 『ジャン・ボダンと危機の時代のフランス』1990 P422)”


このように七賢人(古代ギリシアにおいて七賢人(そのうち5名は固定であることが多い)はしばしば語られる対象となっていた、この形式にボダンは倣っているようにも思える)の対話篇的な書物であると思える。
複雑さと多様なバックボーンを持つ、それぞれの宗教的帰属を客観視できる人物たちによって語られているような印象を持つ。

”自然宗教の理想は、「調和」といったプラトン主義的霊感、理性賛美というストア主義的観念、「古代神学」といった古典古代のテクストにかかわる様々な記憶によって培われてきた。”

プラトンの適度さとプラトン主義的な「調和」の概念は少し異なる部分があるのだが、個人的にももう少し簡単な言葉でまとめ、他の人に簡潔に差異を伝えられるようにしなくては、というのは私の個人的な研究課題でもあります。

講演のうち私が思ったことは、やはり自然宗教というと、ユダヤ、旧約、モーセに起源を求めるのが有力なのだろうか、という点だった。おそらく、宗教という言葉が持つ印象はあまりにも拡大・氾濫しているせいかのかもしれない。エジプト起源のものを多神教として、(つまりオキシデントにおける宗教外のもの)とらえるならば、そうなるのかもしれない。この規定によれば、多神教は「宗教」には含まれないからである。ここでも自然という言葉と宗教という言葉が合わさったときに、自然的(おのずからという意味の)に成立をみた宗教という意味なのか、自然に真理・普遍性を見出す宗教なのかでは、だいぶん方向性が異なると思ったのだ。

ちょうど、現在、アリストテレス自然学を学ぶうちで(朝日カルチャー 新宿 納富先生による)、「自然」という言葉、日本語に訳語された自然と、Natura Physis の違いが議論の中で問題になっているのもあり、覚えがきとして書いておきたい。

私の中では、宗教/自然をそのままの意味で、飲み込めるほど自然なものではないからだろうか。

自分でとったノートのほかに、動画で講演全体が公開されたことは本当に素晴らしいし、これから考えてみたい事柄なので(おそらく、この問いは今日の宗教的な問題、国際政治的な問題の根と、問題点の客観化にも有益だと思えるのだ。

この講演会は、イタリア学会と私の研究テーマであるフィレンツェ・ルネサンスにおける日本の第一人者である根占献一先生からお知らせ頂いて参加することができた。先生ともお会いすることができ、本当に貴重な機会をすばらしい環境で得ることができた。3月15日は慶應義塾でも講演があったと聞いています。

Japanese Association for Renaissance Studies
http://www.renaissancejapan.org/