現在スモール・ブラックフラワー〜の次にしっくりくる曲、Door to the River.

2010年の記事に対してメッセイジありがとう御座いました(London-Manicsさん)、私は川崎初来日のときは初ライブでもあってのちに語れるようなエピソードがないのですが、とにかく、自分もまわりも含めて、この日で始まりこの日で終わるというようななみなみとした焦燥感がはりつめていきました。
学校帰りでしたので、着替えて会場がある川崎へいくことが第一関門でした。今思うとそれも懐かしい。
あのときの、ロック・音楽としてのPUNKというものがやっと体現する日なのだ、という期待と連帯感は、特別だったように思われます。
その後のライブ、ベイNKに向かうときの、「自分のよく知らないんだけどさ、けっこういい曲あるとおもうよ」と彼女さんがくるりのファンらしいライブへ向かうお客さんをバス内で観たとき、ああ、こういう消費されるコンテンツになったのだな、と感じました。他方、GT時代からのファンらしき人もたくさんみかけ・・・

不思議なバンドです。
彼らは現在の自分たちをどうアイデンティファイしているのでしょうか。
こうなりたくないと批判していたものに自らがなっているということを何をもって語るのでしょうか。
普通であることに、こんなに批判されるひとたちもいないでしょう。
そしてこんなにも売れているのに、働くことを当たり前としているバンドもいないでしょう。
おそらく、普通との線引きは、彼らの中で、「続けること、ワークとして」休まないこと。
なのかもしれない。
もし機会があったら、長くリスナーをしている人たちと数人一緒でもいいが、彼らにインタビューしてみたいところだ。


ホーリーバイブルツアー・・・企画されているんですか・・・
YESやPCP、FASTERが歌った内容は改善されるどころか「あたりまえ」となって「ふつうの人」の生活にも浸食していることを考えれば、今それは演奏されるべきかもしれません。

しかし、この嘘のない虚構を暴いた本人を追いつめ、駄作である、音楽的な意味はない、批判をしつづけたのは音楽メディアであって彼らが「現在」を指標に、繊細にも早すぎた世界の虚構をえぐりだしたリッチーとマニックスを糾弾したことは、それはもうなかったことになっているのだろうか。

私には解らない。
このツアーが実現されても足は運ばないだろう。
しかしながら、このアルバムが持つ、閉塞はますます、現実的になっている。
足を向けながら、彼らの意図を考えるのもいいかもしれない。
ただし、私の体調としてはスタンディングでのライブはこなせそうもないので、色々考えさせられるのだけれども。


ジェイムスは、FASTERがもつ本当の意味を理解したのだろうか。
ジェイムスが長く抱えていたアイデンテティの問題をこれほど端的に表し、階級が透明になり、ブルーカラーもホワイトカラーも境界線はうすれ、努力で成功は買えるとまだ信じさせていたい人とそれを受ける人、無自覚の人格否定、そういったものが世界で「定番」になってしまったことに対して、彼はどう感じているのだろうか。
一番身近な、歌詞を書いた人はもういない。
マニックスにリッチーがまだいたら。
彼はもっと根の深い、事柄の本質を詩という端的な表現で示してくれるに違いない。


ライフブラッド(紙ジャケット仕様)
マニック・ストリート・プリーチャーズ
SMJ
2009-07-01



こういう複雑なマニックスリスナーのみなさんで2015年前に何か語らいの場を設けてもいいですね。
現在の私はちょっと無理がたったてひどい有様なんですが、もし気になるという方がいましたら。
この書き込みにレスを頂き、ツイッターアカウントやフェイスブック(どちらでも)を明記のうえ
お知らせ下さい。好きな曲3つを、好きなPV3つをお忘れなく。>geruda7
私はさっぱりとリスナー上場から遠い部分もあって。相互補完的に論じるマニックスリスナーというのもありかもしれませんよ。


メッセ、メールアイコンからも可ですし、先ごろ利便性はまだ未調査ですがメールフォームもつけてあります。
地味に設置しております



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