この図録ムックにもおさめられている<神秘の降誕>がすばらしい。


botticelli_mistica01


http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/botticelli_mistica.html
(WEB上で参照するのによいsalvastyleの頁)

アレッサンドロがサインを残しているのはこれだけである(ドナテッロの場合も、彼はめったにサインを残さなかったがユディトだけ「ドナート作」と名前をいれた)


そこにはギリシアでだいたいつぎのように書かれているという。

「私サンドロは、1500年の末にイタリアの混乱の中で一つの時と半分の時が過ぎた時に、すなわち、聖ヨハネの11章によれば、悪魔が3年半の間解き放たれているという目次六の第二の災いの中で、この絵を描いた。
・・・・」


ただし作品にサインを入れるのが恒常化するのは北方ルネサンス・デューラからであり、それまでは画家自身が作品の所有や作品を通じての認知は望まなかったし、それが当たり前だったのだ。
観すごしがちだけれども、それは近代とルネサンスあるいは中世の違いである。
しかしながらあまり人々が意識せずとも使い、集う建築などはそれと似ている。



現在この絵は(も)、ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある。
私がロンドンに行きたい理由はボッティチェリとロイヤル・オペラ、ロイヤル・バレエが二つの軸になっている。



また<石榴の聖母>と並ぶと思われる<聖母と3人の天使>もすばらしい。
背景には純潔の百合。

彼の生涯や、誰の弟子であり徒弟制度で育ったかなどを知ってからボッティチェリ展、あるいはウフィツィ美術展へいくとよいと思う。

リッピのところで修行したのちに、アレッサンドロはヴェロッキオの工房へいっている。ヴェロッキオはレオナルドの師匠であることが興味深い。 いや、こんな言葉では足りない。アレッサンドロが生きていた界隈はいまもあまり変化せず、記憶の場である。われわれには自らの体や血縁を越えた愛とか慈しむという感覚はないのだろうか。 現代人は、だれのいかなることがらに憧憬し、理解しようとし、努め求めて誰に伝えようとしているのか。単なる再生産を肯定して目をつぶるのだろうか。

このムックは、画家ごとの画集を観た人にとっても特化したところがあって面白いです。