「記憶の場」としてのリソルジメント

リソルジメント(risorgimento)のリは「再び」あるいは「復元」の意、ソルジメントは(立ち上がる)あるいは「興る」という意味の動詞ソエジュレ(sorgere)が名詞になったもので、合わせて「復興運動」「再興運動」と訳される。その実態は19世紀イタリアのナショナリズム運動である。

「記憶の場」としての「第三のローマ」

イタリア半島に住む人々にとって、「ローマ」はたんなる都市の名前ではなかった。たとえローマから遠く離れた所に住む人であれ、ローマという言葉がイタリアを、イタリアという言葉がローマを瞬時に想起させるように・・・(中略)

「通りの名前にみる「記憶の場」

通り、広場、橋などにリソルジメント運動やイタリア王国の成立にかかわる名前が付けられた目的は、イタリアが統一国家を樹立するにいたった歴史を再記憶化し、それを集合的心性として国民にすりこむための小宇宙をつくりだすことだった。)トポーニミ、オドーミニと呼ばれる。

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「ローマ連合」は、1779年のローマ市会議の選挙で絶対多数を占めることはできなかったが、勝利をおさめた。それは、ローマのブルジョワジーの多くがネーリ(黒色)と呼ばれた強権主義者に接近し、「ローマ連合」を支持し、グリージョ(灰色)になったともいえる。
 これに対して、民主主義者、急進派、フリーメーソンなどの反教主義者は、小学校における宗教教育の排除要求、ジョルダーノ・ブルーノの銅像の建立、ピーア門入場を記念する9月20日の盛大な式典を通じて(略)カトリック勢力と灰色になりつつある穏和派の分断をはかった。(P66)」 ブルーノに関する資料をみるとカンポ・フィオーリのブルーノ像が自然的にあるように書かれているが、以前から疑問だった。同時代に作られた像と異なるのは何かしらの意図があって作られるからである。ブルーノに関しては、カトリックが、ということよりも彼を訴えたヴェネチア貴族の良識の欠如が問題だった。しかし神の名のもとに裁判が行われる政教一致が問題だった。理性と信仰の分離は近代化の条件であり、血縁地縁と法の分離もまた必要条件だが、はたして現代の国内でこのことはどれくらい認識されているか。 ところで、ローマのリソルジメントがナショナリズムの実態を持つとすれば、フィレンツェのリソルジメントは市民規範としての再統一に根ざしている。このことはフィレンツェにおける戦中の反対運動にも表れているように思われる。 日本には戦中の反戦表明を都市ごとに行った例は観られないと言われる。つまり、一度全体性が表層すると末端までそれに覆われ、日々の生活が機能しなくなるまでそれが続けらるのだろう。 日本の近代史が不明瞭なのは何か蓋然と語られ、実態に迫れないためではないか。 〈黒船〉が来たから大政奉還にいたる選択がされたわけではないのではないか。恐らくもっとそれ以前に限界あるいは社会的には実態は変化していたのではないか。事の発端を、外部からの強制、他に求めるのは変化に対する無自覚よりも無責任を求めるためではないか。黒船とかGHQが、と雑に語ることで済ますならば、詳細がわからない。出来事を分析できなければ、変化する方法も維持する方法も解らないままではないか。 単純に歴史は比較できないが、近代化と戦国の歴史については、ドイツ、イタリアと差異を観てみることは有益だ。ドイツは過去の克服として歴史や民族問題を顧みて、自らの裁判、2000年代に入ってからも多くの映画を作成している。日本は失われた20年という時を費やして何を得たのだろうか。