http://ousia.livedoor.biz/archives/2014-02-12.html
以前同一労働同一賃金について少々書いたことに対して追記。

単純に合理主義の立場から指摘されることに加えて、いくつかの問いがある。

第一に、技術の継承について。非正規とされて仕事をする場合、技術職や専門職の技術継承はどうなるのかということ。平たく言えば、ある仕事の立ち上げから完成までを一人で行うようなことが増えており、単純に人件費の削減という点からそれを行っているとすれば、問題となるのは技術と経験の継承ができるるのかということ。
あまり世代的なことを言いたくはないのだが、事実としてある一定の年齢以上では人脈と経年はあるものの、技術がない(あるいは古くなったまま)という立場の人(社員や正規雇用の人)がいる。
要するにこの人たちがスキルがないので、それより下の世代のスキルを需要に応じ、言い換えるならば必要なだけ買いとるような仕組みで仕事として動いている。彼らはいとも簡単に、自分にはできないから、あるいは自分だけでは完成できないから力を貸せという。しかしそれが本当に貸すだけになっている現状。本来ならば、中間的にワークをする人は中間的に機能して、それを次の世代に引き継ぐ必要があるはずだ。しかしこの中間的な仕事が丸投げされており、実際の労力と経験がどこにも蓄積されていないのではないだろうか。
一時的に人件費は削減できるかもしれない、しかしカンパニーが持つ技術や創造の価値は蓄積されていかないのではないか。これは損失にはならないのか。
(50代以上の人の円満な退職のために、技術職やスキルをもつ人の地位が脅かされているのではないかということ。それは結果的に損失にならないのだろうか)

クリエーションとはいつの時代も本来は有機的なものだ。 もう1つの問題はよく語られる時給の問題。1時間あたりの仕事とはどういう量、質を想定しているのだろう。 また企業は時給を低く雇用したいのかもしれないが、人はその金額より多く消費する心理は無くなる。また結果的にその仕事・業種の価値も低くなる。 またかつては専門職として認められていた、通訳、翻訳、旅行関連、語学系、経理などは外注化しているがそれらを担う人を教育している側は現状を認識していないことが多い。 かつて失われた10年と言われた喪失は、近頃ではいとも容易に20年と言われるようになった。 十分に語られていない事柄をどのように検討するのだろうか。