ほとんど恋愛観というものがないので(・・・)こうした話題はよくわからないのだが、最近の傾向についての記事を観たので少々感想を。

女性は3C男性は4K(経済力を加えた5Kになっているとも聞く)が結婚の条件と言われているらしいが、これは相手にのぞむものというよりは、自分に欠落しているものと同意語のように思われる。

4K
可愛い、軽い、家庭的、賢いが条件という場合も
3C
快適、理解しあえる、協調的 という場合も、もしそういうものを他人に臨むとしたならば自分にそれらが無いということではないだろうか。

他者に臨むよりも自分がなりたい人になれば、類友でそういう人が集まります。
結局似たものは引き寄せられる。

結論:他者に望むよりも自分にそれを求めよう。

欠乏が充実を求めるのだから、欠如を認識しよう...

ポロスとペニアの比喩はまだ基本形なのではないでしょうか。

逆に考えれば、条件を設定しすぎというよりも、理想とはほぼ不可能な望みと思ったほうがいい。条件とは譲歩しないことを宣言する意味ではよいのでは。

タレスは研究しているときに、なぜ結婚しないかと聞かれて「まだそのときではない」と答え、さらに聞かれたときには「もうそのときではない」と答えたらしい。

欧米では、遺伝子を残す以外に、血縁以外の繋がりや関係性、作品や仕事をするといった形の充実も生きる意義として認られているので(これを端的に「プラトニック」と表したのがマルシリウスなのだが)あまり面倒は生じない。(のではないか)


マルシーリオ・フィチーノ
国文社1985-02


もう一つ言えることは良いと思っているときには大抵、いい意味で誤解しているので「良い」と思えるものらしい。よくイメージと違ったという落胆も聞くけれども、それは経験となる。

いい誤解によって自分を造る力に作用することが古代からルネサンスに言われた神的狂気というもので、やる気とか情熱とか内的動機づけといったものに関わっていく。