Platonic Theology, Volume 3: Books IX-XI (I Tatti Renaissance Library)Platonic Theology, Volume 3: Books IX-XI (I Tatti Renaissance Library) [ハードカバー]
著者:Marsilio Ficino
出版:Harvard University Press
(2003-06-01)


The Letters of Marsilio FicinoThe Letters of Marsilio Ficino [ハードカバー]
著者:Marsilio Ficino
出版:Shepheard-Walwyn Ltd
(1995-09-01)




The Renaissance Philosophy of Man: Petrarca, Valla, Ficino, Pico, Pomponazzi, Vives (Phoenix Books)
The Renaissance Philosophy of Man: Petrarca, Valla, Ficino, Pico, Pomponazzi, Vives (Phoenix Books) [ペーパーバック]
著者:Ernst Cassirer
出版:Univ of Chicago Pr (Tx)
(1948-06)





先日少々取り上げたフィチーノのルチャーノの紹介文、ルチャー自身がわからない、としている4つのものについて、独自に簡単に取り上げてみたい。と思った次第。こうした論文を書いてもよいのだろうが、小注解的に、できるだけ日常語範囲で語りたいと思ったので。物語 近代哲学史―クサヌスからガリレイまで [単行本]


身体

天使



一見すると、身体以外はなんら実質をともないないモノに見える。だが、モノでないゆえに、意味がないとか考えるに値しないとするのは気が早い。先日も少々触れたがこれらは、象徴である。
では何を意味するのか。

身体・・・つまり我々の肉体。それは生まれ、成長し、衰え、死に、骨となる。骨にしかならない。生命には時間的な限度があり、それをわれわれはコントロールできない。また肉体をもつ以上、移動するしないはともかく、場所も限定されている。身体を通じて認識ができるという主張は、意外にも15世紀のマルシリオが述べていることなのだが、これは後の経験主義を先駆けて、五感の働きを吟味している点でも有益な叙述だと思っている。。

魂・・・ ドグマといってしまえば御仕舞だし、脈絡なく言えばやや信憑性が問われる、が魂の問題は大真面目であるから、一度は考えてみるべきだし、それを考えてなで死を迎えるのは、何かとんでもない損失に思われる。
魂は、肉体に依拠するが限定はされない。それゆえに、ルネサンス期では、身体より魂は優位に置かれた。
現在は、肉体の機能と脳の機能に関連付けて心、感覚からのクオリアなどが提唱されるが、その肉体をつかさどるもののシンボルとしての魂、なのか、魂には個別認識はもはやないのかはわからない。
いずれにしても、肉体に限定されている場合は、とらわれており、よい意味は与えられないし、魂が肉体とともにあるときは、「落下」している状態とみなされる。肉体は死ぬが魂は不死が前提。

天使・・・ルネサンス思想の醍醐味の一つかもしれない。肉体はもたない、空間と時間を超えて出現し、人間に対して秘密を告知する。ユダヤ、キリスト、イスラームすべての天使は共通存在である。
不死であり、知者であるが全能ではない。位階がある。人間に積極する存在は、比較的下位の天使である(ガブリエル、ミカエル等)人間は空間移動には時間がかかり、時間の移動は難しい。出現し、どの時間でも出現するという時点で、場所、時間および肉体消滅、死等とは無縁。

神・・・これをどう考えるか? 宇宙の始まり、という観点もあるだろうし、我々がすべて生まれる前とその後も世界なり宇宙なりがあるのならば、おそらくその全体を秩序づけるもの(証明しようとした哲学者は多くいるが、それは普通の意味で存在するのではないのだから、証明はあまり・・・。
魂、天使のレベルで肉体の限界も空間からも自由なため、神の意味はただ在る、ということがすべて。
当然、人間の願いや祈りなどをいちいち聞くとも思えない。人間側はひたすらに神や節理に感嘆し、できれば古代ギリシアのように、その神秘と力を解明し賛美しようとするようなかかわり方が望ましいのでは。
こうした文脈での神は、全能かつ全知である、はず。
神は死んだ、という考えはもともと間違い。死ぬ、終わりなどにも関わらない。
ようするに、神が死んだというフレーズは、アミニズム的であり、セム系一神教の流れでは意味をなさない。
人称をもたない故に、身体に関わることで弱ったり死ぬことはない。
肉体のレベル、知のレベル(推論せずに知るという直知)、結果など時間的な事柄についての全知、空間的に自由、時間的に自由。
美しい風景、海などの自然(コスモス)秩序をみるとき、おそらく人知を超えたプログラマー的な何かがある、と感じることがあるが、そんな感じで接するのが神の日常性として妥当だろうと思う。
私は無神論者ではない、しかし信仰を抱くには、疑問や知りたい気持ちのほうが強い。
人間は、時間的、空間的にどんな最善をつくそうとも、完璧は無理である
それは神の領域であるから、思うに神という存在は、人間の傲慢さにブレーキを、向上心や善をもとめる活動のなかでは目指すものとして、ある。
天使は、姿を現す、しかし神は姿を現さない(というかもたない)
ジャンヌが神の声を聞いた、ではなく、、天使が告げに来たといえばもしかしたら、処刑されなかったのかもしれない? どこそこにいる、という意味ではいないが、いるわけがないというのはおそらく間違い。
そしてこうした神の捉え方は古代キリスト教および初期プラトン主義者たちの考え方で、イエス=神としていた教会としては、起源的には正しい解釈(であるし、この考え方は起源だから宗教対立が起きにくい考えである)であるにもかかわらず、異端扱いであった(ので、当時のルネサンス思想家の苦労は計り知れない、そのため、テキストも読みやすいとはいえない。ボヘミアのフス以来、自由言論の状態とは程遠いのだから)


そしてルネサンスの時代は、全能な神の領域には人間は寿命のため届かないが、知と真理を求めるために、天使の領域までは達成可能であるという目標を立てていた。・・・それゆえに、彼らの仕事ぶりは通常の量ではない
質的なことはいうまでもない。彼らは身体の限界を自覚していたので、生きている間に、不死の知、美、力などを目指したのである。

天使の位階については、ピコの直作が詳しい。
不死の存在や死者の尊敬による原動力は、当然肉体をもつ、通常の人間が生きることへの最大限のことを実行を当然示す。この精神史における原動力の高さと活動量は、殆ど奇跡のようだが、他方、彼らの熱情はわかるような気がするのだが。


L'idea religiosa di Marsilio Ficino: e il concetto di una dottrina esotericaL'idea religiosa di Marsilio Ficino: e il concetto di una dottrina esoterica [ペーパーバック]
著者:Giuliano Balbino
出版:University of Toronto Libraries
(2011-02-17)



La Morale Nelle Lettere Di Marsilio FicinoLa Morale Nelle Lettere Di Marsilio Ficino [ペーパーバック]
著者:Ettore Galli
出版:Ulan Press
(2012-08-31)