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展示自体にはいけなかったのですが、英国ロンドン・ナショナル・ギャラリーでのレオナルド・ダ・ヴィンチ企画展を映画を見た。美術史を学んだもの、ヴァーザーリの芸術家列伝を読んだ人のなどから絵画ずきにはおすすめな映像です、英語も聞き取りやすいし、勿論字幕もありますけど生の議論が映像とともにテンポよく展開するのでリスニングにもよい、と思う位。





ナショナルギャラリーの岩窟の聖母は修復され額も15世紀の額を一部使いながらまったく新しい絵のようになっている。古いニスを取り除く作業。残念だったのは修復前の作品が一度も映らないことでした。個人的にはナショナルギャラリーのほうには初期バロック的な要素がみられる。額に関しては新しくすることに関しては賛否があるだろう。絵画にあわせた新しく額はあっていた、しかし古いパーツにあわせ新しい額が15世紀イタリアの額のようにみえるように傷や彩色をあわせるのは、なにか手の込んだ企てのような、果たしてそれで本当に良かったのかという複雑な気持が沸いた。古くみせかけたほうがよく見えるだろうということ自体になにか、本来的スタンスの違いがある。この展示室に行きたいという思いは当然、生まれる。背後の天使の絵画同様に。
音楽家の肖像に関してはフランドル型は四分の三観面があったのだからレオナルドの独創性とはいえない。(早くから主流の描き方からは距離をおいていたことはわかるが)
この場面で音楽と絵画の議論がありとても興味深い。音楽は15世紀特別な意味をもつ、これは私の研究テーマと重なるし長くなるので割愛しますが、レオナルドは全く逆のことを言い出した最初の一人ではあると思う。

映画ではたびたびヴァーザーリの言葉が〉英語翻訳だが 挿入される、この原文は日本でも抜粋でイタリア語と日本語併記で本があるのでそれを読むのもよい。だがレオナルドへの記述は多くはない。

ヴァザーリの芸術家列伝は大著だし、ヴァザーリのコメントを引用すれば、”確かさ”の根拠付はできる、と思いすぎないことが重要だろうと思う。個人的には、多くの資料を集めていて即急に結論を出すことに意を唱える伝記作家の意見に近い。だがやはり興味深いのはこの絵画と画家をめぐってさまさまな立場と熱意ある人々が企画をし、プレビューでの意見交換を記録し、公開されたことだろう。
内覧会には何度か行ったことがあるが、大抵は社交場と化してしまい、プレスリリースがそのまま掲載されたりする例は稀ではない。プレビューは、本来こうした意見交換の場であるべきだと思うからでもある。

しらべればわかるのだろうが、ルーヴルは<岩窟の聖母>を貸し出すかわりに何をナショナルギャラリーに貸したのだろうか?
(これはフランスが戦利品として持ち帰った絵画で、それがきっかけでフォンテーヌブロー派など初期のフランス美術・建築装飾のためにイタリアから画家や建築家よびよせられる。これは、プッサンの時代まで続く。(プッサンをフランスの画家だと思っている人も多いが、プッサンとロラン、それ以前の冒険者の世代はローマの画家である)

モナ・リザを貸したとき、日本は唐招提寺・鑑真像を貸し出すことが条件だったように。


ナショナル・ギャラリーではアレッサンドロ(通称ボッティチェリ)の後期作品が観たいのだが、他方ルーブルではロランや新古典主義の絵画の部屋に行きたい、だがもしこれをしらずに岩窟の聖母がナショナルギャラリーに行っているのを現地で知ったら、結構なショックだろうと思うので・・・。ウルヴィーノのウェヌスが日本に着ていると知っていてウフィッツィに行ったときは特にショックではないが、岩窟の聖母の場合は、これの比ではないだろうから・・・、二つの絵画が並べられたり集められ一つの空間で観られることは、美術館企画展の醍醐味だと思う。

個人像のキリストは、個人的にはややレオナルドらしくはない・・ように思われる。
これは、フェルメールで新に真作とされて公開される作品にも共通するのだが・・・
実際に観られていないのでこれ以上は何もいえないのですが。

レオナルドについても、歴史家のブライアン・キースが記事を書いており、その記事は短いながらも正鵠を得ていると思う。



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