P1170137

片岡佐吉邸でお会いでき、お年賀もいただいた浅野信二さんの年賀状。
構図も一部彩色も美しいです。

私にとって一番撮りなれているデジカメの充電器がゆくえしれずになっており(・・・)それが先日!発掘されましたので(仕事場に泊まりこみで文章修正しているときの鞄に入っていた・・・)写真を取り直しました。
このカメラはローマ、ヴェネツィアに行くときに買ったのですが一番使いやすい。
ので再掲。一体今のデジカメは機能はいいのだろうけれど、あまり美しく光の加減が調整できない、
といいますか勝手に調整するので私は使いづらいのです!

KC3X00640001

そんなわけでこの干支鈴も再掲。

P1170147

三田文学の最新号。
卓上カレンダーも頂きました。
井筒俊彦先生特集。
家人が丸山圭三郎先生のところにいたとき、ジャック・デリダから井筒先生あてにお手紙が来て、それを丸山先生に訳を託され、当時の院生たちと丸山先生で訳して、慶應東洋史学の井筒先生研究室にお返ししたというエピソードが。そして今私は、家人が本来受けるべきだった、熊田先生の本を必読文献にしているという状態なのですが・・・
イスラームは、堀江先生、長谷部先生、坂本先生と(私の中でとても重要な牧野信也先生)からもそれぞれ学んだので、私にとってはこの二つは切り離せないのですが、しかし、坂本先生に質問したときの言葉、「起源も大切だが、何が違うのかを知ることが重要」という言葉が残っています。
アヴェロエス、マイモニデス、サレルノの中世・・・・といろいろと当時のことを(私なりに)調べたり、12世紀ルネサンスのことを考えても、シリアについて考えても・・・・つながりがあり、しかし相違するものがある。

中世初期から17世紀まで、浅野さんとフォルトゥナについてお話ししたいと言っているところです。

トスカーナのテンペラ画からフランス古典主義、ラファエル前派・・・とみていると浅野さんの絵は現代作家というカテゴリーではなく、「画家」の絵だと思う。それは、絵画を前にして私たちの言葉や思考が動くはじめ、歯車がまわるように、時間の中へ入っていき、本来の時間と向き合えることを意味する。
それも、おそらくはミニアチュールという言葉では言いつくせないもの、テクネー(技術)という言葉本来のものに根差しているからなのではないか、と思うのです。