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8月は怒涛でした、かつ6月末からやはり時間が止まっています。
まず更新とは別に状況報告を・・・私が現在使用しているパソコンは(仕事・研究+製作・連絡・業務連絡もろもろと応援?など)自宅に2台、仕事場に2台あとは某PCラウンジ二か所(アカウント申請)+ネットブックなのですが、一応のメインマシンがかなり不調で、時間的余裕と蓄積データ、web更新(ブログではなく・・・)には必要で一番使い慣れているものの不具合多数、新しいものは恐ろしくオフィスソフトが使いずらくなったため処理能力とデータ転送はいいのですが、脚注操作やルビといったものも使いにくく・・・ファイル互換性がいまいち・・・と

日吉の写真を送ってくれたKさんありがとう御座います。
メールを読んでいるだけでも目がまわりそうでした、とのコメントありがとう御座います、
恐ろしいことに9月もそのような状況が続きそうです。

自分を優先しなくちゃダメだよ!と愛の鞭?で激励してくださったHさん、そうなんですが駄目なんですねえ・・・
芸術と哲学を愛する学友へとのお言葉ありがたいです。

27日もだけどその後二日間は倒れていました;
しかし倒れていても作業はたまるので一気にやりますが、一気にまた無理がたたります・・・
オーバーワーク気味なところをりねさんがかなり気にして電話してくれたし
私の状況をずっと知ってるから、27日の発表会アナウンスを代わってくれた昔からの知人oさまには「自分からもお礼をいいたい」と・・・もし変わってくれる方がいなったら(スタジオ内では変わるとか分担してくれるという方はいなかったので、みゆきさんも本当に心配してくれました。当日ご家族が病気なのにライモンダとそのあとの30分だけは観ていただいたのでした。パンゲアが間に合わなかった・・・とお話しましたけどビデオ持ってまたお宅にお邪魔させてください。)

25日のことに関して、最後にチームミーティングの場にきてくれてありがとう、真摯な態度に心打たれましたとメールくれたGさま こちらこそありがとう。
私が真摯かどうかは自分ではわかりません・・・
でも、今も苦しんでいる人、組織的な隠蔽や、他人の場所を奪うことで与えることやわけあうことなどなんとも思わない人によって、声もあげられずに消えるか社会的抹殺でなかったことにされていくことがらがあまりにも多いのです・・・・・ ファシズムで ここは自分の占有地だ、、出ていけ という言葉 (マニックスのREVOLでリッチーが歌詞に書いていますが)・・・これはたとえば避難所などでもすぐに発生することなのです。



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備忘録的にかいておくと私の所属する自治会でその地区から選出されている市議が
夏に「一日避難所体験をします。ぜひみなさん地域のつながりが重要だからご参加を」とスピーチしたのをきいた娘がいったことば。

「震災で避難所生活を余儀なくされている人たちは好きで避難生活してるわけでないのに、わざわざ一日体験とかいって体育館で過ごす企画なんて、避難している人たちに対して失礼だよ!!」

私もまったく同感なのでした・・・・
しかし多くの学校では、じっとしていること、発言しないこと、同じですと答えることを「いい子」と位置付ける。


この極限がラーゲル(強制収容所)であって、何も発言しないこと、、「そうであります」とこたえることが義務づけられる。
だから・・・レーヴィは、強制収容所は悪の極限だというだが、病院(ふつうの)、学校などでもこの状況は発生しやすいのです。

元気で自立している祖母が長期入院+手術になるうちに「何かの手違い」で病院で弱ることを案じていましたが一度30日に退院できました。しかし9月は義父の手術と祖母の手術が重なりそうです。
その直後・翌日に娘の個別面談があります。

7月末に先生にお送りするはずの草稿はおそろしいことに7月中旬から進められていません・・・
完全に、日常の時間とわけないとかけない内容なのと私の実力が不足しておりしかも気力と関節痛が悪化しているためでもありますが・・・


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私の望みは傷つかなくていい人が傷つかないですむこと
無自覚に人やものや生命あるすべてを傷つけることにいつか気づいてもらうこと

何かを成し遂げるために他者を排除しないこと、人と会う機会まで排除しないこと。

保身のために、打算的な態度を選択しないこと、

愚かであっても嘘をつかないこと。

同じ空の下にいるべき人が、
地上から離れてほしくないこと。



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にこさんは私が生命を預かった最初の子。娘とかいてますが、一つの人格としてある意味、家族であり私は親ではあるけれど究極的には、他者なのだ、と想っています。そうでなければ、存在を尊重できない。
(尊重と全肯定は別です)

娘が私に言ったことをもう一つ書いておきます。

「結局自分のことしか考えてない人があまりにも多い。ママ(高嶺)みたいに少し無理でもやれることをやろうとか、相手ことを考えて行動する人なんて少ない・・・ 」 

しかし私も自分の至らなさに最も苦しむのでした・・・・

それから、ブルデューが批判する「あるがままのソレルス」のようにせめて自分がならないように。




市場独裁主義批判 (シリーズ社会批判)市場独裁主義批判 (シリーズ社会批判)
著者:ピエール ブルデュー
販売元:藤原書店
(2000-07)





・・・・

この状況は、おそらく11月末から1月まで続きます。
ですので、しばらくはブログの最初の記事においておきますね。

プラトニズムにおける二重の上昇はわかります(しかしそれを私の語彙で説明しなおせるかどうかが問題です)
そして 三重の生 De vita triolici,(マルシリオ・フィチーノ)がいいたかったことはおそらくもっと先になってから理解されはじめると思うのでした。

シェリングが再発見するまでスピノザが傍流であったように
そしてデリダ死後にブームが起きていましたが、私の夫は80年代にデリダ脱構築で修論と博士論文を書いています。当時はジャック・デリダはハイデガー研究からみたら、まったく「学問的ではない」と言われていたのです。



脱線しはじめたので、この状況は1月まで続きますし、毎年同じ多忙さがめぐるというのも終わりのなさも変わりません。(だから私は「終わりたい」のです・・・あまりにも、終わりがなく、それを求めつつも、同時に断ち切りたい願望も強いと自覚しています・・・正反対のものは同じ源にあるのです)

プロフィール交換をした方から生年月日が1498年10月になってるよ!
と指摘されましたが、・・・生年で「若い」とか(年齢がそのまま経験を反映するだろうか?)詮索されたりするのがいやなので、ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラが33歳で亡くなった年を生年にしている次第なのです。


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そのようなわけで、勝手ながらまだ見ぬ日2012年1月31日付でしばらくこの記事をTOPにし、
(写真は近影。わざわざ書きますと膝と腰と肩、背骨まわりににモーラス貼ってます・・・ )
号外的な感想、日常的なことを書けるときに書ける範囲で書きたいと思います