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丘の上の平和なる日々
征きて戻らぬ人々を思ふ

小泉信三

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三田旧図書館からすこし離れたところに、朝倉文夫の平和来というブロンズ像があります。
戦時中塾長だった小泉信三先生の碑文が刻まれている。

一昨年、関東大震災を経験し、硫黄島へ行った祖父(この話は過去ログに書いているので割愛しますが)が亡くなり、日課で書いていた日記も(日記帳に毎日万年筆で記録をとっていましたし、ヨーロッパ、ロシア視察にいったときの記録も写真、日記も残っていると思うのですが、実家にいる人、私の父などはまったく関心がないようです・・・いずれ私が整理することになるのだろうか、と思うこともあります・・・・)

現在、終戦間際に新島に出征した義理父ーー、両親が船で中央区から三宅島の親戚のところへ避難する際に、民間船なのに爆撃を受けて亡くなっているーーー、今週から精密検査で入院するので、いろいろと思うことがあります。

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レーヴィの一説をここに。

「暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
家に帰れば
熱い食事と友人の顔がみられるきみたちよ。

これが人間か、考えてほしい。
泥にまみれて働き
平和を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死においやられるものが。
これが女か、考えてほしい。
髪は刈られ、名はなく
すべてを忘れ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷え切っているものが。

考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。

さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。」


(プリーモ・レーヴィ  Primo Levi ,SE QUESTO E' UN UOMO 1976)


アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書)アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書)
著者:プリーモ・レーヴィ
販売元:朝日新聞社出版局
(1980-01)
販売元:Amazon.co.jp





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レーヴィがこの記録を書いたのは私の生年でもある。

つまり祖父母の世代の考察なのだ。


レーヴィの著作で重要なことは、単なる回想録でもルポルタージュでもないことだと私自身は思っている。

------「遅かれ早かれ、人はすべて完全な幸福はありえない、と悟るものだ。しかし反対のこと、つまり完全な不幸もありえない、と考える人は少ない。だがこの二つの極限状態は、同じ原因のために、実在が不可能になっている。つまり、人間の生活には極端を嫌う要素があるのだ。」・・・

立派な態度で死を迎えられる人はわずかだ。それもしばしば予想もつかなかった人がそうだったりする。同じように、沈黙を守り、他人の沈黙を尊重できる人もわずかだ。」・・・

トラックが止まると大きな扉が現われ、そのうえにARBEIT MACHT FREI (労働は自由をもたらす)という標語が、あかあかと照らし出されて見えた。(私はいまだに、夢でこの光景に責めさいなまされている。)・・・

そこで私たちははじめて気がつく。この侮辱、この人間破壊を表現する言葉が、私たちの言葉にはないことを。一瞬のうちに、未来さえも見通せそうな直観の力で、現実があらわになった。私たちは地獄の底に落ちたのだ。これより下にはもういけない。これよりみじめな状態は存在しない。考えられないのだ。自分のものはもう何一つない。服や靴は奪われ、髪は刈られてしまった。話しかけても聞いてくれないし、耳を傾けても、私たちの言葉が分からないだろう。名前もとりあげられてしまう筈だ。・・・・

自分自身の運命を知ることは不可能だ。そしてここでは、どんな予想を立ててても、それは現実味のない恣意的なものになってしまう。だからもし理性的に考えるのなら、私たちはあきらめて、こうした自明の事実に身をゆだねるべきなのだろう。
だが自分自身の運命が危険にさらされている時、理性的になれる人はとてもすくない。(略)
だが悲観論者と楽観論者というこの二つの種族は、さほどはっきり分かれているわけではない。不可知論者が多いからではなく、大多数がものごとを簡単に忘れ、話の相手や状況に応じて、二つの極端な立場を揺れ動くからだ。」 

(プリーモ・レーヴィ あるイタリア人生存者の考察)

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レーヴィのこの本では、「外国人ならばすべて敵であって人間ではない」という感情を比較的容易に大多数の人間は抱きや易い・・・ナショナリズムと人間破壊は、現代であってもさまざまなところに私たちの日常の中にすら・・潜んでいることが多いことを見抜いたうえで書かれていることだ、と私は思っている。またレーヴィが収容されたラーゲル(強制収容所とその労働・人間性・個の喪失)はむしろ「社会の局限化」であって「正反対」の事柄ではないのだと指摘している。
また民主主義の時代にあっても言論の自由がかならずしも十分には機能していないことも質問に答える形で語っている。

プリーモ・レーヴィは語る―言葉・記憶・希望プリーモ・レーヴィは語る―言葉・記憶・希望
著者:プリーモ レーヴィ
販売元:青土社
(2002-03)
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・・・世代論を持ち出すのは人それぞれ・個人というものをカテゴリー化することなのでなるべくしたくはないのだが、それでも、人は環境や社会から影響を受けるものだしある程度影響を持っていると私は考えているので、世代間格差があることを私は基本的に肯定している立場である。
こういう前置きの上で、やはり感じるのは、両親の世代(実は夫も両親の世代とほぼ近い)や、バブル期の恩恵を知っている私よりもやや上の世代・・・・の基本的にこれらの過去のことは無関係である、自分はいずれ死ぬから自分の生命が終わるまでせめて楽しめればいい、という態度と無自覚な傲慢さには辟易して疲れ果ててしまうことがある。

同様に自分の子どもの世代にも何か通じないものを感じるし、それでも娘は私がこうした考えや蔵書や舞台などを見ているからまだ理解できるらしいのだが、・・・むしろ、2011年卒、2012年卒の人たちはおそらく自分の親世代のつけを払わされる可能性がとても高い・・・のではないだろうか。

言葉は不死のものであると私は思っている。
私ももし長くいきたいと思うならば、それはルチャーがいうように「できるだけ多くの本を読みたいし」という理由と、エウメネスのように「本を読み、得た知識を確かめる旅」ができればそれが私にとっての「自由」でもしそれが可能なときだけ「幸福」と言葉が当てはまるだろうと思う。だからよくいうように「幸せ」というのは状態のことではないのだ・・・と私は考えている。


プリーモ・レーヴィは化学者という職業のおかげ(あるいはせい)で生存者となり、その生に死者の責任を感じながら短編と記録、インタビューを残している。

そして、1987年に、かれはトリノの自宅から身を投げて生命を絶っている。

その理由も私には彼の著作を読んでいたり自分が考えていることと重なる部分が多く、不可解ではない。
むしろ理解できる。そして彼の言葉は、生きたものとして、語っている。

「書かれたもの」が、ディスクール・・・・のように響いてくるのだ。