ブログネタ
3連休、何をしますか? に参加中!

P1140647


<マニュエル・ルグリの新しき世界2> Bプログラム(於:ゆうぽうとホール 五反田)へ行ってきました。

前日にBプロに行かれたArt and The City の のえるさんから「すごく良かった、もう一度ルグリの「オネーギン」全幕を観ないと死ねない」という感想をお聞きしていましたが、本当にすばらしい公演でした。

ビフォア・ナイトフォール、モペイ、クリアチュア、チャイコフスキー・パ・ド・ドゥも良かったので、忘れないようにそれぞれ感想を。パトリック・ド・バナも良いと何回か公演にいかれてるRineさんから聞いていたのですが、バナもすばらしかったです。


”ビフォア・ナイトフォール” BEFORE NIGHTHALL,  
ニーナ・ポラコワ、ミハイル・ソスノフスキーと、東京バレエの3組のソリストによるオープニング。
ガラ公演でたとえば「白の組曲」などを上演する場合、ゲストのダンサーと、東京バレエのコール・ドなどがあまりにも雰囲気的に不一致になってしまうことが多い(と個人的にも思うし、よく話題になります・・・)のですが、演目としての一体感、表現、身体によって語られる意味と音楽に沿った動きで、ルグリの「オネーギン」やフィナーレのあとも印象にのこる作品・演目でした。宮本祐宣さん(先生)と高村順子さん、佐伯さん、吉川さんの踊りも丁寧で、内面性を感じられた。
フィナーレでも3組の東京バレエのソリストにはぜひ舞台に出て拍手を送りたかったです。


”モペイ” MOPEY,
来日を断念したダンサーのかわりにウィーン国立バレエ準ソリストの木本全優のソロ、これがすばらしかったので、私は思わずブラーヴォと言ってしまった。
初めてみる演目+初めて見るダンサーの木本さんですが、ルグリは本当にすばらしいダンサーと彼にあったソロの演目を私たちに紹介してくれたと思います。


”クリアチュア”CREATURE,

今回は抜粋の上演で、振り付けたパトリック・ド・バナ自身と上野水香による舞台。
バナの動きは精神性と音楽性の両方、動静の二つの要素をもっている。音楽と同化し、意味もそこから紡ぎ出される。そのバナと上野水香の踊りがあっていて、正直なところとても驚いたし、感動しました。水香さんの踊りは何度もみているのですが、実はいつもあまり印象がなくて....ところが動きと表現といい、良かった。
何か彼女はいままで形骸的な「美」のとらわれから抜け出たのだと感じました。

そのことを終演後に、Rineさんにちょっと話したら、「自分も最近の水香は何かを突き抜けた感じがする」といっていました。今回は抜粋上演とのことで、全幕上演も今後期待したい演目です。

”サイレント・クライ”

パトリック・ド・バナのソロ。
これほど身体と精神を表現できるダンサーは珍しい・・・つまり動きと内面性が釣り合っており、動と静の均衡があり迷いがない。

勝手な印象を抱いているのは承知しているが、私にはこの作品のバナは、聖ペテロのように見えた。受難を知りつつ受容し、それを途とする者の生死、静寂と嘆き。


”チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ”

よくガラ公演で上演されますが、はじめて感動した演目でした。
フリーデマン・フォーゲルのよさもすごくでていたし、バルボラも音楽的で丁寧な踊りで良かったです。
よくコンクールでも踊られるヴァリエーション部分も良かった。この演目は音楽的に丁寧に踊られるとほんとうによいヴァリエーションだと思いました。余談ながら、バルボラのヴァリエーションとコーダ部分をみていたとき、このヴァリエーションは娘に合いそうだな....と勝手に思ってましたが、終演後感想を娘と話していたときに、自分もそう思った、と言ってました。


”オネーギン” ONEGIN
以前、ルグリとモニク・ルディエールで観、全幕では、シュトゥットガルドバレエで、マリア・アイシュヴァルトがタチヤーナを演じたものを観て、どちらもいたく感激したのですが・・・今回もあまりにも素晴らしく、声もでないほどでした。ドラマ性、演劇性、音楽との一致、振り付けをあわせる難しさ・・・どれも一体化していて、むしろ舞台の時間のほうが本来的で、日常こそが虚構のように思えるほど。

P1140646


私見では「オネーギン」はオペラ作品のほうが先で、そのあとバレエも作られたような作品群「椿姫(このタイトルはヴェルディは用いていない)」や「カルメン」などの中で、唯一、バレエ作品のほうがオペラよりも秀逸で本質的といえるものではないでしょうか・・・
先にのえるさんの感想にも振れましたけれど、ぜひにウィーン国立バレエが来日公演する際には、ルグリとマリアアイシュヴァルトでの「オネーギン」全幕上演がされないものかと思ってしまいました。


そのほかの感想としては、見慣れたドンキのヴァリエーションや衣装がちょっとウィーン風だったのが印象的でした。音楽を使い切れてないのが気になりましたが、ポアントのアラベスクのとき、手がジャン・ボローニャのヘルメスのように指先が天をさしたポーズに似ていて、イタリア・ルネサンスを19世紀まで残響として継承していたウィーンだからなのかしら、などと思っていました。

「カノン」は以前も書いたように、初演時の振付家であるイリ・ブベニチェクとアレクサンドル・リアブコそしてマチュー・ガニオの3名での舞台をみていたし、「ドレスデンとブベニチェク兄弟」のときの舞台もみているので、その印象があまりにも強く・・・でもまた違って動的な「カノン」だったと思います。この演目はダンサーの持ち味や個性が出る分、動きのつなぎ目や音楽性といった芸術的に重要な部分がよく顕れる作品だと思うので、これからもいろんなダンサーで見てみたいとも感じました。

とにかく行ってよかった・観に行けてよかったの一言に尽きます。
そして公演自体が中止にならなかったこと、ルグリやバナに感謝したい気持ちになりました。
3月以来の疲労と混乱や、夏に入ってからの忙しさや日常的な慌ただしさが全面に出ていて、1日が長く、1週間がとても速いという状態です。

にこさんがいなくなり、仕事の忙しさと裏腹にかなり内面的に空白が生じていますが、それが満たされたように思いますし、自己の不在が、素晴らしいバレエ、作品を観たときにだけ本当の生として顕れてくるような感じでした。

P1140645


また追記できればと思います。
しかし、生で得た感動をあえて記述することは、書き留めることと同時に、自分がそのときに抱いた感激の一部であって、記述すればその得た歓びも自分の一部となっているだけにはがれおちていくように感じる。

しかし、記述しないでその瞬間から消えていき生成される芸術であるバレエと舞踏については書かずにはいられないものを常に感じるのも確かなこと。私は記憶や記録されずに消えていくものに対して、拘りがあってそれを無視できず、とおりすぎることはできない。

本当に書きたい感想を抱いたときに得る、感覚はそういったものだと、私個人は思っています。