L.D.ブレスウェイトはロゼッタ咲きのイングリッシュローズ.
周囲にはセージを植えています。新しい葉も出てきました。
またフェスの照明あわせがありました。
会場の見廻りを頼まれて、私は今回は見学していないのですが、その間にはフランス留学時のお話などを聞くことができました。芸術的なことを公的な場で行う意義についてもお話したりしました。
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追記になりますがフェス自体は、市内の施設使用が3月はできなくなり中止に。止むを得ませんが、練習していたことができなくなって(特にライモンダ)娘は残念そうでした。
地震後は、数日間自主的なレッスンの場としてスタジオを開放していただき、参加しました。自主練習中に、音をかけてくださったり、数日間の自主レッスン期間は藤沼先生が送ってくださり。またレッスンが再開してからも途中まで小林先生に見守って頂くなど感謝しています。
Bunkamuraからの今後の活動についてのアンケートを依頼され、回答しました。
私見では文化は虚栄や虚飾なのではないと思っています。
節電は当然のことと思います。しかしそれを各家庭や私的領域にどこまであてはめるべきなのでしょうか。
そもそも、「使い放題」の電気やエネルギーではないのですから、それなりに良識があれば無駄は省いているか、省こうとしているはずです。天然資源に限りがあることも。
家計や経営・運営はそういったことないように考えなければ成り立たないならないものではないでしょうか。
エコノミー(経済)の起源はそもそもは家政(拡大家族である「家」の経営)であったことが、忘却されていることが多いように。
過剰な自粛はさまざまなことの萎縮や閉鎖性をもたらしてしまう。
生きることには、何かしらの「飾り」の部分が必要ということです。「美的なもの」とはそれ自体、それなりの努力や知恵、認識がなければ成り立たないものだと、思います。
あくまで個人的な意見ですが。
用事があって都内へでることもありましたが、Bunkamuraや丸井は大幅に節電しながらも営業していました。しかしなかには、不必要と思われるような野外の照明・スポットライトも点灯したままなどの大型店・ファストフード店も多く....
何か「命令・罰則・強制遮断」がなければみずから節制できないのはいかがなものかと思うのですが・・・
一例にすぎませんがGAPなどはやはり節電しながら営業していましたが、H&Mは3月の時点で一斉に関東圏での営業を一切やめていました。もともと私はあまり好きなデザインではないので、購入したことはないのですが。
大規模に展開するだけしておいて、何か不都合があるとただちに撤退するというのが良いことなのかどうか?
フェスに関しては、ホールでの公演の代わりに、スタジオで発表の場を設けていただき、通してみる機会があったことが嬉しかったです。眠りの「幻影の場」や「花のワルツ」 「ライモンダ」とヴァリエーション。
オーロラのVa.は仲俣さん、オディールのVa.は小林先生、ライモンダのVa.は藤沼先生が踊られました
フェスは中止・延期になってしまいましたが、夏には発表会があります。
予定では、娘はライモンダのヴァリエーションをやることになっているようで、以前から観ていたキーロフのDVDなどを観なおしたりしています。ライモンダは平野先生が出演されます。
辰巳先生のレッスンでは毎回楽しい!という言葉をレッスン後に聴きます。
宮本先生のレッスンでは、フェッテを練習したと聴いています。
先生方にはご指導いただき感謝しています。
オールド・ローズのつぼみも膨らんできました。フリージアの花を頂いたので活け、フレームの絵もシルクスクリーンに変えました。
仕事、家事やそのほかの役割など必須のことがらをひとつひとつ終らせなくては、という日々です。
自分では精一杯なところがあるのですが、なぜか大丈夫そう、頼れると思われるのが実は一番悩むところかもしれません。例年通りにいかないことも多く、お返事、お礼などなど滞りがちなところも多々あり申し訳ありません。
それから、私としては自分なりの責任で記事を書いていますので、全くの匿名での固有名詞を含む否定的なコメントは受け付けられません。私としては、良い、支持したい、リスペクトすることについて、広告が介入しない情報として書き留めておきたいためでもあります。
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