IF YOU TOLERATE THIS YOUR CHILDREN WILL BE NEXT.
この内容をはたして「自分の子ども、血族、親族」だけを指すものとしてとらえるならば真意は理解されない。(よって日本ではほとんど影響をもっていないマニックスだが、ヨーロッパではその逆である)
マイケルの歌詞対訳は正しいとはいえない(と私は思っている)
Man in the mirror は 鏡の中の男、ではない。
それは映し出された自分自身のことであって、「自分自身から変わろう」ということなのだ。
「来たるべきもの」あるいは「より善きもの」は、希求されることによって、実践もまた問われるものである。
「中間」で「待っている」だけでは何も改善されない。
完成に至る過程は受身であったり「誰か」が何かしてくれることを期待することではなにも変わらない。
犠牲と知恵の忘却、自分さえよければ問題はなく、気分のよさや自己満足の「癒し」などとるにたらないものだ。
犠牲者・奉仕者を美化することで終ってもいけない。
それは問いとしてうけとめなければならない。「観たくない」という理由で蓋然的になってはいけない。
STAY BEAUTIFUL.
ニコラス・ジョーンズが、今なお用いるこの言葉は、在り方の問題を意味する。
他方、ある人、ある立場がこの世界と一言で言ったとき、すでに一方的・全体性の傾向を含むのかもしれない。
「良い」「正しい」と「思われ」たり、「信じられた」ときに、誤りはすでに生じていまいか。人為が為しうるもののうち、例えば98%が人知の領域ではないか。1%の遇有性、1%の完璧さ、または時間を超えた領域から見えるであろう結果。
これら、判断停止の領域が付け加えられることが必要なのではないか。
(ただしこれは、例えば諦観を示すものではない。)
全体性と無限―外部性についての試論 (ポリロゴス叢書)
著者:エマニュエル・レヴィナス
国文社(1989-03)
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