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写真は昨年5月のL.D.ブレスウェイト.
あまり本文とは関係ありませんが、育てた花にせよ、買った花にせよ、頂いたりする花にしても、私は枯れた花をゴミとして捨てることができないので、土に埋めもどすことにしています。
生命あるものを物としてみなすことができないがゆえに。


ヒュパティアは数学者の娘であり女性哲学者だった。
(私としてはこの呼称自体、ある種の偏見があると思うのだが)
アレクサンドリアの新プラトン学派の学校長になり、ストア派、アリストテレス哲学、所有物軽視について論じた。

しかし反ユダヤ民族主義的な大虐殺が当時おこり、ヒュパティアはその友好関係のために最悪の事態に遭遇した。
ユダヤ人でなかったのだが私用で馬車に乗っているときに、捕らえられて激高した信者の群れによって引き裂かれ,40歳で死亡した。
民衆の言い分は、彼女が「真の女性らしい」行動をしなかった、つまり男性の地位に就き公の学校で教育したと弾劾したのもその理由だった。

今日とて同じような理由で学問自体が禁じられる場合はいくらでもある。
「そのようなことはない」というのはそれが露見しないだけであり、事実として語られないからである。

学問が禁じられたり、公的な役割を果たすよりはいわゆる「内助の功」のような役割をすることが「美徳」とされる。
また、多くの場合は「そんな必要もなく、金銭と時間の無駄だ」と言われる。また「女性」であるというアイデンティティが非常に強い人(つまり個人の自覚よりも「妻」「女性」「母親」といった役割と存在事由が同一で疑うこともない人)からは、それ以上の感情的な理由によって、ほぼつるし上げのような状態が起こる。

ボエティウスは、東ゴート族の王と良好な関係をむすぶことで異例の出世をした。しかし突然万事が悪くなった、親ゴート族のキュプリアスという卑劣な人間が中傷をもってボエティウスを告発し、弁明したが捕らえられ、有罪となった。プラトン、アリストテレスをラテン語に翻訳しようとした最初の人だった。パヴィアの塔に監禁されている間に『哲学の慰め』を書いた。ほぼ死ぬ直前のことであって、・・・北方・ゴート族の刑罰は18世紀になってもひどいものがあるので(これをよく調べるようになると、よく問題になるカトリックの火刑はまだましだったのではないか、それゆえに何の罪もない人を火刑にしたフランス王シャルルが「善人」といわれているナンセンスなことがらも、多少は説明できるように考えられる。私見に過ぎないのだが、この刑罰が「見せしめ」であると同時に「尊厳」は「記録」されるからではないだろうか。刑死、暴力死は現在でも残っているが、これが隠蔽されることの問題はあまり問われていない。そして、この制度が存在しても、暴力自体(言葉の暴力も含む)はなくならないのである。応報はどのように断ち切るべきなのか。)


私が理解できないのは、嫉妬、羨望、および嘘を言うこと、また一方的に自分の都合を押し付けてくることに無自覚なこと。

私自身は偉大なもの、驚嘆することがら、人物などに対して称賛とか自らの在り方を問うことや改善したいという気持ちが興るのであって、それをねたましく思うとか、非難するという感情自体が理解できない。


常に万事がだめになるとき、権力と権威に関わるものがこうした言動に出ることによってその後よりすべての状況はより悪くなることがある。
忘却、暴虐、理不尽といったことが蔓延する、と思うことがある。

恐ろしいのは、かつて自らが否定し抗ったはずのものに、いつのまにか気がつかないうちに同じ過ちをしていることである。
真の自己認識を行うのは難しい。

だが、自分自身の内に、自我の分裂がおきている場合、主観と客観が真に別のものとして「純粋に」在ることができるのか?

純粋理性とすべてをできるだけ精緻に記述する方法をもって、また見たものを、常に質料、形相、作用因、・・・・可能態、現実態といったように分析的に日常ですらみていると、ほぼ感覚でとらえたとおりには、「現象」しなくなる。

「在るもの」とは実のところ感覚しえない、「存在する」以前のものをとらえることであり、・・・なぜかイタリアやトルコの人と話すときにはこうした了解が、在るためか、意思疎通にそれほど苦労することはない、のだが...

国内にいてそれがうまくいかない場合には、なぜか(私には理解できないのだが)、相手よりも自分が「上」であるという立場を保たないといけないという意識が強い場合には、まったくコンタクトがとれない場合も・・・生じる。閉じた言語の用い方がなされているからなのかどうか。

読むこと、および理解することは、自分に留まっている状態ではけして理解できない。

それはおそらく、現在の自分が在る場から「動く」ことによって初めて生じてくる、「開かれ」−了解の地平なのだ。

観ようとしなければ、何も見えてはいないし、知ろうとしなければ、正しく知る事もできない。

タイトルに書いたことは、ほぼ1日に5回以上は自問する事柄である。

その理由は、私自身は次のようなことがらを求めてはいないからである。
即ち「真なるものよりも、自らが傷つかないこと、気分よくくらすこと、「癒し」や「救い」を「待っていること」を望むこと、絶対に自分が正しいという立場から他を非難してばかりいるといった状態」こうしたことを望んではいない。

しかしながら、それを望むことが大多数の場合、「不在」であること、「不在化すること」が望まれるからである。

私としては、なすべきことをできる限り形にしたいと思っているし、理解するべきことを理解したいと思っているのだが、それを無意味であるとかほかさまざまな理由によってやめるように、具体的には父親から「死ぬように」昨年の夏以降言われつづけているという状況がある。今に始まったことではないのだが・・・
また普段仕事の関係で遭遇する事柄としては、能力も学力も十分であるのに、親の価値観から進学できないという人が未だにいるからなのだ。
(そして実際のところそれは貧困のせいではない、親の欲望が強く限度がないことが理由であったりもする。または最初から蓋然的になり、主観的に「その必要はない」と決め付けてしまう。)

またやはり同様に、父親の無責任さによって努力が無駄になるということがらはいくらでもある。家父長制はうまくいけばいいのだろうが、必ずしもそうではない、ということなのだが、今現在であっても個人が学んだり、探究するためにはその権利はそれほどは保障されていない。


これは憶測ではなく、経験上のことがらである。


タイトルは実のところ私の心境でもある。大抵の人は10代のころや子ども時代楽しい記憶があるのかもしれないが、私の場合はそうではない。
(拡大家族や古い家に育った人ならそうかもしれないのだが。よって私としては「まだ若いのだから」と言われるのが苦痛である。ボエティウスが夢にみた哲学の寓意、老婆に姿のほうも成り代わってもらいたいものだ、とさえ思う。)

ところでこのタイトル「生きるべきか、死ぬべきか」という台詞にしろ、シェイクスピアの37の戯曲にしろ、哲学なしには成り立たないといわれており、古い仮説が存在する。
「シェイクスピアはフランシス・ベーコンか」というもので16世紀末、17世紀初頭と時代は重なっている。
(同一人物というよりは、当時の英国では何かしら間接的な影響力が作用したと考えるべきかもしれない。ただ、直接的に関与するには階級の問題が壁になっていたかもしれない。北方のパトロネージは間接的であり個人的な友愛・庇護によるものではないことが多いから、ではないだろうか。)

そして自問してみるのだが、私も同じような憶測に頼りすぎていないだろうか?ある作品とある思想の類似を過度に結びつけようとしていまいか。

常に自己認識に注意をすることが重要であるという考える次第。