Bunkamuraで2月17日まで開催されているモネとジヴェルニーの画家たち 副題は、The Beginning of American Impressionism アメリカ印象主義の始まり・・ということで、最初のセクションではアメリカからフランスに向かった画家たちの作品が多い。
第一章 周辺の風景 緑と盆地、水の流れを描いている作品が多い。水の透明感をどのように色彩で表わしているのかというところが興味深かった。とはいえ、作品を眺めていくうちに思ったのは、むしろ第一印象は、「山梨県の甲府周辺と類似する風景」
・・・山梨側から見える山のある光景や空の色、光は、どこかセザンヌ的でもあると思うことがよくあります。
ということは、自然を規範にして、人為的なもの(町並み、家、田園)なども作ればなにもヨーロッパやフランスだけが特別な景観をもつということでもないであろう、ということです。長野県の安曇野などは、トスカーナからローマへ向かうときにみられる美しい風景が多くのこっていると思うけれども。

個人的にもっとも興味深かった画家は、ジョン・レスリー・ブリックの<<積みわらの習作 秋の日1-12>>でした。第三章のにまとめて展示がある。印象主義は、光学理論を芸術で行うことを目的としていた。観察し、画家がみた「印象」インプレッションを精緻なタッチで描いている。光が多色分解され、緑は緑、空は青といった先入観による色彩ではなく、再構成された画面。筆の筆跡がほとんどなく、印象派にありがちな感性主義のような荒さもみあたらない。デッサンもしっかりしている。
<<秋(新月)、ジヴェルニー>>も良かった。
しいていえば、あくまで客観的に自然をとらえつつ、その美しさを主観がとらえた印象として、描いている。そこに時間や画家の目線を感じる作品だった。例えは正しいかわからないが、風景画におけるハンマースホイ作品のような静謐さがある。

丁度、ドイツ語圏のナチュラリズム(自然主義)や新即主義などの文化をやらねばならないときに、心身ともに日光不足になり、図書館にいく途中に立ち寄りました。

しかし気になったのは、会場で「やっとモネね」と言っている人の多いこと。絵画作品そのものよりも「名前」のほうが重要なのでしょうか。

「有名だから見る価値がある」とか「有名だから観に行く」ということを否定はしませんが、それでは作品に出遭うことも、その作品から心動かされるということもないのでは・・・ それは鑑賞というよりも見物に近いのでは、と思うことがあります。
自分で価値を見出すことが、作品に対する敬意なのではないかと思うのです。ところで、モネに関して言えば私はモネの睡蓮を眺めるのが極度にすき、という人が家族にいるので、正直そこまでのめりこめません...。
睡蓮をながめているうちに、自分の精神状態と対話しはじめているのか、前をさえぎるのもこわいくらい・・・ に感じることがある。

フランス文学を学んでいた際のテーマが印象主義と象徴主義だったからかもしれませんし、ベルクソン思想がすきなのもありますが・・・

とはいえ、オルセーの睡蓮の連作がある部屋はすばらしいそうですね。
モネ展は、ramaramaのyukiさん、Heyselさん(UK-JAPAN2008以来の美術関係)と都合があえばご一緒したいですねといっていたものの。
みなさんそれぞれが忙しくそれはかないませんでしたが、昨年秋から気になっていた展示なので、急ぎ足ながら行くことができて良かったと思います。後日記入ですが、感想としてUPします。