dead can dance の”CANTARA”

初めて聞いたときはおそらく10代半ばくらいのときなのだが、今改めて見るとLisa Gerrardが語る場面とCantaraを歌うときの対比もとても興味深い。
CD(Toward the Within)は10年以上前から持っています。なかなか最近は家の中で音楽を聴くという時間もなく...しかし移動時に聴くという類のものでもなく、移動時は大抵資料を読んでいるので、久々に耳にしました。

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写真はカルミネ聖堂中庭。
マザッチオ/マゾリーノのフレスコがあるサンタ・マリア・デル・カルミネ教会でのフレスコ画解説の映像でも、このDEAD CAN DANCEが「再生」した14世紀の音楽(サルタレロ)は用いられていました。数ヶ国語のイヤホンを貸してもらえるので英語で解説を聞けます。


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カルミネの中庭に面したブックショップで購入したガイドブック。

マザッチオが活躍した時代は1401-1428年。27歳でなくなる。
私が昨年カルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂にいったときは、他に誰もおらず、そのフレスコ画の鮮やかさに驚いた。フレスコは7-8時間で書き上げなければならない。何度も絵の具を塗り重ねられる油彩とはまったく異なる。
(彼がローマへ行った際に毒殺されたともいわれており27歳で亡くなった。才能に嫉妬され、ライバルに毒殺されたともいわれている。現にこの時代、ヨーロッパの歴史は毒殺と暗殺が華やかにみえる文化の裏には多い。しかもそれは方法が変わっただけで、いまだに現代でもあるのではないか。(ヨーロッパ内ということではなく)と思うことも多い...遇有性や運命といった名前のもとに、実は人為的な毒殺や暗殺が多かったのではないか。)

カルミネ聖堂の絵画はマザッチオとマゾリーノ、フィリピーノ・リッピによって描かれたとされる。東方からやってきたビザンツ・ギリシア人が描かれていてそれは衣服でわかる。ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画にもこうした東方から来た人々が描かれている。東方的なものが多く含まれているのがこの時代の一つの特色。DEAD CAN DANCEの音楽も中世-近世初期の音楽と環地中海的なものが含まれている。




1439年が東西教会統一の年であって、しかしそこからこの都市(フィレンツェ)は都市の指導者のいわば「スローガン」のようなものが数度にわたって極度に変遷する...(その変化と展開、他の地域での受容に関心があるという理由もある)先日も4ADについて書いたが、DEAD CAN DANCEは15歳くらいのときから聴いており、去年フィレンツェでこの音楽を聴いてやはり何かが共通している。欠乏を意識するのもそのためかもしれない。ルネサンス期は星は「生き物」として考えられていたらしいのだが、こうした音楽にもそういった世界観は反映しているようにも思う。

ともあれ今は、この前後からどのように「古代ギリシア」が受容されたのかということを問題にしているところもあります。

ドイツ語圏とドイツ語による作品、基本的なドイツ語を復習していたときは系統づけたり、年号を暗記したり苦労したものだが、イタリアーフランス関連に関してはあまり苦労しない、というか苦なく記憶しているのが不思議... そして疑問に思ったのは、多神教か一神教かとうことよりも、宗教や因習として問題なのは「排他的な多神教」なのではないだろうか。何か悪いことがあると「他」に転嫁する心性なのではないか。
反対によいことがあったとき「他」=「恩寵」だと感じる心性と異なるのはこの点ではないだろうか、と思うことがある。
そしてこうした心性は実のところ今日でもあまり変化していないのではなだろうか、と感じることもある。