物語中世哲学史 アウグスティヌスからオッカムまで
ルチャーノ・デ・クレシェンツォ
而立書房
2003-11-25


261 私たちはひどく思いあがっているため、みんなから認められたがるし、もし誰かが私たちを認めなければ、立腹するのである。

299 人間は概してひどく狂っているから、狂っていないということは、別の種類の狂気にかかっていることを意味するだろう。

134 多くの人びとは迷信から信じており、多くのひとびとは放蕩から信じないし、最後に少数の人はそれらの中間で待っている。

・・・

姉ジルベルト・ペリエによればパスカルは12歳のときに最初の論文をかいた。彼の教育はすべて父から得たものだったが、父親は才能に気がつくと、ラテン語や語学といった職業のための学問より数学に熱中することをおそれて数学と幾何学の学習を禁じたほどだった。しかし、パスカルは一人で(父には内緒で)ユークリッド幾何学の命題32まで解き明かしてしまったといわれる。19才のときに最初のコンピューターを考案した。考案するのは容易だったが、これ(パスカリーヌ)を作るさいに職人たちに理解させるために2年が費やされ、健康をますます害してしまったといわれる。
(思考することや考案することよりも、理解を得ること、<かたち>にすることのほうが困難であることが多いが)

彼は名声や金銭を得ることには関心はなかった。「真空論」は断片しか残っていない。 

「パンセ」はブレーズ・パスカルの死後に、友人たちがまとめて出版したもの。たいてい、「人間は考える葦である」というかなり切り取られた文によって説明されている。だが、これではルソーが「自然に帰れ」といったと誤読・曲解され、内容を理解せずに、あたかもキャッチフレーズ化するように聞き流すようなものだ。

377 「人間は1本の葦である。自然界に存在するうちでもっとも脆弱な生き物である。しかしそれは考える葦である。宇宙が彼を押しつぶすためには、そう骨折るには及ぶまい。水滴だけで十分だ。けれども、たとえ彼を殺しても、最良のものでありつづけるだろう。それというのも、これは死ぬべきことを知っている葦であるが、他の葦はそのことを知らないからである。」

40歳に満たないときに、亡くなった。

パンセ〈1〉 (中公クラシックス)パンセ〈1〉 (中公クラシックス)
著者:パスカル
中央公論新社(2001-09)









・・・今日では、「死の必然性」についてどれほどの人が自覚するだろうか。余命宣告されたらその意味を問いはじめるとか、あるいは逆に叶えられないであろう欲望についてさらに思いを募らせ問うこともないこともあるように思える。

生涯の軌跡 (メナール版 パスカル全集)
著者:B. パスカル
白水社(1994-06)

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物語 近代哲学史―クサヌスからガリレイまで
ルチャーノ デ・クレシェンツォ
而立書房
2004-0

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