なぜかNHKを含め・・・どうも三菱賛美的なながれになっていないだろうか? 私の思い違いならよいのだが、不景気(実態のない言葉だ)を解消するためには、国防=重工業あるいは武器売買で利益をえるしかない、とある層は考えているのではないか・・・ということである。一般に高度成長といわれる時期も、実際には朝鮮戦争と同時期なのであるし、経済危機を解消するためには戦争をもちだすというのはすでにアメリカの常套的手段だからである。また容易に国益などと口にする人も多いが、私有財産(家も含め)は戦争状態なれば個人の所有権というのはほとんど無に近くなる可能性が大きいということだ。要するに何が重要かといえば、自分と自分の周囲に不満(とくに物質的不満)があっても容易にナショナリスティックな気分に巻き込まれないようにしないと、最低限のものも失う可能性のほうが高いということです。

(この放送局はますます広告的な番組を流しているのが気になるが。テレビは朝時間を確認するためくらいにしかみないのだが、それでもなぜ「役立つ生活グッズ・トレンド」を放送するのかわからない、というよりも、紹介する場面で登場する「東京都の主婦○○さん」がどういう過程で選ばれているのかのほうが不思議なのだが・・・それに紹介されるものもどこも便利でないと思う・・・「面倒」「手間の回避」が私の場合はあまり重要ではないからかもしれないが。手、脚、頭を使わなくなったら人間は退化する・・・。)NHK教育テレビの非教育的内容もさらに悪化しているように思われる。例としてピタゴラスイッチなど・・・。しかも多くの人はあまり疑問に思わないらしい。子どもや教育を重視するということは、子どもを無条件にあまやかしたりあるべき秩序を無視して好き勝手するということとは全くことなるということです。私は個人を尊重する立場は大切だとおもうが、だからといって、基本的な秩序は守られるべきで、これは基本的なことです。どうでもいいことかもしれないが、「お父さんスイッチ」にも違和感を覚えたものだが、何年かぶりにちらりとこの番組を見ると「おじいさんスイッチ」まで無害なそぶりで番組であつかわれていた。こういう無秩序を自由と誤解すると、学ぶべきものも学べず、大切なこともまったく聞き逃し理解できない子どもが増えるだろう。理解すべきこと、という意味を理解しなければその先の学習はほぼ望めないからだ)

付言しておくと、受信料は払っています。払うのがルールというのなら、私はルールは守るべきだと思っています。(朝の連続ドラマや相撲中継をかかさず見るという人のほうが「見てないから払わない」という行動をとっているケースも多いように思います、周囲をみると・・・・)
どうでもいいことかもしれませんが、地デジ対策はしていません。そもそもテレビを観る時間などほぼ皆無なのです。時間的拘束と連続性、受動的な情報取得、繰り返される映像、乏しい情報量、あまり参考にならず専門的でもない「専門家のコメント」・・・どれもあまりあてにならないし、その時間を費やすのは無駄という実感がある。
そもそもなぜ、テレビがありそれを観ることが生活全般の前提になっているのだろうか。(1960年以降の現象にもかかわらず)
観たい人はみればよいが、かならずしも観なければならないものではないだろう。

また、常識のウソ、ということにもうすこし気が付くべきではないだろうか。