アウグスティヌスとトマス・アクィナスアウグスティヌスとトマス・アクィナス
著者:エティエンヌ・ジルソン
みすず書房(1998-06-02)
販売元:Amazon.co.jp



物語 中世哲学史―アウグスティヌスからオッカムまで
物語 中世哲学史―アウグスティヌスからオッカムまで
著者:ルチャーノ・デ クレシェンツォ
而立書房(2003-11)
販売元:Amazon.co.jp






『物語中世哲学史』で興味深い項目は以前書いたフランチェスコも入るのだが、ほかにもアルベルトゥス・マグヌスとトマス・アクイナスの項が面白い、というよりもこのあたりの時代の理解が乏しい(と自覚している)私にとっては参考になる・・・多少なりとも、当時どういうありようだったか、ということ抜きにはその思想を理解する(プラトンのいう[心とともに行く])ことは難しいのである・・・つまりどういう状況のもとに生じてきたのか、またそれがどう受容されたのか、またその人から派生した「ことば」自体がどういうことであるのか−−。

ルチャーはこう記している。
「アルベルトゥスとトマスの連結は、13世紀哲学の目印となった。実際当時より以前には、弟子のために地ならししたこれほど有能な師匠はかつてなかったのである。バレーボールの表現を持ちいれたければ、アルベルトゥスが球を投げたのは、トマスがこれをスパイクするためだった、といえるかもしれない。」(p.171)

アルベルトゥスとトマスの連携をこうした表現におきかえてしまうのがルチャーの持ち味なのだが、−−−ことはディオゲネスの列伝やヴァザーリの列伝にも同じような味わいがあるし、こうした逸話は興味深い。なお、トマスは「だんまり牛」という呼び名で呼ばれていたそうであり・・・アルベルトゥスはいつかトマスが大声で何か言うだろうとしたのだが、これも当ったのだった。スコラ哲学の代名詞のようにだけ説明されている文を読むだけでは顧みられないものがある。

ともかく、私見ではこのスパイクは、成功したようにもみえながら、その後多数の判定、意見を巻き起こしたのではないだろうか。
ちなみに、アルベルトゥスの思想はたとえば、フラ・アンジェリコなどの絵画などにも影響を与えているといわれている。

すぐれた弟子、すぐれた師、すぐれた同胞、すぐれた敵(アルベルトゥスの場合はタンピエ)があることは充実の微表、条件なのかもしれない。


そして著述家が読者であり、読者が著述家であるような状態がベターなのであって、著述する人と読者が断絶しているような状況ではなにもうまれない。今日では著述した人の死後にようやく、読者が生まれてくるという状況もあり、・・・FOREVER DELAYED という言葉を思い出してしまう。