このライブは私も会場にいました。映像があるんですね...どこか奇妙な気持ちにもなります。ともあれ、レディオヘッドが初来日したときのことはよく覚えています。忘れられないものがあります。
ライブのあとに川崎駅へ向かっていると、なんとメンバーがいたのです。トム・e・ヨークとジョン・グリーンウッドがいて、短いながら感想などを伝え、サインしてもらいました。・・・とその当時はそのくらい近いアーティストだったし、実に物静かで思慮ぶかい人たちで、英語で会話しなくてはならないときの緊張のようなものがまったく必要ないようなところが印象深いものがありました。

その次の来日公演のときには東京国際フォーラムになってしまい、客席とステージが「売れる」ことによって随分と離れていくものだな、と実感したものです。こういう実感はアーティスト側はより感じるのかもしれません・・

キラー・カーズはアコースティック・バージョンも好きな曲です。
当時トム・e・ヨークがノーム・チョムスキーの本と多読していていつもインタビューでそのことを口にしていた。そして当時はよく新宿の紀伊国屋へ行ったりもしたのだが、くまなくチョムスキーの本を探してみても、言語学関係本であって、一体彼は何の著作を読んでいるのか、と疑問だった、という記憶がある。最近になってもチョムスキーの本で社会問題的なものに関してはは和訳はなく、9.11なども英語版で読んだ記憶があるのだが、・・・日本ではなぜかこうした作品は出版されないことが多いように思う。それは知もまた管理されているからなのだろうか?
そして私がプロティノスを読んでいたころに、またトム・ヨークはグノーシス思想などについて語りだし、さらにこの影響のもとに作られたKID-Aやピラミッドソングなどに関しては、ほとんどの音楽ライターにはもう何も語れなかったのを覚えている。
おそらく、多くのひとにとって音楽は快に属しているのだが、実際上、サブカルチャー、カウンターカルチャーの音楽はそういう性質ではないのであって・・・もっと構造的なものに根ざしている。

私にとっての多くのアーティストはテキストー文章における契機でもあったことが何度もあり、美術がまたそのきっかけになることもあり、また言葉が絵画や建築および舞踏などのインスピレーションになることがある。より分断化された現代であっても、在り方は共通するものがある。