SBSH00681

















アルブレヒト・デューラーは北方ルネサンスの画家・版画家。今回は「キリストの受難」の版画および銅版画が多く展示されている。メルボルン国立美術館からの連作作品が充実している。
<三日月上の聖母><マギの礼拝(三王礼拝)>など今まであまり展示されなかった作品が目を引く。遠近法の完全な空間。奥行き、モノクロームであるのに、明暗と中間色の緻密な表現。・・・繊細というよりも緻密な作品といったほうがよいだろう。図録もあるがこの細かさはまったく印刷では再現できない。特に銅版画は目にしなければわかならない。
<聖ヒエロニムス><メレンコリアⅠ>など国立西洋が所蔵している作品も展示さえている。聖ヒエロニムスの窓ガラスとその光が差し込むさま、陰影がすばらしい。

SBSH00601

デューラーに関しては、数年前の東京大学公開講座での講座も印象にのこっている。絵画にはっきりと、帰属、要するに自分の作品であると明記しはじめたことはデューラー作品の特徴。どの作品もマークが入っている(ときとして、邪魔に感じるものもあるが・・・・)
他方、絵画の三巨匠ら、ジォット、マザッチョなどは、作品の価値は内在されておりあえてサインなどしないというスタンスをとっていたことをも忘れてはなるまい・・・と思う。ドナテッロも自らの作品に「ドナテッロ作」と刻んだのは一つだけである。
そして北方ルネサンスに対して、はたして”ルネサンス”とつけてよいものか?・・・作品のいくつかは写実性が強すぎるので、池上俊一氏が「ルネサンス再考」で述べているあのコメント、「あんな北方の・・・」という言葉が何度も頭をよぎってしまった・・・つまりイデアールを含むかいなか、自然が善に根ざしているのか、否かという問題がそこにある。ナチュラリズムとはイデアールを含むものである。
こうしたことは、何にでも「ルネサンス」とつけたがる日本ではあまり気にしなくてもよいのかもしれないが。例えば、「医療ルネッサンス」などという言葉はもはや何を指しているのかまったく不明であるのに用いられている。ルネサンスはフランス語であり、リナシタは「再生」(古典古代・ローマおよびギリシア古典期)を意味する。ただ、実際のところ、ある時点までは古代ペルシアまでを含んでいた、と思われるのだが。
地階にはロッテルダムのエラスムスの肖像画も展示されている。またマクシミリアン一世の凱旋門の大型版画も展示されている。当時フランスなどでも凱旋は版画で広く知らせる意味があった。マクシミリアンの凱旋は実際には行われなかったために、ここまで大規模な作品を必要としたのだろうか?神聖ローマ帝国に興味がある方には特にお薦めしたいです。
ただ私はどうも神聖ローマ帝国がローマの後裔であるとはみなせないのですけれども・・・名前と中身が違いすぎるようにいつも思ってしまうのです。(余計なことかもしれませんが。)

フォルトゥナ(小)も小さい作品ながら良かった。それからイタリア絵画では持物の車輪で現されることの多い<聖カタリナの殉教>が良かった。カタリナの逸話の衝撃的な面がよく現されている。

聖母像がこうしてみると、北と南ではそれぞれの宗教との融合がみられる。南では、イシスが原型であり、デューラーでは、クレッセントが融合している。ひとことで宗教画といっても、じつのところ図像や多様であるし、主題がどのように展開されているか、というのは見比べていくと実に興味深い。ここのところ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品について知る機会があるせいか、<キリストの鞭打ち>という主題がピエロとデューラーではどれほど異なって表現・展開されているか!

図録では「メレンコリア」の解説に「医師フィチーノ」とあったけれども、マルシリオ・フィチーノははじめ医学をフィレンツェ大学で学んだあと哲学、プラトン主義としてカレッジでアカデミア・プラトニカを主宰するのだから、このあたりは少々説明不足の観があった。あくまで私の立場では、ということですが・・・私観では、メランコリアは四大気質、幾何学、時間の有限さ、土星の象徴などが図像化されている。有翼の女性像と解釈があるけれども実際「女性」かどうかも断定できない。実のところこうしたテーマはフィレンツェ絵画よりもデューラーのほうが図像として現されているのかもしれない。・・・・

SBSH00671


この展示についてははやくから知っていて、期待していた展示のひとつ。小倉に赴任中のHさんにもチラシをお送りしたところ、都内へ戻る機会があったときに行かれ、実に良かった、とお便りをいただきまして、私も都合をつけて身にいかねば、と脚をはこびました。この展示は、巡回展のない国立西洋単独の企画展です。観に行ってから感想を書くまで日にちが経過してしまいました。

上野は乗り換え駅としても使うことがあるので、立ち寄るのは他の地区よりは容易なのですが、いかんせん、時間がなく。しかし観にいけてよかったです。大規模な展示作品もあるので、ぜひ脚を運んでもらいたい充実した展示です。もう一度行きたいくらい、でもあります。今回図録以外はつくられておらず、しかしブックショップには絵葉書セットのみ販売されています。本当は一筆線や版画複製画などがほしかったのですが・・・。

ゼフュロス(国立西洋)の表紙に用いられている作品でチラシを作ったほうがよかったのでは・・・と思い掲載しました。
*図録には<マクシミリアン1世凱旋門>のポスターが入っています。

(ゴシック絵画では絵画は文字を読めない人のために描かれたものだったが、ルネサンスでは文字がよめる人たちが求めた主題であることが多い。対してデユーラーはルネサンスの技法が前者の役割をもって描かれ、聖書に忠実な表現として用いられているところが・・・宗教改革との直接の結びつきに関わるのかもしれない。宗教改革ではもはや普遍や存在論は問題にならない面がある・・・。この問題がむしろ復興するのは、カントのプロテスタンティズムとストア派思想の融合まで待たねばならない・・・のではないか、と思うことがある。)