八重のハマナスのつぼみとローズマリーの花。

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「美しいものを観る時、われわれは世界の根源が善であることを覚り、その光に打たれる。(略)この世界に常住つきまとう遇有性の不安、日常生起する凡ゆる災厄や不幸、さらに人間の悪意や闘争にも拘らず、この世界が根本的には善いものであると覚るためには、われわれは美体験による他にはないのかもしれない。
なぜこの花が私に美しいのか?
花粉を媒介すべき蜂に対して、花が何らか好ましい信号を発するのは自然であろう。しかし花の生命と何ら関わりのない私の魂と、この花の照応はいかなる理由によるのか。」
(プロクロスの思想 熊田陽一郎)


おそらく、私たちが花の顔貌をみたとき、そこに<自然>をみるとき、根源的な秩序が善に根ざしていることを感覚によって知りえる。それが「美」である。そしてその美も善によって超えられていく。美は契機としての善である。感覚のうち光と美によって、正しさ、秩序が認知されるのであり、その一性を有した造形、言語、音楽、舞踏などが人間によって創造されるものとしての意味を有している。
そしてそれは、事物の認識、観察、思考、作業と手順によって可能になるのではないだろうか。
プロタゴラスのいうような「万物の尺度は人間である」というような、今日のどこまでも個人利己主義のような価値観とは別の視座は水脈として保たれている。問題はどこでそれに気がつくかということであり、これは強制はできない。個々が思うところに分断される価値とは異なる基準はここにある。


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