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最近また、ギデンズの「持続可能な世界」について、および「暴走する世界」を読んでいました。また、ジェンダーに関しては、コンネルのヘゲモニー的男性性と教育、メディアと一般意識のかかわりなどを読んでいました。

今年はロイヤル・オペラ、ロイヤル・バレエの来日公演があります。
ゲオルギゥーも来日します。メディアでは、吉田都さんが多く語られますが、アリーナ・コジョカルが本当にすばらしい。アルティナイ・Mにも少しタイプが似ているような気もします。NBSからロイヤル管弦楽の案内も来ました。

最近また、公共性 パブリシティということについて問われる機会がふえています。publicの語源が英国のpubであったこと、つまり誰でもアクセス可能で、即時性と持続性のある場所、空間、媒体・・・そういったもののを再考することが重要視されていますし、私自身も日常的に考えることが多い。公共性について、もっとも手軽に読めるものとしてはやはり斉藤純一氏の「公共性」(岩波)がどの人にとっても関わる問題を扱っていると思う。

共有できる空間と、プライベートな空間、どちがも近代以降の世界システムの中では、人に不可欠なものだが、そのどちらも充足には程遠い。
物質的な不足よりもそういった、何か、つまりその人が存立できるものと排除しない空間をどのようにシステムとして造ることができるのだろうか?またそれを維持するためにはより、困難が生じる。私性は取り去ることができないし、取り去るべきでもない、私と他の共存や共生はどのように可能だろうか? それを共有できるための価値観や世界観にある一定の方向付けは必要ではないだろうか? 
機能主義の欠陥は誰もが気がついている。科学主義の誤りもすでに気づかれている、がしかし、なぜか、マスメディアや保護管理機能のつよい学校教育は、個人の力をないものとみなし、自分の場所でじっとしていることを強要する。これらはイリイチによれば「隠されたカリキュラム」である。
教科書や正規のカリキュラムにはない、意識形成はまだ日本ではほとんど一般的に議論されてはいない。

ところで、渋谷オーチャード・ホールで今月行われる、ベジャールの「カブキ」(東京バレエ)公演に行くことにしました。もともと行きたかった公演ですが、なかなか日程がわからずチケットをとれずにいたのです。