「今日、一部の論者は、民主制の国々の市民が無気力(アパシー)に陥り、政治過程に対する関心を失いだしたことを嘆いている。」(A.ギデンズ 「社会学」)

いかなるときも、現存の政府がどのように落胆させられるものであれ、私たち(有権者・学生も含む)が政治や社会全体に無関心になることの理由にはならない。そういった風潮はますます悪循環を生まれさせる。

そして、なぜ政策が何も実施されていないのに、圧倒的な支持は圧倒的な不支持に変化するのだろうか?
P.ブルデューはマスメディア、特にTVやインターネットにおける「アナウンス効果」を指摘している。つまり、どの政策も「実行」された時点ではなく、「アナウンス・ニュースで報じられたとたんに」あたかも実行されたような感覚に人々が容易に陥りやすく、また、通常の「知る」という行為がよほど能動的に、自ら脚を運んだり自分の目で確かめたりする以外はすべて「マスメディア」によって報じられた情報に依拠しているという近現代の構造がある。
世論調査のパーセンテージは、何を意味するのだろうか?
世論調査を直接うけたことがある、という人に私は出遭ったことがない。
ブルデューは、世論調査を発注する側と記事・情報として掲載発信する側は同じであると指摘する。人はあたかも、自分では判断できないような事柄や、物事に対して・・・多数の人の判断を由とする傾向がある。受容的な態度でいれば、それだけ、影響をうけやすくなる。

・・・例えば、少なくとも英国では市民とは、「共通の権利と義務を保有し、自分たちが国民社会の構成要素であることを認識している」のだろうが、果たして日本の場合はどうだろうか? 私が私たちに人称が変わるときにはじめて共同体としての認識は生まれる。私たち、には他者排除的な、ナショナリズムや民族主義的な感情をマスメディアもふくめて抱いている一方で文化意識は希薄であるように思える。言語表現にもそれほど関心を抱いていないように思われる。

「インターネットは民主化の強い力である。国境や文化の壁を凌駕し、観念や知識が世界のあちこちに普及することを容易にし、同じ考えの人たちがサイバースペースの場に互いに知り合うことを可能にする」(ギデンズ)・・・インターネット、遠距離コミュニケーションの可能性はこの点にある。文化と社会システムに対する再構築や再評価、政治的な選択について・・・つまり他者と共有する部分についての対話が可能な点、情報の交換の場であった。例えば、mixiはソーシャル・アプリなどと名づけているが、この場合のソーシャルはなんら本来の意味をもっていない。
私的時間を携帯電話や携帯ゲーム、アプリ操作に費やすこと自体を非難しないがそれが部分ではなく、ほぼ全体となったとき、人の関心は何に向くのだろうか? 認識を欠いた判断は、感情や気分だけに左右されるようになる。
感情や気分、それも「自分が得をしたい」という感情はますます利用されていく。連帯感がナショナリティだけになったとき、それはもっとも最悪な形で、私生活の時間や場所は、私たちのものではなくなる。

つまり私生活主義が私生活圏を破壊する恐れがあるし、現にそれは起こってきた。
個人の消去、個人のコメントや判断や批評の場を、・・・どこか末端にまで拡大したインターネットは、むしろ「可能性を奪い始めている」ように思える。私たちが思うほど、政治的な力と市場の富の力は離れてはいない。
消費行動と投票行動がほぼ同じような「容易さ・軽さ」で行われるのも偶然ではない。

「一部の論者は、政府には私たちの周りで生じている急激な変化を制御できる見込みがまったくないので、政府の役割を減らして市場勢力に舵取りをさせるのがもっとも賢明なやり方である、と述べている。とはいえ、このような取り組み方は、疑わしい。今日の暴走する世界では、私たちは、統治を、できるだけ少ない統治ではなく、<より多くの>統治をもとめている。」(A.ギデンズ)

暴走する世界。
そして市場の論理という単一的思考が支配的な日本。アナウンス効果が、政策の実施や法の施行と混同視される社会・・・
多数決の支配において、感情や気分によって構成される代表民主制・・・

他人任せの感情の蔓延、つまり自立自律性の低下はどこまで進むのだろうか・・・進行している、と過剰に感じることでペシミスティックな気分が蔓延しているのも、コントロールされたものなのだろうか。・・・・

職住分離、共同体と生活の乖離は、近現代後期、消費社会の特徴である。生活と仕事は多忙となり、私たちは直接なにかを知る機会や、代表者と対話するような機会も減っているか、めったにないか、一度もないかだろう。違う問題は、仮に、直接話しをする機会をもったり、対話する機会をもつために議員と対話したときの彼らの社会認識の低さである。そして彼ら自身の大多数が、「私化」していることである。

大臣に任命されると、第一声として会見があるが、その時に、官僚サイドから原稿が渡されるそうである。それに抗って、自分自身の言葉で述べないかぎり、そのあとはずっと官僚の用意した仕事をするだけになる、ということを3月28日のシンポジウムで聞いたが、おそらく伝統的に、こうした構造自体を黙認してきたのもメディアであるし、メディアは、自分たちが情報を与える機関なのだというかなり大きな権力機関である。
私たちは、娯楽を同時にTVから(無料)で与えられるので、彼らが「権力」をもつことにはあまり敏感ではない・・・・

こうしたことが、当然、新聞やTV、そしてネットのニュースで情報提供されるはずがない。

断片化した日常と分断した個人は、その存在自体を消去されていく。
人は無意識に「快さ」をもとめて、言動する・・・・
ベターな選択をするには、意識的にそれを、無償で与えられる「快さ」を拒絶しなければ、時間という個人の本来的財産も、メディアによって食い尽くされてしまうように、私は感じている。


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