ドナート、ドナテッロの魅力について「明確」に語ることは果たしてできるのだろうか? 多くの優れた、長い間人々を魅了する作品は、語りつくすことができないがゆえに、常に多くの人の目をひきつける。

ドナテッロの「ダビデ」あるいは「メルクリウス」はドナテッロの魅力に満ち溢れている作品である。
「聖ゲオルギウス」、「踊るプットー」、「ユディットとホロフェルネス」の魅力のすべてを一つに集めて、なお余りあるようなブロンズ彫刻である。
360度から観られることを念頭に造られた彫刻は、一つの作品、一つの主題に、多元的な思索と視点を包括している。
ここで多くのことを語れないが、例えば、アンソニー・ヒューズが指摘したように、「私たちは作品の裏側に私たち自身を観たがる」という傾向がある。

たしかにその通りなのだが、しかし個々の解釈をすることを、見る側は臆することはない、と私は思う。
それは、作品にとって、観る側の人々の目は前提であり、観る人が何かを受容すること(受け取ること)がその作品が「生きつづけている証」なのだから。
ただし、観る側、つまり私たちは作品に対して謙虚に、沈黙の中で対峙しなくてはならない。作者と作品が無言で放つ言語や意図を受け取るために、鑑賞者にとって必要なことである。
観客なしの舞台がないように、読者なしで書物が書物で在る事のないように。

優れた造形物は言語を凌駕する。
それと同時に、優れた造形物は極めて言語的であり、理論に基づいている。
それゆえに、自明のような自然さでそこに佇むのであり、人をひきつけて止まない。

ドナテッロの彫刻における精神は、相反するものを一つの形にし、しかもそれが超越的かつ調和的であることである。
このことはいつか詳細に書くことができればいいのだが、これは彼自身の気質や周りの人々との関係なども反映されている。つまり経験、環境もまたそこに影響しあっている。
ブルネレスキ、コジモ、そしてフィチーノとの関わりはどうなのか、また歴史的にみると、ロレンツォ・イル・マニフィコの死の前後とポリッツィアーノとミケランジェロとの関わり、プラトニズムとフィレンツェの関わりなど興味はつきない。
アレッサンドロ・フィリペピ(サンドロ・ボッティチエリ)はその転換がもっとも影響を与えてしまった画人のようにもみえる。

作品は多くを語るが、即物的に眺めていても解読できないこともあるのではないだろうか。その周囲や社会的状況、思想史をみることで、なぜその作品が際だっているのか、その理由を見つけることができるのではないだろうか。
しかしそれは「あら探し屋」のような言動によってではなく、「よさ」を受容し理解して生かしていくために必要なのではないだろうか。


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「ユディットとホロフェルネス」はパラッツォ・ヴェッキオの広間に現在置かれている。(フラッシュをたかなければヴェッキオ宮内は撮影可能)
外に広がる大きな窓からは、ブルネレスキの大聖堂ドーム、ジョットの鐘楼などが眼前に見える。メディチ家追放のあと、次々に場所を移動させられたドナテッロのユディットだが、ここならばブルネレスキの仕事も見え、フィレンツェの街も見渡せ、「ダビデ」や「踊るプットー」が置かれているバルジェッロの塔も見渡せる。

作品に相応しく、作者がおそらく心休まるような場所になるべく置こうという、細やかな配慮を感じるのは私だけだろうか?


ヴァザーリの『ルネサンス彫刻家建築家列伝』(白水社)から、このドナテッロの晩年の傑作ユディットについて引用させていただく。

「フィレンツェの政庁(シニョーリア)のために、彼は政庁前広場の開廊のアーチの下に置く鋳造作品を作った。それはホロフェルネスの首を切り落とすユーディトで、たいへんに卓越した技量のほどを示す作品である。ユーディトの衣服や容貌の外面的な単純さをじっくり観察していると、その内側にはこの女性の剛毅な魂と神の御加護がはっきりと認められる。一方、ホロフェルネスの表情には酩酊と眠りが、生命が絶たれて冷たく垂れ下がった四肢には死が見てとれる。(略)彼はこの作品に非常に満足したので、他の作品ではしたことがなかったが、今日でも見られるように「ドナッテッロ作」と自分の名前を刻んだ」(森田義之・上村清雄訳 P.158)

ヴァザーリが言うとおりユディットの容貌と表情からはリアリズムとそれ以上にユディットの内面性が克明に現れている作品である。そしてホロフェルネスについては、ヴァザーリはその身体には死が見て取れると書いているが、それ以上に私が感じたことは、、腕は死によって物質と化した脱力した身体の表現が、脚は今まさに息絶えようとして苦痛のために極度に緊張した身体の瞬間が刻まれていることである。つまり、ホロフェルネスには死と生命の両方が刻まれているブロンズ彫刻であり、しかもその表情は苦痛よりも永遠の眠りと酔いが表されている。ユディットの理性と狂気の共存した表情と対照的ながら、一つの作品として調和して現前しているのを、私たちはみることができる。ドナテッロの作品はどれも、多かれ少なかれこの両義性を持っていると私は思うのだが、二人の人物を一つの作品にしたものとしても、その完成度にしても稀にみる作品である。

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ユディットの前に広がる大きな窓からの風景。
ブルネレスキ、マザッチョ、ドナテッロは友人同士でもあり、思想的なリーダーはブルネレスキであった。バルジェッロ博物館のドナテッロの間には、ギベルティとブルネレスコの「イサクの犠牲」も一緒に展示されている。
ユディットといい、バルジェッロといい、とにかくも去りがたい場所である。

ルネサンス彫刻家建築家列伝ルネサンス彫刻家建築家列伝
著者:ジョルジョ ヴァザーリ
販売元:白水社
発売日:2009-01-16
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