ZさんからBirthday cardを頂きました。Zさんとはもう...15年以上、17年くらいお付き合い下さっています、自分なりにかなり辛い時期も(その後遺症?は今もしばしば顕在するものですが)対話し続けてくれた人です。なかなか遭える距離ではないので、主に手紙やメール中心です。一応..ここは自分の中ではパブリックなblogという気持ちがあって、あまりネガティブなことは書かないようにしているのですが、そういった事も相談させて貰っている古い友人です。

個人が、個人として自己認識をもたないと(それは無意識に周囲にとけこんでいる状態とは違い、辛いものでもありますが)、他者とも本当の意味で会話や対話がなりたたないのかとも思います。
チャイコフスキーと交流のあった理解者の貴族夫人は、手紙でのやりとりで最大の理解者だったけれども、生前一度も遭わなかったとか。19世紀まではそういったことが多いとおもいます。論文雑誌のない時代は、書簡がその代わりを果たしていましたし、日記、手記もしかり。
書くことと読むことはとても似ている。
読者と著者は切り離せないもの。
キケローが「友情」といったのは、地縁、利害関係、血縁関係をこた価値観による連帯の重要性と価値を古代ローマで言葉で書き残したかったからでしょう....
常に一緒にいなくても、対話は可能で...そういう意味でも何人かの大切な友人達に感謝するのが私にとっての誕生日なのかもしれません。

斎藤慶典先生が「デカルト(我れ思う、のは誰か)」で「死者としか対話できない」と書かれているのがとても私には真を得た言葉であって、他の書物文献を読むときも、思い返されてくる言葉です。


今日は早朝から仕事、その後も忙しなく、帰宅後娘を迎えにいき食事をつくって...と24時間がとても長く感じられる日です。明日の日曜も6時半には電車に乗らなければ。

過去の記事をふくめて幾つか写真と記事の追記を後日追加したいと思います。