http://mainichi.jp/area/saitama/news/20090727ddlk11010117000c.html

草加市長選の結果をみたが、投票率の低さに驚く。
前回を2%上回っただけの35%、・・・かつて19世紀に選挙権に納税額などの条件をつけないいわゆる「普通選挙」を導入した際、7割が保守化してルイ・ナポレオンを選出した経緯がある・・・この出来事は多くの人が幻滅した。

選挙権があっても投票しない人が7割を超えた場合、それは選挙や民主制と呼べるのだろうか? 3割の人しか投票行動をせず、その中の1票でも多いほうが多数派となるということが最もよい制度なわけでも、普遍的な制度でもない。

たとえば近代ヨーロッパの場合、農村部では大選挙区だったのは、「一般」の人が選ばれる機会を減らすためであり、支配する側にとって都合のよさを優先させた意図的なものだった。法や制度もある意図によって組み上げられている。

現職の元の市の財政は借金が傾く一方で、例えば市立病院の赤字も右肩上がりだという指摘があった。また、草加市にある県立高校で、難易度や充実度が上がっている高校はほとんどない。(私が直接話を聞いたことがあるのは草加南だけだが、この学校の説明は生徒1人1人の希望を視野にいれているという内容の説明だった。数年前の話なので、現在もそのような実践を行っているかどうかは解らないのだが)
7月18日の午後、仕事の合間をぬって、この選挙時に福田氏の応援で駆けつけた田中康夫氏と亀井静香氏の街頭演説を聴いたが(思っていたよりも熱の入った内容で応援演説は1時間を超えた)「法」に1行書き加えることで、現状は変えられる、または極度に本来性から逸脱することを防ぐことができるということを訴えていた。田中康夫氏はフランスのぶーランジェリーの例を上げて、「自分で材料を選び、粉を捏ねて、自分の店でパンを焼いている店だけをブーランジェリーとする」と一行書き加えることで、大型大量店舗から伝統性を護れる、このような仕事が本来の政治家の行うことだと云っていた。
亀井氏は、「メディアは倒れる寸前まで権力の見方でいいかげん」と端的な挿話をしていた。(その後の放送では映っていないだろうが)

現職と2位福田氏の差は1万票程度だった。36000票と26000票である。

福田氏は、自らが市長になった際は、給与を30%減らし、しかも赤字財政の草加市だからこそ、4年の任期を終えた際に市長が2000万円の退職金を受け取ることに疑問を示し、自らは、その「退職金は受け取らない」「たった4年働いただけで2000万の退職金が貰えるような仕事はないし、財政上それは可能ではないと」と名言していた。

しかし、草加に住んでいる20歳以上の人々の3割しか投票にいかず、選ばれたのは、現職だった。・・・それで何かがひとりでによくなるわけもなく、行政のサービスが低下したり、教育の質が低下しても権利を行使しなかった場合は「何もいえない」・・・4年前にも無関心だった人は今回も無関心だっただろう。

東京圏では私化やインナーシティ化が顕著だが、今回の投票率の低さと結果はそれを顕著に表しているだろう。


因みに、代議制と内閣は実は、封建制、つまり土地所有を国が有するという原理に基づいているとされている。おそらく、近代の検証とともに、政治・経済から一般の生活レベルでいう「社会」の検証が日本の場合は非常に遅れている面(言い換えると、現在の政体に都合のよいヨーロッパ史だけが、教科書に掲載させられ、既成事実化されている。社会科において物事について考えるよりも暗記させるのはそのためかもしれない、本来は、「ーーとは何か」ということを把握した上で、「どう考えるか、どう捉えるか」を問うのが人文科学である)

何も考えないために、何も行動しないために、教育(特に公教育)が低下しているのだとすれば、ドイツ型公教育をモデルとしている日本は更に危機的な状態になるだろう。ドイツ型とは、まず社会基盤の維持のための社会における役割を作り出すことと、法的な従順さ、だった。貧民対策や犯罪対策にかかる費用を抑えようとすることで、個人を成長させたり、良くしたいという理念から始まっているのではない。
しかし、プロテスタンティズムが入りこんでいない(しかも他人の痛みなど知ったことではないというスタンスがまかり通る)社会において現行の制度自体がうまく機能するのだろうか? 良心を絶対化するプロテスタンティズムは危険だが、少なくとも、形だけの近代化はやはり人の日常や心性には根ざさなければ、資本主義型封建制というような状態となるのではないか。議員の世襲は、封建制では当然とされ、実際他の人が「投票の対象」になることが難しいといわれる。

8月の選挙結果からもそういった、「封建制」の地区が事実として浮かび上がるかもしれない。